久坂玄瑞という男




久坂様の助けもあり、伊東安兵衛を雪華堂に運ぶことが出来た。



『弥七さん、今日は遅いから帰りなさい。 母君がきっと心配していることでしょう』



「うん…分かったよ」



弥七を帰らせて、布団に寝かせた伊東様の顔を覗く。



『…うん、大丈夫』



相変わらず血の気がない顔をしているが、じきに目を覚ますだろう。



「…ここが、皐月さんの診療所ですか」



久坂様はそう言いながら、網代笠を外した。

丸行灯まるあんどんに照らされて露わになったその顔。



すっと整った鼻筋に、薄い唇。 上がり眉の下は、切れ長の双眸そうぼうがこちらを見ていた。



笠に隠れていて気が付かなかったが、藩医の証である坊主姿。

それでも噂に違わぬ美貌で、むしろその髪型が顔を引き立てているとさえ思えた。



藩医は頭を丸めるが、帯刀は許されていて、彼の左腰には 兄 久坂玄機の形見だという大刀が携えられていた。



『ええ…ここでは町人も、武士も、花街の女性も…皆、平等に診ています』



「先程、伊東くんの縫合を見ました。 …貴女ほどの腕なら、武家から声がかかりそうですが」



武家専属の医者となれば、給金も今とは比べものにならないほどたくさん貰えるだろう。

だが、公家出身の皐月にとって、お金を稼ぐことは重要でなく、そのために医者をしているわけでもない。



『…稼ぐことに、興味はないのです。 私はただ、私を必要としてくれている人のために動きたいのですよ』




「素敵な考えですね、同じ医者として考えさせられました」



久坂様はそう言って、伊東安兵衛に視線を落とした。




「……ゔっ……」



『……あら』



「…………こ、…こは……」



全身が痛むのか、呻き声をあげて目を覚ました。

身体はほとん晒木綿さらしもめんで巻かれていて、自由が利かない身体はまるで芋虫のよう。

視線だけを宙に彷徨さまよわせ、私と久坂様の方を見た。



「く…久坂先生っ……貴女、は…」



『ああっ…動いてはいけませんよ。 背中の傷が開いてしまいますから』



「背中…………ああ…」



襲われた時のことを思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をした。



「誰に襲われたか分かりますか?」



「おそらく佐幕派の人間だと思いますが…顔までは…」



「そうですか…」



久坂様は顎に手を添え、考え込んでいた。



「今は安静にしてください。 …それと、こちらの女性は皐月さんと言って、医者をしており、貴方の傷の縫合をしてくださったのですよ」



久坂様が代わりに説明をしてくれた。



「貴女が……かたじけない」



『いえ……傷がよくなるまでは、ここで安静していましょう』



私はそう言って、布団をかけ直した。



『長州藩邸に、知らせなくてはいけませんね』



三条大橋近くにある長州藩邸。

長州藩に知らせずに預かることははばかられる。



「僕がその旨、伝えましょう。 そのために捜していましたから」



やはり、三条大橋で出会ったのは偶然ではなかった。

何かと敵の多い藩だ。 行方が分からなかったりすれば、すぐに捜索があるのかもしれない。



『では、よろしくお願い致します』



「はい…すぐ戻ります」



久坂様はそう言うと、網代笠を被り直し 診療所を出ていった。





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