エピローグ 陽鷹灼は運命を待つ

回想 陽鷹灼が出来るまで

 もう誰でもいいから、私にプロポーズをしてほしい。



 性とかそういうものが関係ないモノ。


 もしくは性愛を向けても、向けられても良いかもと思えるほど、強烈で何か特別なモノはどこかにないだろうか。


 そんなことを考えながら、私は生きてきた。


「陽鷹……俺さ、お前のことが好きだ」

「そう、ありがと」

「だから……付き合ってほしい」

「そういうのよく分かんないから」


 小学生の頃は告白されても先がよく分からなかった。


 ただ中学くらいで、何となく恋愛というものの解像度が上がる時期。

 恋愛の先に何を求めてるのかが分かってしまったら、もう不快なものにしか感じなかった。


 あいつがエロいだとか、あいつの胸がとか。

 そんな言葉が男子の談笑で聞こえてきた時期だと思う。


「俺さ……陽鷹のこと……」

「ごめん、そういうの苦手だから」


 身体は貧相でも、顔がいいのは分かっていた。

 だからそれなりに告白もされた。


 とはいえ私には勘違いさせるような愛嬌がない。


 だから向けられる好意の視線や告白が性欲由来のものにしか感じられない。


 それが不快だった。


 見た目に恵まれてるから好意を向けられて困る。というのは我ながら贅沢な悩みなのは分かってるけど、無理なものは無理だ。

 だから裸眼でも問題ないのに、顔の形が変わって見えるように度入りの眼鏡をつけた。


 自分とその視界を歪めて周囲に順応して隠れようと思った。

 そして幸い、それなりに影に隠れることができた。


 別に自分が全ての男に性的な視線で見られてて気持ち悪いとか、そんなことを言いたいんじゃない。


 なにか、この世界と合ってない気がするんだ。


 世界の信仰と噛み合わず、息が出来ない感覚。


 私は恋愛というカルト宗教にハマる人を理解できるけど、のめり込んでるわけじゃない。


 そして、だからといって別に近づきたくないというわけじゃない。


 話も聞きたいし、信仰するために理解したいとも思っている。


 けれど世界はそんな理解の過程をすっ飛ばして、誰もが既にその宗教の信者かと思い込む。

 そんな盲目になってる信者がどうしようもなく苦手なんだ。


 誰かと親しくなるのは怯えがあるし、理解を求めるのは怖いはずなのに、その部分だけは当たり前だと思って距離を詰めてくる。


「あ、君も恋愛教の信者なんだね」


 視線がそう言ってるように見えてしまう。

 まだ違う、まだ違うと言いたいのに。


 多分、私の方が誰よりも恋愛脳なんだろうと思う。

 頭の中がコミュニケーションの先の恋愛を想像させるのに、感覚が追いつかなくて気持ち悪くなる。


 こんな気質になったのも恋愛について成熟した感覚を持つ前に、性愛という現実をなんとなく知ってしまったからだろう。


「お父さん、その女の人は誰?」

「灼!? あー……友達だよ」


 幼少期の会話を覚えている。


 病院に勤める父と地方の名士である母の間に生まれた時点で、私の人生は割と勝ち組っぽい雰囲気だけどそれに伴う息苦しさがあった。


 家にはよく知らない人が来ていた。


 父は職場の看護師や事務員を、母は地域コミュニティで出会ったであろうよく知らない若い男を引っ掛けて家に連れていた。


 小さい頃からそんな家の中で育った。


 私は自分の部屋で本を読むことが好きだったから、気付かなかっただけでほぼ毎日来てたかもしれない。


 両親はきっとお互いに不倫をしてることを分かっていた。

 私でも何となく気付くような家の変化に、見て見ぬふりをしていた。


 大好きな両親は私にも愛を向けてくれている。

 けれど、そんな愛という概念にも2種類あることを知りたくなかったから。


 そして両親から「仕事から帰ってきた時は部屋に良い子にしていなさい」と言いつけられるようになる。


 小さい頃は特に不倫とかもよく知らなかったから受け入れてた。

 どちらも大変な仕事をしているのだから、ゆっくり休めるようにしてあげよう。

 

 そんなことを思いながら、小さい頃の私は愚かにも優しい気持ちを抱いていた。


 だけど、不倫相手を娘のいる自宅に連れ込む両親がまともなはずがない。


 小学生の頃、母と間男の行為を目撃してしまったことがある。


「何してるの……?」


 偶然見かけた私は気になってそう声をかけた。


「え……灼っ!? 部屋に戻りなさい!」


 強く怒られて急いで部屋に戻ったのを覚えてる。

 喉の渇きなんかが気にならないくらい、心臓がドキドキした。


 当時は小学生で何をしているかよく分からなかった。


 けど……中学入る前後でそういう知識と共に自然と理解した。


 母と知らない男の人が、私のよく座っていたソファで服を乱しながら組み合っていた光景を理解できるようになってしまった。。


 聞いたことのない嬌声と聞いたことのないソファの軋む音が耳に残っている。


 吐きそうになった。

 あの時の雰囲気が解像度高く頭に焼き付いて仕方がない。


 家で、私が座っている場所で、私が部屋で静かに本を読んでる時に、両親はあんなことをしてたんだ。


 世界の見え方が変わった気がした。

 いろんな風景が色褪せて見え始めた。


 母がいない日に若い女の人を連れて帰る父も、その逆の母も、両親が動物に見えた。


 よく知ってる人間をあんな動物みたいに変えてしまう性欲という機能が。とても怖い。


 知らない人が家に入ってくるのが怖い。


 逆に、私が他の人の家に行くのも怖い。


 平気で他人の家に上がり込んで不倫をするような……そんな侵略者と同じ存在になりそうだから。


 知らない人間以外の何かが、自分の知ってるはずの領域に違うものに変えてしまうような怖さ。


 お父さんやお母さんの愛人みたいに、勝手に人の領域を侵略してるみたいで、同じになりたくないという嫌悪感に胸を支配される。


 今でもたまに部屋の外から音が漏れ聞こえると、体が緊張する。


 あの間男はどう思ってたんだろう。

 父の連れてきた女の人はどう思ってあんなことをしてるんだろう。


 娘がいるのは分かっているはずだ。

 その上で、あんなことをしていたのか。


 なんとなくの想像はつく。


 娘に見られるかもしれないというハラハラとしたスリル。

 それが単純に興奮するんだろう。


 ……残念ながら理解出来てしまった。


 そういうシチュエーションや背徳感で性的興奮を覚える気持ちに共感できてしまった。


 その事実が私の自己嫌悪の引き金を引いた。


 私はそんな両親と同じ尺度で生きる人間なんだと絶望した。


 中学も後半に差し掛かって受験シーズンになると「塾へ行ってきなさい」「学力があった方が進路を自由に出来るでしょう」なんて理由をつけて、夜は遅くまで外に出された。


 夏休みは夏期講習で1日外出するし、ちょっと散歩に外に出るのも「外の空気を吸うのは大事」と歓迎された。


 そして「帰ったらリビングに来てはいけない」と言い含められる。

 患者の情報が、市の政策の資料が、それっぽい言い訳を並べ立てて、不倫の時間やスペースを確保しよういうことだろう。


 あー、嫌いだな。

 気持ちが悪いな。


 世の中、生きにくいな。


 私の幼少期から中学時代が、そんな思い出や感情で埋め尽くされていた。


 優しかった両親も、性欲の前では人間から動物になってしまう。


 性行為自体は人間全てがやることだし仕方ないとも思ったけれど、自分も同じようになると思うと嫌になった。


 理解出来てしまった以上、私にも性的欲求はあるし、シチュエーションで興奮するような素養もある。


 ……私も同じように性欲で人間じゃなくなる可能性があるのか。


 考えるだけで背骨の奥から焼かれるような嫌気に支配される。


 自分が嫌で、許せなくて、普段から夜はあまり寝られない。

 疲れて寝てる最中にも、家で両親が動物になってると思うだけで不快感で心が休まらない。


 そして、高校生になって処女を捨てた。


 高校生になっても変わらず追い出される形で予備校に遅くまで通わされていたけれど、その時に出会った人に告白されて、流れで。


 高一は早いのか遅いのか分からないけど、中学で経験を終わらせてる子もいたしまぁ普通だと思う。


 体験してみれば何か考えが変わると思った。

 けど体験としては、あまり良いものじゃない。


 痛いし、なによりも裸の男が貧相な自分の体を見て欲情しているのが、なんか気持ち悪い。


 とはいえ、その状況に自分も「なんか面白いかも」と興奮を覚えたのも事実で、そんな自分が受け付けなくなった。


 体内を虫が駆け巡るような不快感を覚えた。


 『性行為をしたら好きじゃない相手も好きになる』なんてことを本で読んだことがあるが、それは多分本当だと思う。


 ただ、好きになるというより好意的に見るようになるって感じだった。

 全てを見せたから安心する。この人ならという感覚が芽生える。


 でもそれは理屈で物事を考えがちな私にとっては、不和を生むだけの機能だった。


 誠也のことを好きな理由は言えないけど、好きじゃない理由は言える。

 つまりそれは好きじゃないってことだ。


 なのに少しぼんやりと誠也への見方が変わった。

 性愛が私の中の何かを塗り替えている。


 それに気付いて鳥肌が立つ。


 やっぱ無理だ。どこか合わない。

 性愛はグロテスクで気持ち悪い。


 それを持つ私のことも嫌いになる。


 恋愛とかそういう感情が私の中になかったら、こんな苦しくなくて済んだのに。


 でも私にはそういう欠落がなくて、誰かを好きになるとか好きになりたい言う気持ちはしっかりあった。


 経験を経て、お父さんとお母さんと同じ気質の人間という事実が、より一層強固になってしまった。


 そしてそう思い詰まった時、私はもう誰でも良いからプロポーズをしてほしいと考えに至った。


 熱帯夜に溶け込むような暗さを抱え、私でも言葉に出来ない何かを、冷たくなった心の内に沈めた。


 色々と諦めがついたのだ。


 相手が男だとしても、付き合うとかそんなのをすっ飛ばしてプロポーズなんかされて、私の役割と運命が決まってしまえば楽になる。


 誰かと結婚すれば、性的欲求に振り回される恋愛ゲームからは降りることができる。


 夜とか、そういうことには付き合う必要があるかもだけど、それも伴侶だけになるからだいぶ楽になるだろう。


 役割に徹すれば心も、頭の中も、グチャグチャにならないで済む。


 なんなら性愛の機能が私を塗り替えて、相手や自分への嫌悪を好意にしてくれるかもしれない。


 そんな絶望的な未来予想を、まるで花嫁を夢見る少女の希望のように思い込むことで、心のバランスを保とうとした。


 結婚なら人生の中で考えることが減って楽になる。


 うん、そうだ。

 それでいいじゃないか。


 なにせ私は見た目がいい。

 きっと、どこかの男に娶られるだろう。

 母のツテでそういう話が来てもおかしくない。


 なら、もうそれでいい。


 そうすればきっと一度くらいは何も考えず、安心してゆっくり寝られるかも。


 そういう不安定にもう振り回されないのなら、それで……。


 高校に上がって、夏に彼氏ができて一通り恋愛的な経験をした結果、そんなことを考えるようになっていた


 そして、そんな時に私の瞳に光が差した。

 運命が、確定したんだ。


 ☆ 


 出会いの時。


 2学期に入ると、夏期講習で誠也との別れ際を見ていた男子がいたらしく、学校で噂になっているのが聞こえた。


 耳をそばだてなくても「男と揉めてた眼鏡ってあいつ?」「あれが漫画美人?」と揶揄してるのかよく分からない言葉で、周囲が私を形容してる。


 男子から好奇の視線で見られてるのが、喧騒と共に嫌でも伝わってきた。


 あまり気分のいいものじゃない。


 動物園の中みたいだ。もっともこちらが檻の中だけど。


 始業式が終わって机に座ると「ねぇねぇ陽鷹さん、その眼鏡外してみてよ」と話したこともない男子に言われた。


 鬱陶しい……。


 読みかけの小説を開いて無視していると、どんどん喧騒が大きくなる。


 場所を移すかと教室のドアを見たら、女の子と目が合った。


 ウィスキーのような明るい栗色の巻き髪、色付きのピン、色白で派手目な装飾にふわふわした雰囲気……あぁ。


 一度噂になってるのを聞いたことある。


 学年や学校関係なく彼氏をとっかえひっかえしてるとか噂の……。


 名前はなんだっけ。空井聖……だったかな。


 その子と視線が交じり合った。


 威嚇でもしにきたのだろうか。


 別にあなたの男は取らないし、あなたの方が見た目も可愛らしいから、カーストは私が下で揺るがな……えっ?


 そうやって本に目を移そうとする直前、彼女は何かに気づいたように教室に入ってきた。


 目を大きくして、まっすぐこちらに向かってくる。


 いや、目的は私じゃないか。


 とりあえずなんか因縁つけられてもめんどくさいし、本でも読んで無視を……。


 そう思ったら、視界に手のひらがチラついた。


 その手の主を見上げれば、空井聖がこちらに手を伸ばして口を開いた。


「ねぇ……私と結婚しない?」


 何を言い出すかと思えば。


 誠也との別れ際に顔を見たとか騒いでる男子を治めるため……かな。


 男を取っ替え引っ替えしてる例の女子だし、そこらへんで牽制でもしたいんだろう。

 まぁそれで私への視線が減るなら都合が良いし、適当に合わせて……。


 ————と思っていたら彼女の様子は少しおかしかった。


 自分の言ったことに遅れて気づいたのか、カーッと顔が赤くなっていく。


 そしてこちらに差し出した手をそのままに、逆の手を口元に運び何かごまかそうとしている。


「あっ。えっと! あ、ごめん。いきなりだったよね」


 えっ……?


 本気で言ってる……?


 視線を何かに無理やり固定されるように彼女から目が離せなくなる。


 耳も赤くして、目を泳がせて……まるで思わず心の内を漏らしたような様子で1人狼狽している。


 もしかして……本気なの……?


 そんなバカなことある……?


 まごついた様子に私の視界が少し明るくなった。


 私、顔見せてないよね……?

 話したこともない……?


 私たちの間には何もなかったはず……。


 この人は、なんでもない私にプロポーズをしたのかな……。


 そして彼女は無意識なのか、こちらの視線を避けるように黒い瞳を泳がせる。


 明らかにふざけた様子じゃない、悪ふざけなら顔や耳が赤くなるなんて反応が出るはずない。


 変なことを言ってると分かった上で、変だと思いながら、それでも手を差し出した。


 それは、本気のそれだ。


 その様子から、私は目が離せなかった。


 そうか……本気なのかもな。

 そう思った瞬間に、私の心臓は全身を震わすほど大きく脈動する。


 初めて呼吸を自覚したみたいに、息がふぅっと口から抜けていった。


 薄暗い半透明のフィルタが視界から取り除かれたように、世界の見え方が鮮やかに変化した。


 彩られた光に、私は脳の奥まで照らされた気分になる。


 まさかプロポーズされるのが女の子なんて思わなかった。


 恋愛的な視線も、男から向けられるものより同じ女性でどこか理解ができる存在だからか、不快じゃなかった。


 むしろ、不思議と気分が高揚した。


 何も知らないのに、こちらの見た目すらもハッキリ見えてなかったはずなのに。


 ただ私という存在をなんとなく見つめて、この人だと思ってくれたんだ。


 その時、私の中にあった性嫌悪と性欲が同居してる呵責は消えていた。


 ガシャリと音を立て、心の中で崩れる。


 性別という概念が嫌いだった。

 性愛という概念が嫌いだった。


 そしてそんな性愛の欲求を自分も持っていることが何よりも嫌いだった。


 だけど……だけど彼女の向けてくれた視線と差し出した手の意味は、そういう人間や動物の抱えている本能や機能では決してない

 

 彼女はそんな性的欲求とは関係なく私に感情をむけてくれた。


 あぁ……この関係を求めていたんだ。


 私も相手も人間のままでいられて、それでいて性愛や衝動に支配されない関係性。


 人も、性も、全てが関係のない特別で純粋な繋がりを……求めていた。


 今なら神様なんて曖昧なものを、手放しで信じられる。


 それくらい彼女のプロポーズには心が弾んだ。


 ————本気であってほしいな。


「いいね結婚。しようか」


 そして少しだけ、私は縋るように手を取った。

 彼女の丸く綺麗な目を見つめる。


 お願い。離れないで、私と一緒にいて。


 私の中の突拍子もない願いを叶えてほしい。


 私はその言葉がこの場を乗り切るための嘘じゃないことを願った。


 彼女は直感とか運命とか、そういうものを信じて行動してるらしい。


 その彼女の生涯の中にある運命という枠組みに私がハマったんだろう。

 それがとても嬉しかった。


 人間とか、動物とか、愛とか、恋とか、そんなものを超越した始まりだった。

 私が私であるということだけで、彼女は私を選んでくれた。


 それが彼女の言う運命なのか。

 赤い糸、天の啓示、なんでもいい。

 

 とにかくきっと……彼女の心で動く長針と短針は何かを指し示すように私で重なったんだ。


 なら彼女の行動はそんな運命の導きであってほしい。


 本気でそう思ってくれたのなら、私はどこまでもついていく。

 ついていきたい。


 プロポーズで指針をくれた。

 私は明確にその瞬間に救われた。


 そしてその時……本気で彼女に恋をしたんだ。


 この関係から絶対に離れない。

 絶対……離れたくない……。


 彼女がいなくなってしまったら、きっと私はもう誰にも心を開けなくなる。


 プロポーズされたその瞬間に、私の運命は全て空井聖に差し出すと決めたんだ。


 これから先、きっと何があっても、これだけは生き方としてブレることはないだろう。

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