第6話‐3


《心の階層(ハート・フロア)》。王に挑むため、塔伐者がその力を試される最後の関門。


 ここには《兵》も《衛》もいなければ、階段も存在しない。最上階へ登る手段はただ一つ。


「――見つけたぜ」


 逆巻くブリザードを踏破し、白銀の竜巻の“目”に到達した竜秋は、凪いだ雪原の中央に立つ人影に竜爪を突きつけた。


 サムライのような浅葱色の袴に身を包み、腰に刀を携えたその人物には、貌(かお)がなかった。戦闘服から露出した、手、首、顔――その全ての皮膚が、「世界一黒い塗料」を塗布したように、吸い込まれそうなほど、黒い。目も口も鼻もその凹凸でしか存在を確認できず、その顔が竜秋の方を向いても、果たして目が合っているのかも分からなかった。


「ヤバい気配のする方へ、とにかく進んで見るもんだな」


『――ヨウコソ、客人』


 竜秋の背筋に、氷を落とされたような悪寒が走る。男の開いた口だけが、血を溜めているように赤かった。喋った――二重三重にハウリングするような不思議な声だが、若い。竜秋とそう変わらない、十代の少年の声に感じた。


「客? まさか歓迎してくれんのか、嬉しいね」


『客人ハ丁重ニモテナスヨウ、王ニ言ワレテイル』


「どうすりゃ王に会える?」


『私ヲ倒セバ』


「そうかよ。やっぱ、あんたが《将(ジェネラル)》だな」


 サムライは応えない。将――《王》の右腕にして、《心の階層》の番人。この階層を抜け、最上階へ進む手段は、将の討伐をおいて他にない。


 外周を渦巻くブリザードが覆う、直径十メートルの闘技場で、両者、同時に腰を下ろす。


 踏み込みの衝撃で二塊の雪が爆ぜた。中空で衝突する棍と刀。刹那、受け止めた敵の刃から白い衝撃波が駆け抜ける。横に逃げた竜秋の残像を、敵の刀から生まれた冷気の津波が呑み込んだ。無法のリーチと威力を誇る氷結の斬撃――人並外れたギフトの規模でいて、速度、パワー共に竜秋以上。冗談じゃない、こんなのにどうやって勝てというのか。


 毒づきながらも頭を回し、目は敵の弱点を探し続ける。理不尽なまでの強さ――桜から学んだ「理」の法則に従えば、強すぎる力には何か代償があるはずだ。


 たとえば――すごく、脆いとか。


 竜秋の描いた推測を、次の瞬間に確認して見せるように。分厚い吹雪の壁を貫いて飛来した桃色の光線が、横合いからサムライの脳天をぶち抜いた。


 氷像をハンマーでぶっ叩いたような、荘厳な破砕音が響く。頭を失ったサムライは仰向けに倒れ込むや、全身を雪に変えてボロボロに崩れてしまった。


「ナイス恋……変態ショット」


 百メートルも離れた小高い岩場に身を潜めているはずの相棒に最大級の賛辞を贈る。一メートル先すら見えない雪に猛烈な風――ホークアイは理力を消費することでスコープに熱源探知機能を短時間付与できるが、それでもこの環境で一撃ヘッドショットは神業というしかない。


「……?」


 かつてサムライだった雪の塊を見下ろし、僅かな違和感に息を詰める。敵は崩れて死んだのに、張り詰めた空気が、強敵の気配が、消えない。


 背後。


 動物的な反応で振り返った竜秋が見たのは、刀を振り上げる無貌の剣士だった。間一髪横に飛んだ竜秋の足を極寒の斬撃が掠め、靴先を凍りつかせる。


「なんで、生きてるッ!?」


 無言で前傾するサムライの圧力に、竜秋の重心が下がる。真横に振るわれた一閃を辛うじて屈んで回避。頭上で空間を裂くような轟音が唸る。下段を払った竜爪を軽々と跳び越え、サムライはもう振りかぶっている。竜秋を上回る身の軽さ、回避も至難の剣速、そして、ガードすら許さない大氷結の斬撃――おい、待て、これはヤバイ。


 生きた心地のしない回避を続ける竜秋の、頬、手の甲、肩口を、刀のリーチを倍増させる氷結のギフトが凍らせていく。平らだった雪の闘技場には蒼い氷の華が咲き乱れ、竜秋の流血を吸って赤く膨らむ。深い雪に足を取られながら懸命に躱し続け、隙あらば反撃を差し挟むが、いとも容易く応じられてしまう。


 異常な身体能力。規格外のギフト。そして、不死身。身体の脆さなど、なんの気休めにもならない理不尽な強さ。これが、将――そんなわけないだろ。諦めるな、投げ出すな、まだ死ぬな! 何かあるはずだ。何か、この不条理を成立させているカラクリが!


 サムライの振りかぶった刃に悍ましいまでの白い冷気が纏わりつく。クソ、クソ、クソ! 考える余裕がねぇ!


「竜秋!!」


 耳を疑った。猛吹雪の壁をぶち破って転がり込んできたのは、身を潜めていたはずの恋。自分から接近して姿を晒すなんて、スナイパーとしてこれ以上愚かな行動はない。サムライの黒い貌が動き、標的を竜秋から恋へ移す。


「あたしを思いっきり空へ飛ばして!」


「は!?」


 説明を省き、恋は既に巨大な狙撃銃を担いでこちらに向かって全力疾走していた。その真っすぐな眼差しに射抜かれ、竜秋は全ての疑問を信頼に変えて竜爪を放り投げ、両手をバレーのレシーブ体勢のように組んで腰を落とした。


 跳び上がった恋の靴底が手の中心に乗る。見つめ合い、呼吸を合わせ――


「行けェッ!!」


 肩口から血が吹き出るのも構わず、竜秋は全身全霊で両腕を振り上げた。恋の細長い身体が弾丸の如く撃ち出され、吹雪の彼方に消える。





 冷気を切り裂き、猛吹雪の網を突き破って、恋は雲一つない蒼天に身を躍らせた。


 眼下には凄まじい光景が広がっていた。世界まるごと、地表が白い台風に覆われている。その中心、“目”の部分にいるのが竜秋とサムライ。


 やっぱりだ。雪が降っているのは地上十メートル程度まで。あれほど吹雪いているにしては、空に太陽が見えるのが妙だと思っていたのだ。


 極寒の冷気が嘘のように消えた、いっそ暑いほどの青空の中でくるりと反転し、恋は銃口を真っ直ぐ、白く燃える太陽へ向けた。


『私ヲ倒セバ』


不気味にハウリングするサムライの声は、百メートル離れた吹雪の中でもハッキリ聞こえた。薄気味悪く歪んだ音となって。つまり、あのサムライは《将》じゃない。


 細めた視線の先で燃える太陽。よく見るとそれは、地上三十メートルほどの低空を漂う小さな光球だ。とてつもない熱エネルギーを蓄えた、物言わぬ生命体である。


「あんた、嘘つきだね」


 微笑んだ恋の指が撃鉄を引く。鋭い発砲音に押し出され、桃色の光芒を引いた一閃の弾丸が過たず光球を撃ち抜いた。刹那――目を開けていられないほどの光が、世界を白く塗り潰した。

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