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 静まっていた。


 十畳はある一室が、普段はあまり使われていないが、常に清潔に保たれている客間が、静まりかえっていた。


 静かな客間では、ほぼ物音がない。


 あるとすれば、ゆっくりと時を刻む柱に掛けられた時計くらい。


 時を刻む針の音を、朝陽は居心地の悪さを感じながら耳にしていた。


「これが和室かぁ。なかなか趣があっていいね、暮、いや、アサヒちゃん」


 静まりかえっていた客間でひとりだけが、招かれざる客である魔王だけが、のほほんと過ごしていた。


 しなれていないはずなのに、魔王は実にきれいな姿勢で正座をしている。


 それこそ、日常的に正座をしている朝陽よりも、家にいるときは基本的に正座をしている朝陽よりも、魔王の姿勢の方が整っていた。


 魔王の隣に腰を下ろしながら、朝陽は魔王の姿勢のよさにびっくりとしつつ、「そ、そうですね」とだけ頷いていた。


「……粗茶となりますが、どうぞ」


 魔王の隣に腰を下ろしながら、どこから話を切り出せばいいのやらと悩む朝陽。朝陽とは対照的に魔王は初めての和室での一時に心を躍らせていた。


 そこにすっとお茶を差し出たのは、朝陽がばあやと呼ぶ梅だった。


「お嬢様もどうぞ」


「あ、ありがとう、ばあや」


「いえ、お気になさらずに」


 梅は無表情で頷くと、朝陽と魔王の対面側に腰を下ろしている父の隣にと回っていた。


 その姿に珍しいなと朝陽は思った。


 普段は穏やかな老婆である梅が、いまは感情を完全に抑え込んでいる。


 だが、感情を抑えているのは表情だけであり、その目には燃え盛るような感情が宿っていた。その目で梅は魔王を見つめていた。いや、睨み付けていた。


 が、当の魔王はどこ吹く風とばかりに涼しい顔で、梅の出したお茶を「いただきます」と言って口にしていく。


「ふぅ、日本茶も美味しいね。普段は紅茶が多いけれど、日本茶も悪くない。帰りに茶葉でも買って行こうかな。ねぇ、「黒狐」ちゃん、これはどこで買えるの?」


「……本日はもう店じまいしておりますよ。専門店で購入しておりますからね」


「そうなんだ。じゃあ、そのうち日中に買いに行こうかな」


「あなたが街中に出れば、騒ぎになると思いますよ?」


「ん~、まぁ、そうかもね。でも、普段の姿は姿で補導されそうで面倒なんだよね。でも、このお茶は美味しいし、どうにか手に入らないかなぁ~。ねぇ、どうにかなんない? 長官さん?」


 魔王は梅と話しながら、どうにか日暮家御用達のお茶が手に入らないかと画策しているようだった。


 気に入ったのであれば、分けてもらえばいいのではと思いつつも、梅が「少しお分けいたしますか」と言わないことに朝陽は驚きながら、対面に座る父を恐る恐ると眺めていた。


 その父にと魔王は親しげに声を懸けたのだ。父は普段よりも鉄面皮となって魔王と対峙をしている。


 鉄面皮となっているが、額には汗が珠のように浮かんでいた。父が相当に緊張しているのがわかる。


「……そう、ですね。総理に魔王陛下がお求めであることをお伝えすれば、数日中にはお手元に届くかと」


「そっか。まぁ、今日はお店が閉まっているのであれば、それが一番楽かな? 長官さん、総理さんに伝えておいて貰える?」


「はい。明日お会いする予定がありますので、その際にでも」


「ありがとう。じゃあ、こっちの用事もそろそろ済ませようかな」


 魔王は嬉しそうに笑うと、再びお茶を啜ってから、「さて」と言って父と梅をそれぞれに見やったのだ。


 どうして魔王が朝陽の家で、父と梅と対峙をしているのかと言うと、これが魔王の言った手助けだからである。


 朝陽も麻衣も魔王曰く「家」である新宿の「原初の迷宮」内で、門限を大幅に超えた21時まで過ごしてしまっていた。


 連絡もなしに門限を超えてしまったため、朝陽も麻衣も家で待つ親に怒られることは確定してしまったのだ。


 そこで手助けをすると言ったのが魔王だった。


 その手助けとは、少女の姿から妙齢の女性の姿となった魔王が、朝陽と麻衣、それぞれの家にと赴き、遅くなってしまった理由を説明してくれるというものだった。


 麻衣がいないのは、先に麻衣の家にと向かい、麻衣の両親と対面して、事情を説明してくれたからだ。


 尤も、その事情もかなりでっち上げられたものではあったのだが。


 魔王が麻衣の両親にした説明とは、魔王は世界ダンジョン協会ことWDAの幹部であること。そしてWDA側の都合によって、チーム「クレイジーアサシン」のメンバーである朝陽と麻衣を呼び出し、重要な話をしていたというものである。


 その際に魔王は自身の名刺を麻衣の両親に渡していた。


 魔王が渡した名刺を、事前に朝陽は麻衣とともに見させてもらったのだが、その名刺には「WDA特別顧問シャルロッテ・E・ヴォーティガーン」とあった。


 名刺を見ていろいろと思ったふたりだが、じっくりと名刺を眺めていると、魔王は「どう? 余の名刺は。フルネームからしてイカしているでしょう?」と笑っていた。


 フルネームが長いのは、なんとなく魔王らしくはあるからいいとしても、いくらなんでもWDAの幹部であろう「特別顧問」と嘯くには無理があるとふたりは思った。


 だが、魔王曰く「何の問題もない余」ということだった。


 正直、問題しかない話ではあるのだが、魔王が問題ないというのであれば、そういうことにしておくしかないであろう。


 実際、魔王はWDAの特別顧問であるシャルロッテとして、麻衣の両親に対面し、遅くまで麻衣を拘束することになってしまったことを深く謝罪していた。


 一般人である麻衣の両親にしてみれば、WDAという国際機関の幹部と、娘のひとりである麻衣に面識ができたことを驚きつつも、「そういう事情でしたら」と頷いていた。


 が、頷きはしたものの、「ですが、次からはちゃんとご連絡をいただきたいです」と尤もなことを伝えていた。


 その内容に魔王も「面目次第もございません」と謝罪をしていた。


 その後、麻衣の両親に事情を説明し終えた魔王は、そのまま朝陽の家まで同行してくれたのだ。


 なお、道すがらに朝陽は、「うちだと「WDAの特別顧問」というでっちあげは通じないと思いますよ」と伝えたのだ。


 魔王は「どうして?」と尋ねてきたので、朝陽は朝陽の家の事情を素直に伝えたのだ。


 事情を伝えて魔王は「あぁ、そっか、「ヒグラシ」って、「あのヒグラシ」だったのか」と納得し、父と梅には「WDAの特別顧問」というでっちあげの肩書きではなく、魔王として対面することにしたようである。


 ただ、誤算もあった。


 それがばあやこと梅の存在だったのだ。


 梅はかつて攻略者として名を馳せた人物であり、その際の階級は最上位の十つ星。


 現役の攻略者では、朝陽の八つ星が最上位であり、それ以上の攻略者は現在はいないのだ。


 八つ星を超えた真の最上位の攻略者のひとりであり、かつて史上最高の斥候役として名を馳せた十つ星攻略者「黒狐」が梅だった。


 同時に日本が誇る最高のエージェントでもあった。


 現在はエージェントとしても、攻略者としても引退し、女中として日暮家に仕えてくれているが、その実力は決して錆び付いてはいないことを朝陽は誰よりも知っている。


 さすがに、現役時代と同等というわけではないようだが、ごく短時間のタイマン勝負において、朝陽は梅に勝ったことは一度もない。


 それどころか、気付いたら地面に顔を擦りつけられてばかりである。


 どうしてそうなったのかさえも、朝陽にはまるでわからない。

 

 それほどの使い手である梅と、かつて世間を騒がせた伝説の魔王は、どうやら知り合いのようだった。


 とはいえ、それも当たり前か。


 かつてとはいえ、最上位の十つ星攻略者を、ダンジョンの主である魔王が知らないなんてことはありえないだろう。


 むしろ、知らない方がどうかしているとさえ朝陽には思えた。

 

 さすがの魔王も、まさか梅が日暮家で女中として仕えているとは思っていなかったようだが、梅もまた現役を退いてから、まさか彼の魔王と相まみえることになるとは思っていなかっただろう。


 両者ともに想定外の再会だった。


 その再会に割り込んだのが、元々魔王が会いに来た父だった。


「お久しぶりです、魔王陛下」


 父は魔王を前にして静かにお辞儀をした。


「うん、久しぶりだね、「ヤタノカガミ」の長官さん。あなたが彼女の親御さんだとは思っていなかったよ」


 お辞儀をする父を前に、魔王は笑っていた。


 父を見て、「ヤタノカガミの長官」と言った魔王に、朝陽は「やっぱり、この人が魔王なんだ」と改めて思った。


 魔王の言う「ヤタノカガミ」とは、日本に古くからある諜報機関のことであり、公にされていない極秘裏の組織だった。


 その諜報機関を代々治めているのが日暮家を始めとした御三家と呼ばれる家々であり、ここ数十年は日暮家が「ヤタノカガミ」の長官を務めている。


 朝陽が魔王の具体的な容姿を知っていたのは、現長官である朝三を経由したからである。


 そして朝陽が十七歳にして、現役最高の斥候役として名を知らしめているのも、「ヤタノカガミ」の長官である朝三に幼い頃から鍛えられてきたからなのだ。


 そんな父と魔王が対面し、いままさに本題が語れようとしていた。


 どういう話になるんだろうとどぎまぎとしながら、朝陽はふたりの話に耳を傾けて──。


「じゃあ単刀直入に言うね。お嬢さんを貰うことにしたのでよろしくね」


「……は?」


 ──いたのだが、魔王のまさかすぎる一言に、朝陽はもちろん、朝三も、そして梅も言葉を失うことになったのだった。

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