第二十話 「その火球、竜の如し」
ボォォオと何かを焼く業火のような音を街いっぱいに響かせながら飛来する「何か」。見た目を注視するのであればそれは間違いなく隕石であり、これで二度目の被害が出る。
「あはははは! ははははは!!」
少女は笑う。彼女は自身を正理機関「ヘカテ=パラジーズ」のカシーシュと名乗った。もし、それが本当であれば一筋縄ではいかない強敵ということになる。こんな化け物相手にしてられない、今優先すべきことは彼女を倒していくことではない。
トウマ以外の三名、着流しを着用し草履という江戸の武士を彷彿とさせるジュラル、猫耳族のミユとウリル、彼らは物珍しい光景に目を奪われていた。
だが、トウマは動く。月光を浴びながらスタートを切ると三人の元へと駆け寄る。
自分たちの元に誰かが走ってくる。視線の端にそれを感じ、上から下へ目を動かす。
「トーマだ!」
三人の中で一番最初に動いたのはやはりミユ。ぴょんぴょんとその場で跳ねるとトウマの胸に飛び込んだ。それをしっかりと受け止め、世間話を――といきたいところだが今はそれどこでは無い。事態は急を要する。トウマはミユを抱えながら言う。
「相手にする必要は無い、今すぐに脱出路に!」
それを聞いたジュラルもハッと何かを思い出したかのように貌を変化させると、その意見に賛同した。だが、カシーシュは未だに天を仰ぎ高らかに笑っている。あの火球を呼んだのは彼女だろう、つまり初撃のあれもカシーシュの仕業というわけだ。
彼女を放っておき、三人は広間に向けて走り出す。すると、何やら騒がしいことに気がついた。耳を澄ませば聞こえてくるのはどれも肉食獣の唸り声。それも前方からでは無い、四方八方、全ての方向から聴こえてくる。
「逃がすわけねぇだろ、オレは今日気分がいいからなァ」
まるで獣の巣窟に飛び込んだかのよう。獲物が自ら食われに来たと嬉しそうにする魔獣の姿が目に浮かぶ。だが、やつらは「待て」、そう言われているかのように大人しく待ち続けていた。つまりは飼い慣らされているのである。
主人であるカシーシュの号令がかかることがない限り、やつらは襲いかかることは無い。つまりはチャンス、無駄な戦闘を避け目的地までノンストップで駆け上がることができる。
だが、トウマに異変が起きる。
「ハァ……ハァ……」
息が上がり始めたのだ。ヘルメス曰く、回復魔法とは傷を塞ぐだけであり完全回復まで持ち上げることは不可能である。そのため、しばらくの間は倦怠感が抜けないから気をつけるようにと言われていた。
決して忘れた訳ではない、いや忘れてしまうほど時間は経過していない。体が反射的に動いてしまった。
かかりつけの医師が言った言葉を守らなければ大抵叱られるが、今はそれをしてくれる人物はいない。ヘルメスと再び別れ、トウマが先程まで何をしていたのか知る人物はトウマだけだ。身体どこを見ても傷などない。だから、ほか三人は単純に体力がないだけと思っていた。
酸欠状態でのランニングに近い感覚ではあるが、今すぐに倒れてしまいそうな程のひどい症状ではない。現に彼は、肺に大きく息を溜め込み、焦点が少しズレている中でも真っ直ぐに走ることが出来ている。
「トーマがんばれがんばれ!」
温もりに満ちた幼い声がトウマを励ます。そうだ、そうなんだ。自分が遅れをとれば背負っている女の子も衝撃に呑まれる。自分のせいで誰かを殺すことなどあってはならない。だから辛抱して走り続ける。
何事も辛抱だ、かの有名な三英傑の一人も幼少の頃から耐え忍ぶ生活が続き、その間、牙を研ぐことを忘れずに好機を狙っていたからこそ彼は天下統一を成せた。
これから何十年もの間、我慢を強いられる訳では無いがそのような踏ん張りが必要とされる時がいずれやってくる。
「曲がりますぞ!」
ジュラルの掛け声に反応し、全員が右方へ転進。黙々と暗闇を進む中、延々と獣どもの喉が響く。やつらも待っているのだ。絶好の機会を、最も隙が出来る瞬間を――
◇◆◇◆◇◆◇◆
それから数分、走り続けていた。本当ならば到着できるはずだったが、道中、落石により思ったように進むことが叶わず転進することが多かった。それが二箇所もあり、大きく迂回する必要があったことが一番の原因だろう。
だが、第二の原因が全く無い訳ではない。第二の原因はやはりトウマ。彼が思っている以上に体内の血液は不足し、貧血になっていた。足を動かす激しい運動をすると、拍動が激しくなり、多くのエネルギーを体が欲するようになる。血液は酸素を運び、細胞の呼吸を活性化させる。
トウマにはその血液が足りていなかった。走っている間、無駄口を聞く余裕が無いほど彼の呼吸は乱れ今にも崩れ落ちそうになっていた。否、今から崩れるのだ。
「うぉ……」
片膝を付き、背に抱えるミユを支える力が無くなる。ポタポタと敷石の上に塩分を豊富に含んだ汗が落ちる。酸素を多く体内に届けようと、呼吸が大きくなる。息を吸う度に脳に響き、地面が揺れているかのように感じられる。
それに気がついたジュラルとウリルが急いで駆け寄る。トウマの肩に手を置き、「落ち着いてくだされ」とジュラルが声を掛ける。その声色は孫を心配する祖父のような感じだった。顔を上げたトウマの顔色を見た三人はギョッとした。
彼の顔は見たことが無いほどに白く染まっていたのだ。まるで白粉を塗布しているかのように。唇の血色も悪い、死期がすぐそこまで来ているのかと思わせる程であった。ミユとウリルはトウマの体に手を乗せる。息を合わせた訳でもないが二人は同時に魔術を発動させた。
暗黒の世界に陽光が射し込んだかのようにエメラルド色の光が
決して二人の手腕がトウマを回復させるに足らない、ということでは無い。「回復魔法」とは傷を塞ぐだけ。完治させるのであれば、専門機関に係る必要がある。だが、現在そんなことが出来るわけが無い。
「まさか、血液が足りてないのでは――」
ジュラルがそう判断する。長年の経験により、感覚でトウマの原因を見抜いた。ジュラルは二人に魔法の使用を止めさせ、ポケットから小包を取り出す。その封を解き、出てきたのは真っ白な丸薬。それを一つ取る。
「これを飲めばその症状はたちまち治るでしょう」
体が重く、思うように動かない。その薬とやらが本当に安全なものかは知らないが、今はそれを頼りにするしかないのだ。ゆっくりと顔を上げ、それを口に入れようとした――が、
ゴゴゴと大地が震える。全員の動きが停止する。ブルドーザーが壁を壊しているかのような音が聞こえてきた。ドンドンドン、と石が粉々に砕け散るような轟音が耳に入る。
間違いないだろう。かの「火球」のような存在がついに地面と接触したのだ。これから自分たちはその餌食となる。爆音が響く度に地面は揺れ、自分たちの元へと迫ってきていることが分かる。
この場で足を止めたからだ、そう思ったトウマは自身の体を叱咤し立ち上がる。
「あはははは!! はははははっ!!」
瞬間、鼻につくような高笑いが耳に入った。まさか、そう思った直後――凄まじい煙と礫が飛び交った。それは一行を飲み込み、凄まじい風圧をもたらした。
すぐに防御陣の展開を、とトウマは力を入れるが体はそうはいかない。休ませてくれと、筋肉が仕事をサボる。そして、「それ」は到達した。間に合わない――トウマがそう思った直後のこと、鼓膜を破らんばかりの咆哮がこだまする。凄まじい声量、凄まじい圧力。思わずたじろいしてしまう四人。
煙の中から現れのは、紫艶のきらびやかな鱗を纏い、頂点には二本の角、赤焔色の瞳は殺気に溢れている。背には対の機翼が横いっぱいに広がっている。
「まさか……暗黒竜か!!」
ジュラルは声を大にして言った。「暗黒竜」とは「四大古竜」の一角をなす翼竜であり、古代より言い伝えられてきた伝説の竜。おとぎ話の世界にのみ生きる竜だと思われていたが、その可能性はここで打ち砕かれた。
「あはははっ! 年老いているくせによく知ってるなァ!!」
首が直角になるほど真上を眺める。そのサイズは歩く度に岩石を砕き、天井、地面、壁など至る所に穴を開けるほどである。
「暗黒竜」が少し仰け反る。四人はそれだけで察する。逃げる――その選択は間違っていなかったが、それはあまりにも広範囲過ぎた。トウマを除く三人は防御陣を展開、各々自分の身を守ることでいっぱいだった。
トウマの展開が間に合わない。否、展開すら出来ていない。すぐに助けに入ろうとジュラルが足を前に出そうとしたが、凄まじい恐怖感に気取られた。首に刃物を突きつけられ、命令を聞かなければ殺す、とでも言われているかのように。
「――ぬぅ、ぐぉ」
黒竜が口を開きながら前のめりになる。竜の代名詞、「ブレス」のお出ましだ。「暗黒竜」が真っ黒な吹息を吐き出す。深紅の小雷が混じりいったそれはまともに喰らえばどうなるか。体が瞬時に痺れ、「死」を象徴するブレスの前に倒れることになるのだ。それを受け、塵と化す自分の姿がトウマの頭に鮮明に浮かび上がる。
「まずはてめぇからだ」
「暗黒竜」がトウマに標準を合わせる。
いくら何でも足を引っ張りすぎなんじゃないか、人を心配させすぎなんじゃないか。本当であればそうなることを避けるために脱出する予定だったのだ。そこまでは正しかった、いや、運が良かったと言おう。だが、幸運と不幸は等しく起こる。幸運の次は不運が起きることがほとんどである。トウマにとってもそれは例外ではない。
ダイシバとの戦いから始まり、魔獣とカシーシュとの遭遇、そして「暗黒竜」の飛来。一体どこで道を間違えたのか、そう問われれば必ずスタート地点に戻るだろう。だが、その後悔をしないためにも選んだ道を正解にするつもりで挑んでいるのだ。
動けない、誰もが思っただろう。だがトウマだけは違った。決して動くと思っていた訳ではない。むしろ反対、動くことは不可能だと彼自身も思っていた。最後になっても良い、その力に神様が微笑んだのかもしれない。
「プロ、テゴ……」
トウマが消えそうなほど小さな声で呟いた。直後、竜巻のような凄まじい旋風と威圧感が襲いかかる。防御陣が触れ、ドリルで削られているかのように火花が散る。バチバチと花火のように響く音、心の底から湧き上がる恐怖心。
「はははははっ! 死に損ない!!」
ミユとウリルは小柄な体格だが全力を注いで身を守る。普段であれば小回りが効き、速度で敵を圧倒することが出来てしまう。だが、その体格が裏目に出てしまった。パリンッと角にヒビが入る。そこからは早かった。次の割れ音で全体にヒビが広がり、次の瞬間には粉々に砕け散った。
その衝撃で弾け飛んでしまった。
「「わぁぁぁっ!!」」
トウマを救い出すか、二人を追うか。二つに一つだ、選べという状態に追い込まれた。自分の立場を優先するべきなのか、ブレスをモロに浴びているトウマを救うか。御歳五十八、この年齢となって苦渋の選択を迫られるとは思いもよらなかった。ジュラルはそう脳内で呟く。早くせねば、トウマとていつ死ぬか分からない。ミユとウリルも生死を彷徨うかもしれない。
依然として彼の陣はまだ安定を保っているがもう長くは持つまい。ブレスは絶えることなく浴びせられている。そもそも彼は普段、防御陣を使うようなことは無い。剣士として道を歩んできたために、無縁と言っていいほどものだった。
ギュッと手に力が篭もる。その時、自身の手のひらにある丸薬が目に入った。ハッと何かを悟ったのか、目が見開かれる。次の瞬間にはもう動いていた。
「口を開けてくだされ!」
ミユとウリルの方向に走りながらトウマに伝える。ジュラルの策としては、手に握っている丸薬を飲み込ませさえすればトウマの問題は解決する。そうすれば心置きなく二人の救助に行ける。
トウマが展開している防御陣があることにより、トウマより後方には「暗黒竜」のブレスは届いていない。つまりは、
ジュラルが手の上に装填した丸薬を弾く。前方が漆黒の吹息で覆われていたためにカシーシュには見えていなかった。
薬は真っ直ぐ飛び、トウマの口の中へと飛び込んだ。それをゴクリと飲み込む。
飲み込んだ瞬間――トウマの体内で急速にそれは広がり血管内の血液量を増強させる。それを感じ取ったトウマの目に光が宿る。さきほどの症状が嘘であったかのように、活力が漲る。トウマの腕、足に力が入り彼は立ち上がる。
「ありがとうジュラルさん!!」
それを聞いたジュラルは二人の保護へと入る。同時に「暗黒竜」のブレスが止む。相も変わらずカシーシュは高笑いをし、トウマらを死んだものを思い込んでいたが、それも次の瞬間には消え失せる。
「おいあんた!」
「なんだとっ?!」
ズカズカとカシーシュ、いや「暗黒竜」の足元にやって来ると、トウマはそれに跨るカシーシュに指を差す。一番の死に体だと思っていた人間が、ピンピンしている。その事実にイライラが込み上がるカシーシュ。
「俺の防御、割れるものなら割ってみろ!」
そう高らかに宣戦布告し、トウマは踏み込んだ。天高く飛び上がり、鞘から剣を走らせる。それに合わせるように「暗黒竜」も漆黒の爪を横へと振るう。銀と暗黒、对となっている二色が激突する――
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