第12話 副団長訓練に励む

【帝国首都・宮廷 謁見の間】


しん……と静まり返る謁見の間に、紙のめくれる音が一枚だけ。

読みかけの報告書をぴたりと閉じ、皇帝は重い沈黙を破った。


「……は?」


言葉というより、呆れにも似た吐息。


彼の前に跪く側近のガイウスは、顔を上げることもせず、淡々と続ける。


「はい、間違いございません。“全員気絶、無傷で回収。矢は全て途中で逸れた”とのことです」


「……ガイウスよ…お前は、本気でそれが一切脚色のない報告だというのか?」


「現場に居合わせた偵察兵たちの証言も、完全に一致しております。加えて——」


「呪具の発動は?」


「ありません」


「魔導結界は?」


「兆候なし」


「干渉痕跡は?」


「ゼロです。“何も感知できなかった”と、魔導師たちは口を揃えております」


皇帝は、まるで胃の奥に炭を詰められたかのように、ズーンと眉間を押さえた。


「……つまりまとめると、“風が勝手に守ってくれた”……?」


「はい。“自然の加護”とも“奇跡”とも。正式な書類では、“副団長レオン・アーディルによる何らかの干渉”と記されております」


「ぼかしすぎて逆に怖いな……。何だそれ、“祈ったら守ってくれました”的な話か?」


そこへ、すっと女の足音が響く。

近衛隊所属、ユーフェミアが一歩前に進み出た。


「陛下。ですからこそ、私に王国への派遣をお許しください」


「お前までその“風の奇跡”とやらを信じるのか?」


「信じてはおりません。ただ……あの現象が“数値化できない力”であるならば、対話と観察が最も有効だと判断したまでです。正体がわからないのなら、まずは本人を見るべきです」


静かに言い切るユーフェミア。その背筋には一分の揺らぎもない。


そんな中、控えていたガイウスが、重たい声でぽつりと漏らした。


「……ユリウス殿は、いま床の間で、黙って剣を振るい続けております。精神の方も……かなり危ういようで」


「やめろ、その報告だけで胃が死ぬ」


皇帝はズン、と背もたれに体を預け、ずりっと顔を覆った。

皇帝の手のひらが、苦悩でぎゅっとこめかみを押す。


「よかろう。正式な“慰問・謝罪”名目で、再度使節団を派遣する。形式は文化交流。だが……」


「……“観察と警戒”が本命、ですね?」


「当然だ。代表者はお前、ユーフェミア。副官にルーデル・クレーマン。護衛には……騎士団から適任者を選べ」


そして、わざと一拍、重く間を置いた。


「──だが何よりも重要なのは、“レオン副団長を絶対に怒らせるな”という一点だ。これは命令だ。二の舞はもう見たくない……!」


「ははっ、畏まりました!」


──かくして、王国への“文化使節団”と称した、帝国の全神経を注ぐ情報収集部隊が結成されることとなった。


その根底には、奇跡でも風でもなく、


 「副団長ってなんなんだよ……」


という皇帝の切実な疑問と、猛烈な胃痛がある。



---


【王国騎士団・訓練場 同時刻】


「よーし、三本目終了! ちょっと休憩ねー」


木刀を軽く肩に担いで、レオン・アーディルは朗らかに笑った。

汗もほとんどかかず、呼吸も乱れていない。そう、完全に“涼しげな顔”である。


──その背後。


騎士たちが、魂の抜けたような顔で、芝生の上に転がっていた。


「ぜぇ……ぜぇ……副団長……ちょっと、質問……いいすか……」


「なんで……10メートル移動しながら素振り1000回とか言い出したんですか……」


「ていうか、朝から“やさしく慣らし運動”って言ってましたよね……!? 今、訓練柱が真っ二つなんですけど!?」


レオンはそんな嘆きをまったく気に留める様子もなく、にこにこと次の的を準備していた。


「やっぱね、朝はね、汗をかかないと一日が始まらないんだよね〜。素振り千本やると脳が活性化するんだよ。これ、ほんとオススメ」


「オススメのスケールがおかしいんですけど副団長おおおおお!!」


叫びにも似たツッコミが芝に吸い込まれていく中、レオンは目を細めてつぶやいた。


「さて……そろそろ“剣圧で落ち葉を正確に三枚だけ切る練習”でもしよっか〜」


「やめてぇぇええええ!!」


詰め所に戻る体力も残っていない部下たちの中から、誰かが泣きそうな声で叫ぶ。


「……この人が副団長止まりな理由、誰か説明してくれ……」


「神に聞いても無理だよ……」


──そんな声すらも爽やかに吹き飛ばす、レオンの“風”。

今日も王国は、騎士団副団長の天然すぎる脅威と無自覚さにより、揺れている。


 ――――――――――――――――――――――


 更にその翌日、早朝


 詰め所の裏庭。


そこには、朝露の残る地面を無慈悲に蹴散らしながら、ひとり素振りに励む男の姿があった。


「……はっ、はっ……ふっ!!」


振り下ろされる剣はまるで稲妻のように速く、重い。 その一撃一撃が風を切り、木々の葉を揺らすたびに、見守る騎士たちは背筋を震わせる。


「レオン副団長……やっぱり、えげつないわ……」


「一体何回目だ? 素振り……1000は軽く超えてるよな」


「いや、さっき一回、“あと1000回”って言ってたぞ……?というよりも昨日あんなに激しい訓練したのに…」


その場にいた全員が無言になり、次の瞬間、レオンの筋肉がきゅっと動いただけで、三人が無意識に姿勢を正した。


それほどの威圧感。


にもかかわらず、本人はあくまで涼しい顔だ。


「……んー、ちょっと軸がぶれたなぁ。昨日のほうが斬り込み深かったかも……シリルに見られてないうちに修正しとこ」


「うん、だいじょうぶ。まだ誰も見てない」


──いえ、見てます。めちゃくちゃ見てます。


茂みの陰や木の陰に隠れて、10人以上の騎士たちがこっそり見守っていることに、彼は気づいていない。


「でもこれが、レオン副団長の強さの秘密なんすね……日々の鍛錬こそ最強の近道……!」


「いや、でもそれだけで説明つくか……? アレだぞ? この前、巨岩を横に真っ二つにしてたよな?」


「“ズバンッ!”ってやつな。俺たちが一晩かけて動かせなかった岩を……木刀で……」


「つまり、あれか。副団長は素振り一回で斬撃飛ばすくらいまで鍛えたってことか……?」


「いやいやいやいや!? それもう剣の領域じゃないだろ!? 風属性の魔法戦士だろ、もはや!!」


騎士たちの間で、ざわめきと困惑と納得が交差する。


「……うーん、訓練量もすごい、動きもすごい、言動もまっすぐ……だけど……」


「やっぱりなんか、こう、“ズレてる”んだよなぁ……」


「“人外”って言っちゃダメなんだけど、ダメなんだけど……うっすら感じるよな、“種族の壁”……本当に人間か……?」


そのとき、レオンがふとこちらを振り返り、汗を拭いながらにっこりと微笑んだ。


「おはよう、みんなー! 今日も訓練、一緒にどう?」


「ひっ」


──反射的に四人が後ろに跳ねた。


「お、おう……ご、ご遠慮しまっす……」


「(あれを“気軽な訓練”と呼ぶ男……まじで何者なんだよ……)」


──それでもなお。


「でも、やっぱり……憧れるなぁ。あんなふうに強くなりたいって思うもん」


「だよな……理屈じゃないけど、心が震えるってやつだ」


──かくして、また一人、また一人と“レオン副団長に憧れる者”が増えていくのだった。


シリルの知らぬ間に、そしてレオン本人も無自覚のまま──

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