貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺がSF兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜
オテテヤワラカカニ(KEINO)
プロローグ
及川翔にとって、その日はいつもの退屈な一日になるはずだった。
西に傾きかけた太陽が、気怠いオレンジ色の光を部屋に投げかけている。
ベッドの上で、彼はスマートフォンの画面をぼんやりと眺めていた。
SNSのタイムラインには、友人たちのありふれた日常報告と、どうでもいい広告が交互に流れていくだけ。
面白い動画も、魂を揺さぶるようなニュースもない。
まるで色褪せたセピア色の写真のように、代わり映えのしない日常が、今日もまた音もなく繰り返されていく。
「はぁ……」
思わず漏れたため息が、散らかった漫画雑誌と脱ぎっぱなしの服に満ちた、静かな自室の空気に溶けていく。
何か面白いことでも起きないか――そんな、もはや祈りですらない、惰性の塊のような願いを抱いていた彼は、まだ知る由もなかった。
この数時間後、彼の、そして世界のすべてが、その根源から『作り変えられる』ことになるなんて。
---
すべての始まりは、カップ麺を啜りながら、他人事として聞き流していた海外のニュースだった。
『……NASAが先ほど緊急会見を開きました。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が、おとめ座の方向に124光年離れた惑星系から放出された、未知の素粒子を観測したとのことです』
テレビの向こうで、メインキャスターが強張った表情で原稿を読み上げている。
その隣に座る専門家だという白衣の男は、興奮と混乱で顔を紅潮させ、早口でまくし立てていた。
「信じられません! 観測されたデータが、もし、もし本当に正しいのであれば、この粒子は時間と空間の概念を完全に無視して、一瞬で124光年という絶望的な距離を移動したことになります! これは、我々が積み上げてきた現代物理学の完全な崩壊を意味するんですよ!」
「ふーん、ワープみたいなもんか」
翔は残っていたスープを飲み干すと、興味なさげに呟いた。
宇宙の果てで物理法則がひっくり返ろうと、自分の生活が変わるわけでもない。
そう、心の底から本気で思っていた。
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
「うおっ!?」
それは、単なる揺れではなかった。
地盤が震えるというより、空間そのものが軋みを上げて悲鳴を上げているような、異質な振動。
翔は思わずベッドから転げ落ち、床に手をついた。
本棚から数冊の漫画が滑り落ち、壁に掛けた時計の針が狂ったように震えている。
数秒間、あるいは数十秒間続いたかのような揺れが収まると、彼は窓を開け、外を眺めた。
幸いにも、見慣れた住宅街のシルエットに変化はない。
電柱は真っ直ぐに立ち、瓦屋根が崩れた家も見当たらない。
「なんだ今の……ただのデカい地震か?」
ホッと息をつき、何気なくテレビのチャンネルを変えた翔は、画面に映し出された光景に息を呑んだ。
あらゆるチャンネルが、衝撃的な映像を垂れ流していた。
『緊急速報です! ただいま、世界中の至る所で、原因不明の空間の裂け目が出現している模様です! 繰り返します!』
画面には、報道ヘリコプターから撮影されたであろう、東京・新宿の空撮映像が流れていた。
高層ビル群のど真ん中に、ぽっかりと巨大な亀裂が開いている。
その穴は、まるで空の一部を無慈悲に引き裂いたかのように、向こう側のおぞましい紫色を透かしていた。
縁は不安定に揺らめき、時折、稲妻のような光が走る。
映像は切り替わり、ニューヨークのセントラルパークを無残に分断する紫色の亀裂、パリのエッフェル塔の麓に口を開けた、不気味な虚無の亀裂を映し出す。
翔の自宅周辺は不気味なほど静かなままだが、スマートフォンの画面の中は、まさに地獄の様相を呈していた。
ネットの掲示板は、悲鳴と混乱の書き込みで、凄まじい速度で更新されていく。
『【速報】うちの近所のスーパーにも裂け目ができたらしい!? マジで買い物行けないんだが!?』
『ヤバい、裂け目の中から変な声が聞こえる……聞いたことない獣みたいな……マジで怖い』
『これって、あのNASAのニュースと関係あんのか? 異星人の侵略開始?』
『もう地球終わりだよ……母さん、今までありがとう……』
多くの人々が未知なる恐怖におののく中、及川翔は、しかし――。
「すげぇ……」
再びベッドの上に寝転がり、スマホの画面に次々と流れ込んでくる衝撃的な映像や、阿鼻叫喚の書き込みを食い入るように見つめながら、彼は興奮に声を震わせた。
全身の毛が逆立ち、心臓がドラムのように激しく胸を打つ。
怖い? 不安?
そんな萎縮した感情よりも、腹の底からマグマのように熱く湧き上がってくる高揚感が、彼の全身を支配していた。
退屈という名の牢獄が、ついに外側から破壊されたのだ。
---
政府がこの謎の裂け目を、暫定的に『ダンジョン』と呼び始めた、とニュースが報じた。
やがて、その恐怖の対象であったはずの裂け目に、命知らずの連中――いつしか『探索者』と呼ばれるようになった者たちが、果敢に、あるいは無謀に挑み始めた。
彼らが持ち帰る断片的な情報は、翔の興奮をさらに危険なレベルまで加速させた。
「ダンジョンの中には、見たこともない『モンスター』がいた! 牙を剥く二足歩行の蜥蜴みたいなやつだ!」
「倒したら、光の粒子になって灰になったぞ! 灰の中に、赤く煌く結晶が残ってたんだ!」
「下の階層で見つけたっていう指輪、試しに指に嵌めたら……見てくれ、この通りだ! 手のひらから炎の魔法が使えるようになったんだ!」
ニュース映像の中で、男が恐る恐る手のひらをかざすと、そこからボッと小さな火の玉が生まれた。
ファンタジー小説や、何百時間も費やしたゲームの中でしか存在しなかった世界が、すぐそこに、現実として現れたのだ。
退屈だった世界が終わった。
そして、最高にエキサイティングな世界が始まった。
翔は、自分の部屋の窓の外に広がる、あまりにも平和な日常風景に少し落胆しながらも、同時に、画面の向こうで繰り広げられる非日常にどうしようもなく心を奪われていた。
「面白くなってきた……!」
彼はベッドから跳ね起き、再び窓の外を見た。
夕焼けに染まる、いつもと変わらない静かな住宅街。
洗濯物を取り込む隣人の姿。
だが、その平凡で平和な世界のすぐ隣で、冒険と富と、そして人智を超えた力が渦巻いているのだ。
「俺も……行けるのか? あの『ダンジョン』に!」
恐怖に怯え、世界の終わりだと嘆く人々を、彼は少しだけ滑稽に思った。
これは世界の終わりなんかじゃない。
停滞しかけていた世界の強制的なアップデートだ。
新しい時代の幕開けだ。
画面の向こうに広がる未知の冒険を前に、及川翔の瞳は、これまでの人生で一度も見せたことのないほど強く、ギラギラとした野心の光を宿していた。
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