第3話 黒羽さんとフレンチトースト

安アパートに戻った真澄は風呂に入ってパジャマに着替えてベッドに座った。

目覚まし時計を五時にセットする。いつもよりほんの少しだけ早い起床にするのだ。

いちばんにあの喫茶店に行って注文をしたいと思っていた。

黒羽の笑顔が食べたい。黒羽のおいしい料理が食べたい。


「黒羽あかりさん」


名前を呟くだけで胸がキュンとなる。

普段は女子に惚れられることが多く告白されたこともある真澄だったが、自身としては恋愛に疎かった。なので全ての告白を断ってきたのだが、まさか高校一年になって初恋を経験するとは思っていなかった。顔があっただけで胸がドキドキする。黒羽は美人だ。

真澄も顔には自信がある。自他共に認める美形だと思う。

だが黒羽には謎めた美しさがある。


「そういえば、彼女はどこの高校に通っているのだろう?」


ふと、頭に浮かんだ素朴な疑問。

最初に店を訪れた際に黒羽は高校一年と言っていた。

嘘をつくようなタイプには見えないから、それは真実なのだろう。

今日も店で働いているところをみると店から近くの高校なのかもしれない。

明日のことを想像し胸躍りながら真澄は眠りについた。

翌朝。毎週と変わらぬジャージに着替えて外へ飛び出す。いつもより足が速いのはそれだけ楽しみがあるからだ。超特急で駆けていくと、ちょうど黒羽が店を開けたところだった。


「黒羽さん、おはよう!」


元気よく挨拶した真澄を見ると一瞬だけ目を見開いて驚いた表情を作ってから柔らかい笑顔を見せた。


「……おはようございます。三日月さん……どうぞ……」

「ありがとう」


黒羽が扉を開けてくれたので礼を言って真澄は入店した。

店を見回すと昨日と違う点が一か所だけあった。

景色がよく見える窓側の席。最初に真澄が訪れた際に座った場所に『予約席』という小さな三角プレートが掲げられてあった。

予約されているなら仕方ないと落胆しかけた時、黒羽がテーブルに向って手を広げた。


「……三日月さんがご来店されるだろうと思って、予約しておきました……もし、よろしければどうぞ……」

「ありがとうっ!」


黒羽の気づかいに感動した真澄は彼女の手を取って喜ぶ。

それからパッと手を放す。

折れそうなほど細長い腕だ。長袖から出た手首はとても白い。

あまりの白さに一瞬見惚れそうになって我に返り席につく。

メニューを眺めて思案する。


「今日は、フレンチトーストにしようかな」

「……かしこまりました……」


静かに一礼して厨房へと消えていく。

ふとテーブルに視線を下げるといつの間にはグラスに水が注がれていた。

全く気配を感じさせない早業である。

黒羽はとにかく声が小さく物静かなので気配を感じづらい。

それがどこかミステリアスな雰囲気に繋がっているのかもしれない。

真澄はまずは一番乗りできた喜びをかみしめることにした。

やはり自分以外の誰かに先を越されるとモヤモヤしそうになる。

だが今日は一番乗りで黒羽が席まで確保してくれたのだ。

運ばれてきたフレンチトーストに真澄は目を輝かせた。

フォークでトーストを押してみるとふわりと押し返してくる。

すごい弾力で口に入れた途端、フッと消えてしまい、あとにはミルクと卵の甘味だけが残る。フレンチトーストはこれまでも何度か食べたことがあるし自分でも作ったこともあるが、これほどのクオリティのものは出会ったことがなかった。

厚切りのパンを使用しているはずなのに少しも力を加えることなく食べられる。

皿の端にのせられた生クリームを少しつけて食べると甘みが増す。

気が付くと、またも皿の料理は消えていた。


「今日もすっごくおいしかったよ! ありがとう!」

「……大変嬉しいお言葉をいただき感謝いたします……」

「君の笑顔が見られて私も嬉しいよ」


思わず本音が口をついて出てしまい、真澄は慌てて言った。


「食後のコーヒーをもらおうかな」

「……かしこまりました……」


食後のブラックコーヒーを堪能しながら、今日もいい日になるだろうと真澄は確信した。

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