推しは世界を救えない──だから私がヒロインになる。
ソコニ
第1話あの日、推しが教室に現れた──でも、全校生徒が彼を嫌っていた
朝のホームルームが始まる直前、教室の空気がざわついた。
私、天音そらは、いつものように窓際の席で、スマホの画面を見つめていた。そこには、二年前の動画が映っている。何度も何度も繰り返し見た、私の"推し"の姿だった。
『みんな、今日も一日がんばろうな! 俺も全力で走るから!』
画面の中の白河光は、まばゆいほどに輝いていた。
でも、それはもう過去の話。彼は一年前に突然姿を消して、それきり──
「おい、聞いたか? 転校生が来るらしいぞ」
「マジで? この時期に?」
「なんか訳ありっぽいよな」
クラスメイトたちの噂話が耳に入ってきた。私はため息をついて、スマホをしまう。
転校生なんて、別に珍しくもない。この学園は全国から生徒が集まってくるから、年度途中の編入もよくある話だ。
担任の山田先生が教室に入ってきた。いつもののんびりした顔じゃない。なんだか緊張している?
「えー、今日からこのクラスに転校生を迎えることになった。入ってきてくれ」
ドアが開いた。
そして──私の世界が、音を立てて崩れた。
白河光。
私の推し。
画面の中でしか見たことのなかった彼が、そこに立っていた。
でも、何かがおかしい。
教室中の空気が、一瞬で凍りついたのだ。
「は? マジかよ……」
「うわ、最悪……」
「なんでうちのクラスに……」
ひそひそ声が、まるで悪意の波のように広がっていく。
私は混乱した。なぜ? どうして? 彼は人気者だったはずなのに。
「白河です。よろしく」
光の声は、動画で聞いていたものより、ずっと小さくて、力がなかった。
顔を上げることもなく、ただ機械的に頭を下げる。
その瞬間、前の席の女子が振り返って、私に向かって言った。
「天音さん、隣の席、空いてるよね? かわいそうだけど、我慢してね」
かわいそう? 私が?
光は、私の隣の席に座った。
近い。推しが、手を伸ばせば届く距離にいる。
でも、嬉しさより先に、違和感が胸を締め付けた。
休み時間になると、クラスメイトたちが遠巻きに光を見ていた。
誰も近づこうとしない。まるで、触れたら何か悪いことが起きるみたいに。
「ねえ、知らないの?」
親友の藤崎アオイが、心配そうな顔で私の席にやってきた。
「何を?」
「白河光よ。あの事件」
「事件?」
アオイは声をひそめた。
「去年、前の学校で大変なことがあったらしいよ。詳しくは知らないけど、なんか……魔力が暴走して、えらいことになったって」
魔力。
そう、この学園には表向きには公表されていない、特別な一面がある。
選ばれた生徒たちが、特殊な力──魔力を使えるようになるという。
「でも、光くんは人気者だったはず……」
「だったって過去形でしょ。今は違う。『無力』って呼ばれてるらしいよ」
「無力?」
「魔力がゼロ。誰も応援しないから、力が出ないんだって」
応援? 魔力?
頭の中で、バラバラのピースが繋がらない。
昼休み。
光は一人で屋上への階段を上っていった。
私は迷った末に、後をついていく。
屋上のドアを開けると、光がフェンスにもたれて空を見上げていた。
近づこうとした瞬間、彼が口を開いた。
「ついてくるな」
冷たい声だった。振り返りもしない。
「あの……私……」
「知ってる。天音そら、だろ? 隣の席の」
「うん」
「俺に関わるな。お前のためだ」
なんて言えばいいのか分からなかった。
『あなたの動画、何百回も見ました』なんて言えるわけがない。
『あなたに救われました』なんて、重すぎる。
「……ごめん」
そう言って、私は屋上を後にした。
階段を降りながら、涙がこぼれそうになった。
放課後。
教室には私と光だけが残っていた。
彼は、ただじっと机に向かっている。何をするでもなく、ただそこにいる。
私は意を決して、メモ用紙を取り出した。
震える手で、ペンを走らせる。
『はじめまして。突然ごめんなさい。
でも、伝えたくて。
私、あなたの動画に救われた一人です。
二年前、学校に行けなくなった時、
あなたの「今日も一日がんばろうな!」って言葉で、
なんとか外に出られるようになりました。
今、あなたがどんな状況でも、
私にとってあなたは、ヒーローです。
天音そら』
書き終えてから、何度も読み返した。
重い? 気持ち悪い? 迷惑?
でも──
光が席を立った瞬間、私はメモを彼の机にすべらせた。
彼は一瞬立ち止まったが、振り返ることなく教室を出て行った。
私も慌てて帰り支度をして、教室を飛び出す。
もう顔を合わせられない。
家に帰って、ベッドに飛び込んだ。
スマホを開くと、久しぶりに光のSNSアカウントが更新されていた。
『今日、机の上にメモがあった。
ありがとう、と言うべきなのかもしれない。
でも、もう応援はいらない。
誰の期待も背負いたくない。
俺はもう、ヒーローじゃないから』
画面がにじんだ。
涙で。
でも、気づいてしまった。
彼は、メモを読んでくれた。
捨てずに、読んでくれた。
明日も学校に行こう。
明日も、彼の隣に座ろう。
だって私は、彼のファンだから。
世界中が彼を否定しても、私だけは──
スマホを握りしめて、私は小さくつぶやいた。
「私が、あなたのヒロインになるから」
窓の外では、星が静かに瞬いていた。
明日はきっと、もっといい日になる。
そう信じて、私は目を閉じた。
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