第14話 副団長逆恨みされる
王国騎士団の訓練場。
朝の陽光が石畳を照らし、武具の音が空に響く。
そんな中、訓練に勤しんでいた副団長レオンは、背後から何者かの視線を感じて眉をひそめた。
振り返れば、優雅な足取りでこちらへ歩み寄る一人の女性。
「レオン副団長、ご機嫌麗しゅうございます。今日も一段と精励されているようですね」
声をかけたのは、王女クラリス。
王家の血を引く高貴な女性でありながら、凛とした姿勢と穏やかな物腰で誰からも親しまれる存在だ。
「王女殿下……わざわざ訓練場に、何かご用でしょうか?」
レオンは苦笑しながら汗を拭い、姿勢を正した。
だがクラリスは、その問いに控えめな微笑みで答える。
「ご用などと――そんな堅苦しいものではありませんわ。ふと思い立って、様子を拝見したくなっただけですの」
「なるほど……またお忍びで。護衛の方々が泣きますよ」
「まあ、そんなに心配なさらないで。私、逃げ足にはちょっと自信がございますの」
そう言って口元に手を当てて微笑む彼女に、レオンは思わずため息を漏らす。
その仕草一つ一つが、可憐な花のように整っているのに、行動はどこまでが天然でどこからが計算なのか…困ったものだ。
「それにしても、副団長殿。お身体はご無理なさっていませんか? 先日もずいぶんお疲れのご様子でしたでしょう?」
「……気にかけてくださり感謝いたします。ただ、俺などより殿下の方こそ、日々の公務でお疲れでは?」
「お気遣いありがとう。でも私、あなたとこうして話していると、不思議と疲れが和らぐのですわ」
小さく笑みを浮かべながらそう告げる彼女の瞳は、柔らかな陽光を受けて煌めいていた。
「……もったいないお言葉です。」
「ふふっ、素直に喜んでくださればよいのに」
レオンの顔がほんのわずかに赤らむのを見て、クラリスは上品に口元を抑えて笑った。
そんな二人の様子を遠くから見ていた兵士たちは、思わず囁き合う。
「……また王女殿下がいらしてるぞ」
「お忍びでってレベルじゃないな、もう」
「副団長のこと、かなり気に入ってるらしいぜ」
「お近づきになりてぇなあ……あの笑顔で“ご機嫌よう”とか言われてぇ……!」
レオンは兵士たちの声を微かに耳にしながら、内心で頭を抱えていた。
(……ったく、クラリス殿下は何というか……上品すぎて逆に扱いづらいというか……)
そんな苦笑を浮かべながらも、クラリスの隣で静かに談笑を続けるレオンであった。
そしてそんな光景を見て怒りと嫉妬に狂う影があることに、その時はまだ誰も気がついていなかった。
――――――――――――――――――――――
王国騎士団詰所
あのクラリス様の微笑みが、あの下賎な平民の男に向けられたなどという事実さえなければ――
きっと今日という日も、穏やかで清々しかったに違いない。
グレイス・エルマーは、窓辺で静かに拳を握った。
その視線の先に広がる晴天は、彼の心の澱とは対照的すぎた。
「レオン・アーディル……」
その名を口にした瞬間、舌の奥に金属を噛んだような苦さが広がる。
王国騎士団副団長。成り上がり。前線上がり。どこかの村の、名もない男。
にもかかわらず、いまや老練な団長すら一目置き、王女クラリス殿下と並び立ち、笑う――。
「……冗談もたいがいにしろ」
机に置かれた銀製のインク壺が、きぃ、と音を立てる。
握った指先に力がこもり、透明な液が弾けて机を汚したが、グレイスは気に留めない。
「クラリス様が、あんな男に……心を許しているだと?」
そんなはずはない。
あの方は気高く、美しく、そして、正しくあられるお方だ。
ふさわしいのは誰か――選ばれるべきは、誰か。
(それは、私だ)
グレイスはゆっくりと息を吸い、己に言い聞かせる。
名門エルマー家の嫡男。将来の子爵。騎士養成学校を首席で卒業し、今は副団長補佐の任にある。
地位も、家柄も、剣の才も、すべて備えている。
……なのに、なぜ。
「このままでは……いつまで立っても私が騎士団長になれないではないか…!」
引き出しから、古い封書を取り出す。差出人のないそれは、数日前、突然届けられたものだった。
開かれた手紙には、こう記されていた。
> 《“あなた様には素質がある。王国を蝕む『偽りの正義』を暴きたいと願うなら、ぜひ協力を”》
“協力者”の正体は不明だ。しかし、そこに記されていた内容のいくつか――
例えば、レオン・アーディルが“王都奪還戦”で鹵獲された魔剣を素手で握り潰したという、にわかには信じがたい“事件”――それらは、明らかに機密情報だった。
(……やはり、あれはただの作り話じゃなかったんだな)
寒気のような興奮が、背筋をなぞる。
だが同時に、ぞくりとしたその感覚は、グレイスの中で奇妙な快感にすり替わる。
“使える”。
あの男を、王女の前から、騎士団の舞台から、完膚なきまでに引きずり下ろすことができる――!
「……模擬戦の、訓練内容を……少しだけ、変えてやろう」
にやりと笑い、グレイスはペンを取る。
訓練計画書。
その末尾に、控えめな“変更案”をすべり込ませる。
> 《模擬戦は連携戦術訓練とし、副団長には戦闘参加を禁じ、指揮官としての采配のみを担わせること》
《部隊編成は“魔導支援班”との連携強化を兼ね、実戦経験の浅い構成員を優先》
《地形条件は“視界の通りにくい密林模擬”を提案。天候設定は曇天・霧発生》
これで、あの男の“剣技”も、“個人の勘”も、封じられる。
あとは、レオン・アーディルが空回りし、統率もできず、部隊を混乱させて自滅するだけだ。
「ふふ……笑い者になるがいい……“名もなき副団長”め」
クラリス様の目には、もうお前など映らなくなる――。
その日。
王都の空は、絵のように青く晴れていた。
が、誰よりも澄んだその青が、グレイスの胸に刺すように痛いことに、本人だけが気づいていなかった。
陰湿で静かな、戦いが今、始まろうとしていた。
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