第十八話 「静まり返る宮」
暗闇の中、石畳にポタポタと赤い液体が滴る。落ちた血液が道のように連なり、男の所在を表していた。ひとまず生き残ることが出来たトウマは崩れ落ちそうな広間を後にし、もうひと踏ん張りと次の戦場に身を投じるべく壁を伝い歩いていた。
「こんな時に、回復魔法が使えたら……ゴフッ」
戦いはまだ終わっていない。
トウマが経験足らずであったこともあるが、深手を負わずに戦いを終わらせるという選択ができなかった、いや、出来ない状況だった。あの時、賭けに出なかったら死んでいたかもしれない。死ぬはずだったのが、致命傷に近いものを喰らうことに変更されたのだ。
「あいつ……絶対手を抜いてたな……あいつがその気なら、一瞬で……」
歩く度に胸の裂傷が引き攣る。傷口が広がっている訳では無いが、雷に打たれたかのような痛みが走る。一応、応急処置として持っていたタオルで縛ってはあるが縫合した訳では無いため悪化の可能性はある。
それだけでは無い、かすり傷も数え切れないほどにある。どれも死に至るほどでは無いものの、出血量を増やしていく。
「――っ」
トウマの耳が何かを捉えた。足音だ。敵か味方なのかは知らないが、隠れるに越したことはない。そう判断したトウマはすぐさま角に駆け込む。
金属、引いては鎧がガチャガチャと上下に揺れる音だ。人数は二人、いや三人だろう。何かを話しているようだ。
トウマは息を殺し、集中する。
「にしてもまさかだな、あの方が動くとは」
「まぁ、日頃から側近を集めては言ってたらしいし遠からず遅からずこうなるんじゃないかと思っていたらしいぞ」
「だけどよぉ、あんなド派手に火球を落として俺たちも殺すつもりなんじゃねぇかって俺ァ思ったぜ」
「あの人が一体どこまで見据えているのかは知らないが、私はこれが終わったら故郷に帰るよ」
「いや無理でしょ、あの人、脱兵は絶対に許さんっていってたぜ」
(火球……まさか、あの火球か? いつ落とされた?)
トウマがダイシバと剣を交えている間、ケルガルムに隕石のような物体が飛来した。普通であれば国都を覆う結界に弾かれるが、それが破られたのだ。火球は易々と内へと侵入し被害をもたらした。大きな衝撃と爆音、街の隅にいたとしても聞こえた。
では、なぜトウマが気がついていないのか。
それはダイシバが広間に術を貼ったからである。彼はトウマに「救いの手を差し伸べる者はいない」、そう言い切った。その言葉に嘘はなく、トウマが入った時点で外界との接触を遮断する結界を巡らせた。それによって広間のみが異空間であるかのように仕立てた。
(あの英雄譚に出てきた魔法なのか?)
先日、ゼロに聞かされた一つの英雄譚。国が滅ぼされんとしている時に現れた初代アーサー家の当主。彼は戦いの中で一度だけ魔法を使い、敵を一網打尽にした。
それが火球である。
だが、その話はおとぎ話のように扱われ吟遊詩人が語るくらいだ。つまりは昔、昔あるところに――という創作を本気で信じていた人間がいるということである。
男衆は歩きながら語る。
「俺ァ何すれば良いんだっけか」
「俺たちの仕事は生きている人間を殺れば良い」
「私はやりたくない、このような罰当たりな事を」
「それらぁ俺んたちだって同じだぜ?」
それを聞いたトウマはすぐに立ち去った。三人衆の声が近くなってきているということは自分の方に向かって来ている。あの辺には自分が滴らせた血痕がある。それを辿られたらおしまいだ。
生きている人間を殺ると言ってた。見つけられたら首を差し出すことになる。
トウマが音も無く駆け出した直後、
「ソンヨ様のせいだ、あの人が
「おいバカ! 声がでけぇ!」
トウマは思わず足が止まった。一瞬、ほんの一瞬だが思考が停止した。ソンヨとはこの国の第一皇子、いわば世子である。その人が、この反乱の首謀者……。 その場を後にすることも、傷が痛むことも忘れ彼はポケットに手をかける。スっと中に手を入れ、何かを掴んで外へ出す。
「FFの手帳」、否、「アティード手記」だ。
パラパラとページを捲り、最新のページへと目をやる。だが、そこに変化は無い。ただあるのは「シュラーゲル王国が亡ぶ」ということのみ。ソンヨが主犯格であるとは無い。
だがこの手帳はいじめっ子気質なところがあり、考えることがやや汚い。事象が起きてから記述することもあれば手前で記述することもある。
「……まさかこいつ、要らない記述と思って出してこないのか?」
手帳が先に記していたら未然に防ぐことが出来たかもしれない。いや、出来ただろう。それなのに、手帳は書き加えることもせず、現状維持でのほほんとしている。トウマを嘲笑う手帳の顔が頭に浮かぶ。
「なんでっ……!」
トウマは噴水の如く登り上がる怒りに身を任せ手帳を二つに裂こうと折りたたみ部分に手をかけ、力を入れた。彼が両の方向に力を入れれば恐らくだが一つだった手帳が二つに別れる。
だが、トウマはそれから動かなかった。否、動けなかった。
今、ここで感情のままに動けば一時の快感を得ることが出来るが必ず後に後悔する。その際に生じる怒気の方が何倍も大きいだろう。
「いや、落ち着け俺。ソンヨさえ倒せれば、結果は同じだ」
結局思いついた結論がそれだった。だがあまりにも暴論過ぎた。大抵こういう場合、主犯の周囲には最強の盾がつきものである。つまり、ただ突っ込んでも死地に飛び込むだけである。
では、暗殺はどうだろうかと思考を変える。正面突破が不可能であるならば、闇討のタイミングを伺うしか無いのだ。だったらまずはソンヨの居場所を突き止める。場所が割れたら遠くから機会を伺い、闇矢を命中させる。
だが、これにも問題が生じる。
「殺しなんて……」
殺しが当たり前のこの世界、一方殺しが普通では無い世界、表向きは共通点が多いものの内面を探ると似て非なるものであることが浮き上がる。
特に殺しに関して、トウマは強い拒絶反応を示す。
「アイツが、ダイシバが仲間だったら良かったのに……!」
トウマの中でダイシバの出自がどのような場所か見当はつく。全身を黒衣で覆い、爆発を主として闇から現れ、霞の如く立ち去る。
恐らく「忍」の家系なのではないか、と。信じ難いが、あの世界とこの世界の共通点は多い。そのため、「忍」がいることは無きにしも非ずといったところであろう。
木の葉に隠れること朧の如し、現れること隼の如し、戦うこと火の如し、まさにこう言ったところだろうか。だがダイシバの戦い方は火なんてものでは無い、火山が噴火したかのように激しく恐怖心を煽るものがあった。
あわよくば仲間に、そんな考えが戦っている中でトウマの頭をよぎったがあまりにも硬直な考え方で膝を曲げさせることは出来なかった。
ダイシバにとって私情を捨てることは癖という程度のものではなく、癖を遥かに超越した
「―――っ」
三人衆の声がもうすぐそこにまで迫ってきている。急がないといけない。トウマは胸に手を当てながら地を蹴った。もう巻いたタオルは血で一杯に満たされ、繊維が抱えきれなくなっている。それが先程から血を地面へ落としているのだ。
「グッ……ダメだ、誰かと合流しないと」
まだ視界は安定し、変な酩酊感は無いがその時はもう近くまで来ている。
最悪の場合は自分で縫合を、いや自分の意思で針を刺すなんて怖いことは出来ない。ならばやはり、回復魔法を―――
そんなことを考えながら人が居そうな場所を巡る。初めに訪れたのは王の間だ。ドアノブを握ってゆっくりと中を覗いて、なんて丁寧なことをしている暇は無い。
ドンっとタックルで扉を開け、内へと入るがもぬけの殻だ。玉座には皇帝はいないし、臣下たちの姿は見られない。
「……ちょっと待て、なんで誰もいないんだ」
トウマはここに来るまで使用人ともすれ違うことは無かった。皇族たちは外へと避難しているのだろうが、その世話係の人間たちも同様に忽然と姿を消すのは何故だ。
加えてもう既に王宮内には帝国側の人間が潜んでいる。それに殺されたとしても死体があるはずだ。だが、それすらも見受けられない。
背中を気取られるかのような不気味な感覚。もしかしたら、今ここに残っているのは自分一人なのか? 既に皆、国外へと出ていき、自分だけが戦っている。そんな考えが過ぎる。
もしそうだとしたら、トウマも抜け道を行くべきである。だが、広間まで戻るとしたら来た道を戻らないといけない。道を遡ると先程の三人組に見つかる。抵抗する力など現在のトウマは持ち合わせていない。
「次だ、次……!!」
トウマは王の間を後にし、人がいそうな最寄りの場所へフラフラと向かった。
次に辿り着いたのが食堂である。宮内の人の多くが集まるであろう場所の中へと入る。だが、またしても人っ子一人いない。普段は騒がしい場所がシンっと静まり返っている。
「……いないのか」
なぜ自分は戦ったのだろうかと問いを投げたが答えは返って来ない。
彼の視界がグラッと揺れる。不安定な視界に思わず尻もちをついてしまう。その時が来たのだ、出血量が多く補填が間に合わないのだ。
「やばい、酩酊感が」
筋肉が衰えた老人のように震える手に踏ん張りを効かせ立ち上がる。だが、平衡感覚が狂い始め直立が難しくなったトウマが立ち続けることは不可能。
その場に倒れ込んだ。
彼は気がついていなかったが、ダイシバとの戦いで負った傷は思ったよりも深く、長時間放置したことで血は溢れ、傷口は広がっていた。
それによって本来であれば症状が出るのはもう少し先延ばしになっていたが、壁にぶつかってしまったのだ。
「嘘だ、ろ……ここで死ぬのか……」
死を迎えるのがこんなにもひっそりとした場所であることにトウマは悔しさを覚えていた。どうせ死ぬのならもっと大勢に囲まれての方が良かった、そう思うがこの道を選んだのは自分だ。元の世界に帰れないのは惜しいが、全ては自分が悪いのだ。
トウマは目を瞑った。死から抗うような素振りを一切見せず、それを受け入れた。彼はジッと死神が迎えに来るのを待った。
そして、その時が来た。
足音が聞こえた。コツコツと自分に近づいて来る音が。だが彼は目を開けるようなことは無かった。スっと大きく息を吸い込み、遂に来たかと意を決したかのように動かなかった。
やってきた人物がどのような見た目をしているかは分からないが、この際はどうでも良い。どうせ死に、記憶はリセットされる。
その人物はトウマの隣までやって来た。
ゴクリとトウマは固唾を飲み、緊張感が膨らむ。人を探し求めてようやく会えたのが死神とは、運が悪いなと思う。
その人物はニヤリと笑い、ソッと手を伸ばし、トウマの胸に当てる。ピクっと身体が反応し、鼓動が早まる。これから自分は命を持っていかれる。どのような感じなのか、痛いのか、辛いのか、楽に逝かせてもらえないのか、色々な考えが過ぎる。
暗闇の食堂で光が灯る。トウマの胸に当てられた手を光源とし、隅々までいき渡る程の光輝。
彼の命脈が絶たれる――のではなく、傷口が癒されていった。
それには身を固くしていたトウマも驚き目を開けてその人物を確かめる。
「全く、君は無茶しすぎだよ」
優しい声、暗闇で見えにくいが仙服に身を包み焦げ茶色の瞳で周囲を照らし、片手には扇子を携えている。
「ヘルメス!」
思わず起き上がろうとするトウマ。それを抑えるヘルメス。彼の目は少し潤んでいた。人と会えたことの喜びが溢れてしまったのだ。
青緑の光に傷が包まれみるみるうちに傷は塞がり、やがては完治した。
「おぉ、治った……!」
「油断は出来ないよ、やっぱり君は王宮を離れた方が良いよ」
「いや、俺は」
「もう無理だよ、治癒魔法はそんな便利なものじゃないんだ」
ヘルメスは語る。治癒魔法とは外的要因による傷のみ治癒対象である。そして、治癒と言っても傷を塞ぐ、まさに縫合のような役目を果たすだけで失った血液を補給させることは不可能である。
つまり、トウマの酩酊感も平衡感覚も治った訳では無い。軽減されただけで、症状は現在もある。
「トウマ、君の意欲は理解する。だけど、血が無くなり過ぎているんだ」
そう言われたトウマは返す言葉が出なかった。立つことが安定感を失っている自分が戦えるわけが無い。確かに現在の自分は足でまといである、そう認めざるを得なかった。
だがしかし、ただでは終わらない。伝えねばならない事がある。
「ヘルメス、実は―――」
トウマは先程聞いた話をそのままヘルメスに託した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます