3年後、彼女は“嫌いだった男”と結婚していた

夜道に桜

第1話:君とあと一歩だった

付き合っていたわけじゃない。

けれど、あと一歩だった。

たぶん、ほんの少しの勇気と、タイミングと、どちらかの言葉があれば、俺たちはきっと恋人同士になっていた。


間宮沙月。

高校2年のとき、同じクラスになった。

写真部に所属していた彼女は、当時からすでに有名人だった。


髪はふわりと光を弾く茶色で、肌は白く、目元は柔らかく微笑んでいるような形をしていた。

身長はやや小柄なのに、胸は制服のボタンが張るほど豊かで、しかもそれを誇示することもなく、逆に恥ずかしそうに縮こまっている。

まるで“触れてはいけない清純”みたいなオーラを持っていた。


けれど、俺は知っている。

沙月は、その見た目ほど強くない。むしろ、臆病で、弱くて、人の顔色をよく見てしまうタイプだ。

だからこそ、他人に気を使ってばかりで、自分を後回しにして、でもたまに――小さなことで泣いてしまう。


そんな彼女が、唯一、感情をむき出しにして「嫌い」と言った相手がいた。


白石 蓮司。

地元の地主の息子で、金持ちのボンボン。

成績は良く、運動もできて、見た目も悪くないが、とにかく女癖が悪い。

沙月のことも、「デカパイの間宮」と呼んで下品な目で見ていた。


俺と沙月が仲良くなりはじめたのは、そんな白石に絡まれていた彼女を、たまたま助けたのがきっかけだった。


「……佐伯くん、ありがとう。ほんとに、助かった……」


そう言って、少し涙ぐんだ顔で笑った彼女を、今でも覚えている。


あの日から、俺たちはよく話すようになり、放課後の帰り道を一緒に歩いたり、コンビニで肉まんを分け合ったり、彼女の写真部にモデルとして付き合ったりもした。


彼女は俺の撮られた写真を眺めながら、こう言った。


「佐伯くん、なんかね、カメラ越しに見ると……すごく優しい顔してるの」


その言葉が嬉しくて、俺は何も言えなかった。


俺は、彼女が好きだった。


でも、その気持ちを伝えることが怖かった。

壊れてしまうんじゃないかと思った。

この“ぎりぎりで繋がってる今”が、好きだった。


――そして、それが、間違いだった。


 


卒業して、俺は東京の大学へ。

沙月は地元の短大に通っていた。

遠距離とはいえ、LINEや電話でやり取りは続いていて、年に数回は会っていた。


「就活、大変そうだね」

「沙月は? どこ受けるの?」


そんな他愛もない会話を、俺たちは何度も重ねた。

相変わらず、付き合ってはいなかった。

けれど、誰が見ても、俺たちは“特別”だったはずだ。


そう思っていた。

勝手に、そう信じていた。


 


大学3年の冬。


就活が本格化していた頃。

急に、沙月からの返信が減った。

電話をかけても出ない。

既読すらつかない日が続いた。


そして、ある日。


ごめん、もう連絡しないで

これ以上、優しくされたら、壊れそうになるから


そのLINEを最後に、沙月は姿を消した。

部屋に行っても、誰もいなかった。

引っ越した形跡だけが残されていた。


夜逃げのようだった。


 


何があったのか、どうしてなのか、何もわからなかった。


俺は混乱し、泣き、怒り、呆然とし――やがて、現実に飲まれていった。


それから、3年。

彼女のことは、忘れられたはずだった。


――あの日、SNSを開くまでは。


 


スクロールしていた画面の中に、見覚えのある顔があった。

柔らかく微笑む目元。

膨らんだ腹を包み込む、純白のワンピース。


「間宮沙月、結婚おめでとう!」「幸せそうで安心した!」「相手がまさかの……!」


俺は手を震わせながら、写真の隣に写っている男の顔を見た。


――白石 蓮司。


彼女が、高校時代、あんなにも嫌っていたはずの男だった。


「……うそ、だろ……」


スマホが落ちた。

呼吸ができなかった。

鼓動の音が、頭に反響していた。


 


俺は、迷いなくDMを送った。


「一度だけ、会って話せないか」

「どうしても、聞きたいことがあるんだ」


既読がついたのは、2時間後だった。

「明日の夜、駅前のカフェでいい?」


たったそれだけ。

でも、俺は向かう。行かずにはいられない。


あの日、俺の隣で笑っていた彼女に。

“あの時の彼女”が、まだどこかに残っていると――信じている自分が、まだいる。

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