第74話 副団長と偶然と

副団長と偶然と

王都の北にある古びた倉庫街。

薄暗い建物の中に、灰色の外套をまとった一団――灰紗(はいしゃ)が集まっていた。

中央に立つ頭目が、声を低く響かせる。


「風も、音も、光も潰された。ならば次は――街全体を揺らす」


布包みが開かれ、並べられたのは火薬樽、油壺、火打ち石。

それらには「麦」や「香油」といった偽の印が付けられている。


「狙いは迎賓館だ。周囲に偶然の火事や混乱を起こせば、王国は聖女を“移さざるを得なくなる”。移動すれば……我らの勝ちだ」


若い灰紗が問いかける。

「……副団長が邪魔をするのでは?」


頭目は唇を歪めて笑った。

「あの男は“偶然で潰す”。ならば街そのものを偶然で覆い尽くしてやればいい」


彼らは頷き合い、夜の街へ散っていった。



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翌朝。王城の会議室。

机の上の王都地図に、小石が次々と置かれていく。


「麦印の樽が急に増えています。香油の仕入れも三倍以上。どう見てもおかしい」

シリルの報告に、グラハム団長は腕を組んで唸る。

「狙いは迎賓館周りで火を起こし、市民を混乱させることだろうな」


クラリス王女はきっぱりと結論を下す。

「――聖女は移しません。ここで守ります」


「護衛は散らして配置しましょう。固めれば逆に狙われます」

シリルが補足する。


グラハムは頷き、重い声で言った。

「問題は“偶然”に対処できるかどうかだ。副団長を市内に歩かせろ」


レオンは少し目を丸くする。

「……俺、歩くだけで役に立つのか?」


「はい。街が落ち着きますから」

シリルの即答に、クラリスも静かに頷く。

「副団長。お願いします」


レオンは肩をすくめて立ち上がった。

「……はいはい。散歩に行ってきます」



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市場の通り。

朝の熱気に包まれた中、レオンは焼き鳥をかじりながら歩いていた。


そのとき、少年の蹴った革球が転がり、樽の列にぶつかりそうになる。

レオンは球を軽く指ではじき返し、樽の前で止めた。


「すげえ!」「魔法みたい!」

「ちがう。ただの指先だ」


だが、倒れるはずだった樽は倒れず、火薬が仕込まれていたことを誰も知らないまま「副団長に守られた」と噂が広がっていく。


次は猫だ。

路地で油壺にひっかかりそうになった猫を抱き上げると、ちょうど壺の紐が解けるのを防いだ。

「ありがとう副団長様!」

「猫まで懐かれるなんて!」


レオンは苦笑いして猫を返す。

(俺はただ拾っただけだろ……)


さらに、屋台の火口の組み方に違和感を覚え、店主に「底板をずらせ」と一言。

それだけで炎の広がりは収まり、店主に感謝される。

「副団長様が通ったから火が鎮まった!」

「ちがう、ちょっとずらしただけだ!」


歩けば歩くほど「偶然」が潰れていく。

レオンは串をもう一本齧りながら、頭の中でぼやいた。

(……ほんとに散歩で済んでるのか?)



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一方その頃、迎賓館。

廊下には掃除婦に扮した女騎士が立ち、扉の前には老衛兵。

配置はばらばらに見えて、実は「群衆が自然に止まる」よう計算されている。


部屋の中では聖女が窓辺に座り、祈りを捧げていた。

指先の雫がきらめき、少しずつ心を落ち着かせていく。


(……外の騒ぎが、少しずつ静かになっていく)


まるで誰かが外で整えているような感覚。

彼女は胸の奥で、副団長の姿を思い浮かべていた。



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昼過ぎ。

灰紗たちは一斉に動いた。


荷車の軸が折れて「麦印」の樽が倒れる。

香油の屋根布が風に煽られてランプにかかる。

祈祷の鐘と太鼓が一斉に鳴り、人々は「火事だ!」と走り出す。


「逃げろ!」

群衆が迎賓館から遠ざかるように流れる。

それこそが狙いだ。


「散れ!」

グラハム団長が短く命じ、騎士たちは即座に分散行動。

槍で屋根布を払い、荷車を逆側に押し返し、鐘の音を抑える。

人々の流れが分断されずに済んだ。


一方、樽を運んでいた商人の前に、青い外套の男が立っていた。

「葡萄にしては軽いな」

レオンが樽を軽く叩くと、火薬仕込みの偽物だったことが暴かれる。


「副団長様が救った!」

「やっぱり見えてるんだ!」


周囲は勝手に盛り上がり、灰紗の計画はまたも失敗に終わる。



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