第十九話 変わり果てた地上①

 バリケードの向こう側から漏れ聞こえる喧噪は、翔が知る習志野ダンジョン周辺の日常のそれとは違っていた。

 けたたましい重機の駆動音、軍用車両のエンジンが低く唸る音、そして、張り詰めた空気の中を切り裂くように響く、短い怒声。


 それは、平時ではない、有事の音だった。


 無数の銃口に囲まれながら、翔とルナは抵抗の意思がないことを示すように両手をゆっくりと上げた。

 サーチライトの眩しさに目が眩む。

 暗闇に慣れた網膜が、突き刺すような光に悲鳴を上げていた。

 

「生存者だ!」

 

「こっちへ来い!」

 

 翔は言われるがままにマナブレードの柄から手を離した。

 革靴が砂利と擦れる乾いた音が、やけに大きく響いた。

 

 数人の武装した自衛官に囲まれ、二人は仮設テントへと連れて行かれる。

 砂利を踏みしめる足音が、やけに重く感じられた。

 

 一歩進むごとに、ダンジョンでの出来事が遠い過去のように思えてくる。

 思考が回る。


 隣にいるルナについて、どう説明するか……。

 隠すか?

 武器についても何か聞かれるだろうか?

 いや、正直に明かすべきか……。

 そうだ、それより魔石をどう売ればいいか。

 

 案内されたOD色の仮設テントの中は、消毒液のツンとした匂いと、人の汗、土埃が混じった生々しい空気が充満していた。

 天井のLEDランプが頼りなく揺れ、無機質なパイプ椅子が二脚、折り畳みテーブルを挟んで置かれている。

 翔たちが座らされると、正面に座る迷彩服の男が、深い溜息と共にかすれた声を出した。

 

「――すまんが、簡単に聴取をさせてくれ」

 

 自衛官の目の下には、何日も眠っていないことを示す深い隈が、まるで地層のように刻まれている。

 埃と汗でくすんだ制服、その脇には開封された戦闘糧食のレトルトパックが無造作に転がっていた。


 男は手元のタブレット端末に視線を落としたまま、事務的な口調で切り出した。

 

「氏名、所属ギルド、探索者ランクを」

 

「は、はい。及川翔。習志野ギルド所属、Fランクです」

 

 翔がおずおずと答えると、自衛官は初めて顔を上げ、値踏みするように翔の全身を見た。

 その視線は、疲労の色が濃く、もはや好奇心すら枯渇しているように見えた。


 それでも、確認せずにはいられないという義務感だけが、その瞳を動かしている。

 

 視線に耐えかね、翔はポケットからギルドカードを取り出してテーブルの上に滑らせた。

 傷だらけのプラスチックカード。

 無属性、Fランクを示す文字が、辛うじて読み取れる。

 妹の治療費のために、何度このカードを握りしめてダンジョンに潜っただろうか。

 自衛官はそれに一瞥をくれただけで、興味を失ったように再びタブレットに視線を戻した。

 

「ああ、習志野ギルドはもうない」

 

「――え?」

 

 あまりに淡々とした響きに、翔は思わず聞き返した。

 疲れ果てた平坦な声。

 

「ダンジョン崩壊と同時に発生したスタンピードで壊滅した。三日前の夜だ。建物も、地下のサーバーも、職員も、逃げ遅れた探索者も、全てだ」


 感情を一切排した事実の羅列が、見えない鈍器のように翔の頭を殴りつけた。


 三日も経っている?

 壊滅?

 全て?


 信じられなかった。

 あの、いつも傲慢な態度でFランクの自分を見下していた連中も?

 自慢話ばかりしていたCランクの探索者たちも?

 

「そんな……じゃあ……職員の人たちは……」

 

「生存者はごく僅かだ。今はギルドの立て直しの目途も立っていない……はずなんだが、ダンジョン企業の奴らが挙ってやってきてる。一週間後には元通りだろうさ」

 

 自衛官は疲れ果てたように言葉を切り、視線を翔の隣に座るルナへと移した。

 彼女は背筋を伸ばし、この異常な状況下でも、ただ静かに正面を見つめている。

 そのサファイアの瞳は、まるで嵐の海の底にある宝石のように、揺らぐことがない。

 

「そっちの嬢ちゃんは? 身分証は?」

「あ、いや、彼女は……その、ダンジョンの中で……」

 

 翔がしどろもどろに説明しようとしたが、自衛官はそれを手で制した。

 そして、深く、長く、全てを諦めたような溜息をついた。

 その呼気には、この数日間で彼が経験したであろう、あらゆる面倒事と疲労と絶望が、凝縮されて溶け込んでいるようだった。

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

「え……」

 

「記録が消えちまった以上、誰がいつダンジョンに入って、誰が出てきてないのかなんて、正確には誰にも分かりゃしない。Eランクパーティが、深層で発見されたモンスターの死骸のそばで死んでたり、逆に深層に挑んだはずのAランクが低層にいたりな。もう、何もかもが滅茶苦茶だ」

 

自衛官は自嘲するように笑った。

 

「Fランクのお前さんが、この嬢ちゃんを連れて、あの地獄の中で生き延びてた。それが事実で、それで十分だ」

 

 彼はパイプ椅子を軋ませて立ち上がった。

 その目は、もはや翔たちを映してはいなかった。

 ただ、瓦礫と化した世界の、その先の虚空を見つめているようだった。

 

「早く行きな。ここは若者が居ていい場所じゃない。バリケードの外に出たら、まっすぐ自宅へ向かいなさい、君たちの持ち物はそこにある」


テントの脇を指差した彼は少し頭を掻きながら告げた。


「あー、余計なお節介かもしれんが。君の武器。あんなSFに出てくるおもちゃみたいなデザインものを使うんじゃない。若い奴らはデザインやらなんやら拘っているようだが、しっかりとしたものを使いなさい」


 どうやら、マナソードが貴重な稼働する遺物であるとはバレなかったらしい。

 

 そうして翔たちは促されるようにしてテントから出た。


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