第5話 過去の影、迫り来る脅威
ユズを助けて以来、私の心には、
小さな、しかし確かな変化が生まれていた。
それは、感情を捨てたはずの私にとって、
理解しがたい、温かい揺らぎ。
私は、その変化に戸惑いながらも、
いつも通り、任務をこなし続けた。
ギルドでの私の評価は、さらに高まった。
「ゼロは、どんな任務でも確実にこなす」
「あいつに任せれば、失敗はない」
そんな声が、聞こえてくる。
だが、その一方で、
私を警戒する視線も増えていた。
特に、町の外れで目撃されたという
「東方の人間」の噂が、
私に影を落としているようだった。
ある日の夕方、私はギルドからの帰り道、
見慣れない男に呼び止められた。
黒いローブを纏い、顔をフードで隠している。
その姿は、この世界の住人とは異なる、
異質な雰囲気を纏っていた。
「ゼロ、いや、雨宮凛、だな?」
男の声は、低く、冷たかった。
私の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
感情を捨てたはずの私が、
恐怖に囚われている。
「お前を、探しに来た。」
男は、フードの奥から、
私を射抜くような視線を向けてきた。
その瞳は、あの男と同じ、
感情のない、冷酷な光を宿していた。
私は、すぐに理解した。
彼は、私の過去を知る者。
私を「抹消」した組織の人間だ。
逃げなければ。
私の身体は、本能的にそう判断した。
私は、男に背を向け、走り出した。
町の路地裏を、全速力で駆け抜ける。
男は、私の後を追ってくる。
その足音は、まるで影のように、
私にぴったりと張り付いていた。
私は、魔道銃を構え、
振り返りざまに発砲した。
パンッ!
しかし、男は、まるで幻影のように、
その場から消え、
私の銃弾は、虚しく壁にめり込んだ。
「無駄だ。お前の動きは、全て把握している。」
男の声が、背後から聞こえる。
私は、焦燥に駆られた。
このままでは、捕まる。
捕まれば、またあの場所へ。
二度と、あの絶望を繰り返すわけにはいかない。
私は、町の外れにある森へと逃げ込んだ。
森の中は、夜の闇に包まれ、
視界はほとんどない。
しかし、私には関係ない。
暗闇は、私の味方だ。
私は、木々の間を縫うように走り、
男の追跡を振り切ろうとした。
だが、男は、まるで私の動きを
先読みしているかのように、
私の行く手を阻む。
私は、追い詰められていた。
その時、私の脳裏に、
ユズの顔が浮かんだ。
あの純粋な笑顔。
「ゼロさん、ありがとう!」
私の心を揺さぶった、あの言葉。
私は、感情を捨てたスナイパー。
誰とも関わらず、一人で生きていく。
そう決めたはずなのに。
なぜ、今、彼の顔が。
男が、私の目の前に立ちはだかった。
「諦めろ。お前は、もう逃げられない。」
男は、ゆっくりとフードを下ろした。
そこに現れたのは、
あの男とは違うが、
同じ組織の人間だとわかる顔。
冷酷で、無感情な表情。
私は、銃を構える。
最後の抵抗だ。
その瞬間、森の奥から、
小さな光が、私と男の間を通り過ぎた。
ヒュン、という風を切る音。
それは、ユズのクロスボウの矢だった。
矢は、男の足元に突き刺さる。
男は、驚いたように目を見開いた。
その隙に、私は男の懐に飛び込み、
魔道銃の銃床で、男の頭部を強打した。
男は、呻き声を上げ、その場に倒れ込んだ。
「ゼロさん! 大丈夫!?」
ユズが、息を切らしながら駆け寄ってきた。
彼の顔は、心配と、
そして、安堵の表情に満ちていた。
「なぜ、ここに?」
私は、感情のない声で尋ねた。
「だって、ゼロさんが一人で危ない任務に
行くって聞いたから、心配で……」
ユズは、そう言って、
私の顔を覗き込んだ。
その瞳は、私をまっすぐに捉えている。
彼の言葉が、私の心の奥底に、
温かい波紋を広げた。
心配。
私を、心配してくれた?
感情を捨てたはずの私に、
そんな感情が、向けられるなんて。
私は、倒れている男を見た。
気を失っているようだ。
この男を、どうするべきか。
組織に引き渡せば、
また私を追ってくるだろう。
殺すか?
いや、それは、私の本意ではない。
私は、ただ、静かに生きたいだけだ。
「この人、どうするんですか?」
ユズが、不安そうな声で尋ねた。
私は、少し考え、
「ギルドに引き渡す」
と答えた。
ユズは、驚いたように目を見開いた。
「でも、ゼロさんを追ってきた人ですよね?」
「……そうだ」
私は、短く答える。
「でも、殺す必要はない。」
私の言葉に、ユズは、
少しだけ、安心したような顔をした。
私は、男を縄で縛り、
ユズと共にギルドへと戻った。
ギルドの受付で、ティナが、
心配そうな顔で私たちを迎えた。
「ゼロさん! ユズ君!
無事でよかったわ!」
ティナは、私たちの無事を心から喜んでいるようだった。
私は、男をティナに引き渡し、
事の顛末を簡潔に説明した。
ティナは、男の正体を聞いて、
顔色を変えた。
「まさか、あの『記録消去罪』に
関係する者だったなんて……」
彼女の声には、驚きと、
そして、僅かな怒りが混じっていた。
ティナは、すぐにギルドの奥へと男を連れて行った。
私は、ギルドの壁にもたれかかり、
静かに息を吐いた。
ユズが、私の隣に座った。
「ゼロさん、俺、ゼロさんを助けられて、
本当に嬉しかったです!」
ユズは、満面の笑みで言った。
その笑顔が、私の心を、
じんわりと温めていく。
私は、何も答えることができなかった。
ただ、その温かさを、
静かに感じていた。
感情を捨てたはずの私の中に、
確かに、新しい何かが芽生え始めている。
それは、かつて「雨宮凛」だった頃の私が、
感じていたかもしれない、
温かい、けれど、同時に危険な感情。
私は、それを認めたくなかった。
だが、少年の純粋な言葉は、
私の冷え切った心を、
少しずつ、溶かそうとしていた。
私は、ユズの頭に、
そっと手を置いた。
ユズは、驚いたように顔を上げた。
私の手は、冷たい。
けれど、その冷たさの中に、
微かな温かさが宿っている。
「……ありがとう」
掠れた声で、私は呟いた。
それは、私がこの世界に来てから、
初めて発した、感情のこもった言葉だった。
ユズは、私の言葉に、
目を大きく見開いた。
そして、嬉しそうに、
満面の笑みを浮かべた。
その笑顔が、私の心を、
さらに温めていく。
私は、その温かさに、
少しだけ、怯えを感じた。
この温かさは、私を弱くする。
そう、私は知っている。
だが、同時に、
この温かさが、
私を、人間らしくしていくような、
そんな感覚も、あった。
私は、夜空を見上げた。
満月が、静かに輝いている。
私の心は、まだ、揺れている。
感情を捨てたはずの私の中に、
芽生え始めた、小さな感情。
それは、私を、どこへ導くのだろうか。
私は、その答えを、まだ知らない。
だが、一つだけ、確かなことがある。
私は、もう一人ではない。
ユズという存在が、
私の隣にいる。
それが、私にとって、
どんな意味を持つのか。
私は、まだ、分からない。
けれど、この温かさを、
今は、ただ、感じていたかった。
夜風が、私の頬を撫でる。
それは、かつての冷たい風とは違う、
どこか、優しい風だった。
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