ep2 最後の晩餐へ

「何が必要かしら」




あの後、シャスティアは自室へと戻り、誰もいない部屋でひとり、ネフィリス王国へ持っていく私物を整理していた。




気まずそうな顔をして婚姻の詳細を伝えに来たレオンハルトの側近が言うには、日用品やドレス、その他諸々は、全てネフィリス王国側が用意してくれるとのことだった。普通の婚姻ではそんなことはあり得ないことだが、今回はネフィリス王国への旅路が複数の馬車で移動することにリスクがあるために、なるべく少量の荷物で済むようにとの計らいだった。




シャスティアとしても、整理する物の数が大分減って助かっていた。それでも自分にとって大切なものを纏めるのには時間がかかっていた。




ふと窓の外を見ると、空はもう既に暗くなり、頭上には満月が輝いていた。


少し息抜きをしようと部屋のバルコニーに出て、夜風を全身に浴びる。シャスティアの透き通るような銀髪が風になびき、きらきらと月光を反射する。

おもむろに月に向かって手を伸ばす。


「世界はこんなにも平和になったのね」


その声は慈愛に満ちていた。


まるで世界の全てを見てきたかのような物言いは、その昔、シャスティアが大陸を救った『極彩の魔女』として生きていたゆえだ。




この世界には魔法というものが存在し、魔法を操る者たちは「魔術師」と呼ばれる。アルカ王国もそれなりの数の魔術師を擁している。


魔術師の中でも様々な階級があるのだが、その中で、伝説として語られる、『魔女』という圧倒的な存在が二人いた。



大昔に大陸を未曽有の危機から救った『極彩の魔女』、行き過ぎた魔法文明を正した『虚空こくうの魔女』。



二人はそれぞれどちらとも時代は違うが、確かに存在していたと言われている。



その伝説として語り継がれる魔女の一人、『極彩の魔女』の生まれ変わりこそが、シャスティア・ルクスリアである。


シャスティアは極彩の魔女の見た目のまま生まれ変わった。だから他にはあまり見ない銀髪なのだ。シャスティアは虚空の魔女のことは知らない。虚空の魔女は極彩の魔女よりも後の時代を生きていたのだから当然だ。


「花が萎れてる…」


バルコニーの下に広がる庭園を眺めていると、萎れている花があることに気がついた。花は一輪だけ灰色に萎れていて、なんだか寂しげだった。


シャスティアが指先を花に向けると、その先から淡い光が漏れ、少し離れた場所にある萎れた花を優しく包み込んだ。




しばらく光は花の周りをふわふわと漂っていた。その後光が霧散した後に姿を現したのは、はっとするほど鮮やかな紅を纏ったバラだった。夜の暗闇でもその存在が分かるほどの色だった。




「ふふっ」


元気になったバラに向かって微笑むと、まるでありがとうと言うように左右にふわふわと揺れた。




「そろそろ夕食の時間かしら」


この国で食べる最後の夕食のために、少しばかり支度をしなければならない。庭園から視線を外し、バルコニーから部屋へ戻る。




侍女たちに着替えを手伝ってもらいながら、シャスティアは考える。最後の晩餐で、貴族令嬢としての屈辱をいかにして晴らすか。


前世は魔女だったとはいえ、今世は今世。貴族として生きてきた矜恃がある。



(あの浮気男に、私を捨てたことを後悔させてやるわ)



それだけを考えて、シャスティアは夕食の席へと向かうのだった。




***




日が暮れた。辺りが暗くなり、アルカ王国の王宮の庭園も静まり返っている。




アルカ王国にはとある目的で秘密裏に訪問していた。一通りの話し合いが終わり、やっと自由になったと思ったらこの時間だ。読書をしようにも暗くてできそうにない。




手持ち無沙汰になったから、庭園をしばらくの時間ぶらつくことにした。 




流石はアルカ王国。美しい庭園は隅々まで手入れが行き届いている。咲いている花々も季節にあっていて、しかも色彩まで考えられているのだからすごい。王宮の庭園はかなり広く、何も考えず歩いていると迷子になりそうだ。




ひたすら歩いていると、ふと目に入ったものがあった。夜の闇の中でも色鮮やかに咲く花々の中で、一輪だけ灰色に萎れ、闇に紛れている花があった。その花壇は王宮の窓から見える位置にある。誰も気付かないのかと思い、何気なく王宮へ目をやる。



───すると、とあるバルコニーに一人の女が立っていることに気付いた。


夜風に靡く髪は珍しい銀髪だった。顔はよく見えなかった。ただ、灰色に染まっている花を見つめているということだけは分かった。



そこで、自分が秘密裏にこの国に来ていることを思いだした。


さりげなく茂みの裏に隠れる。盗み見をするつもりはなかったが、王宮内へ戻る気も起きなかったのだ。


すると急に、灰色の花を、淡い光が包み込んだ。本当に唐突に。何なんだ、と思って茂みの裏からバルコニーを覗く。


先ほど見た女の細い指先から、その光が発せられていた。


花を見ると、包み込んでいた淡い光はゆるやかに霧散し、後に残ったのは息を呑むほどに鮮やかな紅のバラだった。



とんでもないものを見た。まさか、アルカ王国にあのような者がいるとは。



まるで伝承の『極彩の魔女』を彷彿とさせる魔法。万物にいろ、すなわち命を分け与える魔法。




王宮に宛がわれた部屋へ戻る道すがら、ひたすらそのことだけを考えていた。






それほどに晴れやかな彩。自分にも生命力が渡ってきたような。そんな彩。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る