第七話 「あと四日」

 「はぁ……はぁ……」


 「もう息が上がってるよそれじゃあダメだよ」


 庭園に一つの影が出来ていた。漆黒の人の形をしたそれは剣を両の手で掴みブンっと振り下ろし、上段に構え直し、再び下ろす。

 

 その動作の度に額からは汗が滴り、呼吸が荒くなっていく。


 「ハァッ!」


 また一度、刃が下ろされた。するとどこからともなく声が聞こえてくる。


 「闇雲に振っても意味が無いよ、というか威力が足りない。打ち込み台の様なものはあるかい?」


 「はぁ、はぁ……あるよ」


 現場にいるのはたった一人の青年。上半身に纏っていた燕尾服を脱ぎ、裸で自らを鍛え上げている。


 壁に整列されている十字に組み合わせられた木製の台を一つ掴むと両手で持ち上げ、そっと地面へと置く。


 「今から台に打ってもらうけど、一撃で壊してほしいって言ったらできる?」


 「無理に決まってるだろ、さっきの状況を見て可能だと思ってるならお前は頭がお花畑だよ」


 「まあだよね、骨格というか肉付きというかもっとゴツかったら良かったんだけど」

 

 「それは無理だよ、筋トレしてるわけじゃないし。何より筋肉なんて要らない生活してたからね」


 言い終わるとトウマは地を蹴りぬいた。それまだ未熟という言葉を投げられるであろう甘いもの。しかし、彼は本気である。


 迫力、いや気迫だけは一人前だった。


 「やぁっ!」という掛け声とともに両手に力を込める。勢いをつけて木剣が振り落とされる。


 ガッという鈍い音が響いたのを皮切りに間をおかずひたすらに打ち込んだ。腕が振られる度に汗が宙を舞い、手のひらに痛みが走るのを感じた。それは徐々に増していき、威力が落ちていく。


 「くっ!」


 「打ち続けるんだ、生の戦場では誰も待ってくれないよ」


 「っらぁぁぁぁ!!」


 「もっと、一撃で壊すつもりでやるんだ」


 「ガァァァァ!!」


 それから百を超えて俺は剣を振った。だが、打ち込み台には傷一つなかった。原料が特別というわけではない。ただの木、それを削って形を整えただけ。


 陽光が直にさすこともあるのだろう。俺の息はすでに上がり、酸欠に近い状態になっていた。


 (頭が……視界が……)


 俺は少し引っかかりを感じ、焦点が合わず目の前にある台をまともに見えない視界をスライドさせた。


 視線の先にあるのはやや雑に置かれた無数の打ち込み台。不安定な視界でも俺は一点を見つめる。何かで抉られたかのような傷、切り付けられたような傷、一部を切断されたかのような荒い面、どれもこれもボロボロだ。


 にも関わらず、俺の台だけは新品かのようだった。


 「お前、まさか……何もしてないだろうな」


 「さぁ、何のことだかボクには分からないな」


 その問いに返ってきたのは「フッ」とバカにするかのような軽い嘲笑と、その言葉。

 間違いない、これは、ゼロの仕業だ。


 「お前、何しやがった」


 「何もしてないよ、ボクにそんなことできないからね」


 「嘘つけよ、お前以外目星が無い」


 「あーもー、はいはいボクがやりました」


 なんなんだこいつ協力的なのかそうでないのかハッキリして欲しいものだ。


 「ボクがしたことといえば、その台を少し頑丈にしただけだ」


 頑丈? 頑丈なんてものじゃなかったぞ。俺は非力だって分かってるけどさ徒手でやってる訳じゃない。かすり傷くらいついても良いだろ。


 「これを砕けるくらいにはなって欲しいんだよね」


 「いやあの無理でしょ、だって数日だよ? その数日で脳筋バカになれってこと?」


 「勘違いしているみたいだね、強固なものを一撃で切り伏せるのに必要なのは力じゃない」


 するとゼロは語り出した。


 「君の言う通り、数日で筋肉を化けさせるのは無理だけど剣士の質を底上げすることは出来る」


 質? この数日で出来るのか? 俺はこの世界の人間じゃない。つまりは剣や魔法なんてからっきしだ。剣士の血も、魔法使いの血も俺には一滴も流れていない。


 なのに剣士としての格を上げるだって? 無理に決まっているだろう。


 「君は太刀筋というものを聞いたことはあるかい?」


 「あるに決まってるだろ、優秀な剣士はそれがキレイだって言いたいんだろ?」


 「せいかーい」


 だが、どうしたら良いのだろうか。優秀な剣士の太刀筋を目の前で拝むなんてことは出来ない。例え出来たとしても理解なんてできないに決まってる。


 「そう、それが問題なんだ!」


 「おい思考を読むなよ!」


 どうやらこいつが俺の中にいるということは考えていることが筒抜けらしい。便利なことは認めるがプライバシーの侵害な気がするんだが。


 「だからボクが三回だけ見せてあげる」


 見せてあげる? なんだ、どういうことだ。実体が具現化するのか? いや、それが出来たらこいつは俺の中に住んでないか。


 そうなると残る考えは一つ?


 ということは……おいおいこいつ、まさか!


 「おい、ちょっとま―――」


 「いくよー、さん、にー、いちー」


 カウントダウンが始まりどんどん減っていく。それを止める方法は俺には無い。


 「入れ替―――」


 「ゼロ」


 瞬間、俺は身体の自由が効かなくなった。視界は何も変わっていないが手足は動かせないし言葉も話せない。視覚以外の五感全てを取られたような感じだ。


 「さて、いくよ」


 口が勝手に動いた。しかし声色は俺のものでは無い。女性のものだった。


 刹那、視界がブレた。自身の右手が緩やかな弧を描き、ザンっという音が響いた直後、既に台は真っ二つとなっていた。


 (んだよ……これ……人外すぎんだろ)


 多分だけどゼロにとっては当然のことだろうな。できて当然、できない方がおかしい。多分だが、ゼロ以外にも当たり前としている人物がいるはず。いや、いる。


 俺もいつしかこんな力を手中に収めることが出来る日が来るのだろうか。突出した何かがある訳では無い。だからこそ、俺も欲しいんだ。


 「次いくよ」


 そんなことを思っているとゼロが二の手を放とうとしていた。

 またしても視界がブレる。見ればもう台は修復されていたが、先程と同じ状態に戻ろうとしていた。


 俺は今度は逃すまいと目をいっぱいに開く。だが俺がそうした「つもり」であっても実際は違う。身体の主導権は俺には無いからだ。


 そして、またしても台は袈裟に捉えられ崩れ落ちた。ゼロが剣を振り切ったのは見届けた。だが剣筋なんてビギナーの俺に見切ることなんてできる技ではない。


 (見えん……見えないぞ)


 「それじゃあ、ラスト……といきたいところだけど、どうやら納得してないところがあるみたいだね」


 (当然だろ! 文字を学んで数日経った子どもに本を読めって言ってるのと同じだ!)


 「フフン、そうかそうか。それほどボクの腕に惚れ惚れしちゃったか」


 (惚れ惚れした訳じゃねぇよ! )

 

 だがどうしたものだろうか。ラスト一回、ああは言ったものの確かにこいつの剣の腕はかなりなもの。免許皆伝、師範以上。


 侍が試し斬りのために畳を一刀両断にし、残った畳の断面は上、横、どちらから見ても一直線で美しい。あれと同じようにゼロが叩き切った木の断面は機械を使ったのかと疑うほどに綺麗だ。


 それをやれと言われている。できないことは百も承知なのだが、非力な自分をどことなく俺は憎んでいる。貴重な機会をもらい、その中で糧とすべきなのにそれができない。


 「太刀筋に限らず、すべての動作の根源にあるのはお腹の力だよ」


 「お腹? 腕や脚を使うのに腹の力がいるのか?」


 「まだ分からないだろうけど、踏ん張りの効かないお腹では百パーセント以上の力を出すことは不可能だ」


 踏ん張り……。


 人間の構造を考えると、人間のパーツは大きく分けて四つ。上から頭、腹、腕、脚。それら全てとつながり、人間の形を成しているのは間違いなく腹……。それが無ければ無茶苦茶だ。


 だからこそ腹は身体機能の基盤ベース、ゼロはそう言いたいのか?


 もしそうだとして、踏ん張りの効かない腹ってなんだ?


 腹筋を鍛えるだの、全力で力を集中させるだの、やたらに力を込めることではないことは自明である。


 「いつか理解する時が来る、それが全てというわけではない。


 これができずとも他の部分でそれをカバーすることもできるし、後から気がつくこともある。追い求めるか、他を鍛えるかは君がやりたい方を選べばいいさ」


 ザンッと木剣を振るうと時間差で崩れ落ちていく。三度もチャンスがあったが結局俺は分からなかった。すると、夢から覚め覚醒していくかのような感覚に襲われた。


 「それじゃ少し寝るよ、ボクが今日教えることはこれだけ。良い一日を」


 (ちょっ、おい!)


 「まだ話が―――」


 どうやら肉体の主導権が戻ったみたいだ。手足が思うように動かせる。

 天を仰げば、幾重にも重なった雲の間を抜け細く煌々と光が降り注いでいる。思わず目を細めた。目の前には役割を果たせそうにない打ち込み台。


 俺には今、二つの道がある。


 ゼロの言った通りに腹の踏ん張りを鍛えていくか、はたまた他でカバーするのか。どのみち闇雲にやっては意味がない。


 「腹と言われても……」


 俺に侍の血が流れていたら、少しでも呑むことができたのかもしれない。だがそんなものは俺には無い。我流で積み上げていく他ないのだ。


 路頭に迷っている時、


 「いっそのこと、かの皇子に聞いてみるか?」


 俺の頭に浮かんだのは毎朝裸になって剣をひたすらに振るっているこの国の皇子。大自然を彷彿とさせるグリーンの髪、黄金と橙色が入り混じった瞳。


 ここに来てから見た人物の中でもっと剣の道に明るい人物。


 だが、なんと説明しようか。数日以内に国が滅ぶからさーなんて正直に言うことなんて絶対無理だ。不吉なことを口にするなと言われてしまいだ。


 「……習うよりも慣れろ、自分で見つけるしかないのか」


 俺は天を仰いだ。空から降り注ぐ陽光に思わず目を細める。自分で考えることは得意ではない。ありとあらゆる出来事から推測をして、一筋の光を見つけ出し答えへと辿り着く。


 その答えとやらに到達したことは一度も無い。いや、自分で考えたことが数少ないからか。


 「なんで俺が、こんなことを」


 元の世界に入ることが目標だったのに、亡国になろうとしているここを助けるなんて。そのために、命をかけるとは……。ここで死んだら元も子もない。死んだらダメなんだ。だからこの危機を乗り越えるために……。


 「さぁて、いくぞ!」


 俺は地を砕かんばかりに強く蹴り抜いた。高々と木剣を振り上げ、斜め袈裟を落とした。緩やかな弧を描きそれは叩きつけられた。


 

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