26

 次の日、ボクは重い足を引きずって登校した。

 今日はスマホを持って来ていない。

 今はスマホなんて見たくなかった。


 だから電源を切って、部屋の隅に放置してある。

 ……そんなことしたって意味はないと知っている。


 ボクが見なくても批判がなくなるわけじゃない。

 けれど他にどうしていいのかわからなかった。


 そうして学校にたどり着いて昇降口で上履きに履き替えていると……。

 どこかからヒソヒソとした話し声が聞こえてきた。

 なんとなく声が聞こえてきた方に視線を向ける。


 二人の女子生徒がボクの方をチラチラ見ながら会話をしていた。

 けれど、ボクが見ていることに気がつくと、さっと目を逸らしてどこかへ立ち去っていった。

 すると今度は別の二人組がボクの方を一瞥して、クスクスと笑いながら通り過ぎていった。


 その二組が本当にボクのことを見ていたかなんてわからない。

 もしかしたら他のことを話題にしていたのかもしれない。


 けれど……、ボクはチクリと胸が痛んだ。

 思わず胸に手を当ててしまう。



 瞬間、頭の中で昨日見たSNSの言葉たちがフラッシュバックした。



 胸が……。

 心の奥底からさらに強く痛みが噴き出してくる。

 ボクは胸を押さえて俯いたままその場から逃げ出すように教室へと急いだ。





  ◯



 授業合間の休み時間、ボクはずっと机に突っ伏して過ごした。

 寝たふりをして誰からも相手にされないようにしていたんだ。

 ほとんどの友達はそれでやり過ごすことができた。


 ……いや。

 もしかするとみんなSNSでのことを知っていて、気を遣ってくれたのかもしれない。

 ただし、朋絵だけは例外だった。


 休み時間の度に声をかけてきたり身体を揺すってきたりした。

 全部無視した。

 朋絵は当然怒っていたけれど、今のボクは彼女と喧嘩する気力がなかった。


 だから、無視をした。

 

 けれど昼休憩の時だけは教室からも逃げ出した。

 お昼を食べる気力も食欲も湧かなくて、人気のない場所をフラフラと歩いていた。

 ボクの気分とは裏腹に、遠い所から楽しげな声が微かに届く。


 それがまた嫌な気分にさせた。

 と、後ろから足音が聞こえてきた。

 そして、それと同時に――。


「晴希!」


 ――名前を呼ばれた。

 弱々しく振り返ってみれば、そこには麗寧がいた。





  ◯



「話が、あるんだ」


 そう麗寧は言った。

 相変わらずその瞳は綺麗で、輝きを放っていた。

 ボクはその眩しさに目をそらしてしまう。


「……なに?」


 自分でも言い方に棘があったと思った。

 けれど麗寧を前にした今、どうしてかイラつきが生まれていた。

 麗寧にも。


 そんな彼女の瞳から目をそらした自分にも。

 何もかもに対してイラついていた。

 だから言い直すつもりはなかった。


「大丈夫かなと思って」


 険のあるボクに対して、けれど麗寧は優しく語りかけてくる。

 それがまたボクをイラつかせた。


「……なにが」

「……ネットのことだよ。……君は朝から元気がなさそうだったから。気にしているのかと思ってね」

「麗寧には関係ないじゃん」


 ボクの言葉に何かを察したんだろう。

 麗寧は珍しく何かを言い淀んでいた。

 けれど、やがて麗寧は一つ息を吐いた。

 そして口を開く。


「あまり、気にしない方がいい」

「そんなの無理だ」


 気にするなという方が無理なんだ。

 そうやって目をそらしても何も変わらない。

 ファンの意見は消えることもなく存在したままだ。


 誰もボクを認めてくれないんだ。


「……やっぱり、誰もボクの王子様なんて求めてなかったんだ」


 今までだってずっとそうだった。

 今までは直接言われたわけじゃなかった。

 けれど、ボクはオーディションに落ち続けた。


 王子様役なんてずっとできなかったんだ。

 それはつまり。

 ボクには王子様役なんて向いていない。


 そう言われているのと同じだ。

 今回受かったのだって何かの手違いだったんだ。

 あるいは、演出家の綾瀬さんが麗寧の希望を尊重したのかもしれない。


 麗寧がお姫様をやりたいと願って、それを叶えるために代わりにボクを王子様にした。

 きっとそうに違いない。

 

「役者なんて……、目指さなきゃよかった」


 そうすればボクは誰にも否定されることはなかった。

 王子様への憧れなんて、忘れてしまうべきだったんだ。


「誰も求めていないなら……、ボクはもう――」


 もう演劇なんて辞めたい。

 ボクはそう言おうとして、けれど心を見透かしたように――。



「やめないでよ」



 ――麗寧がそう言った。

 その表情に切実さを感じた。


「私の憧れであり続けてくれるのだろう? 君には私の憧れでいてほしいんだ。……だから」


 ……なにが、『私の憧れ』だよ。

 そうやって言えばボクが満足するとでも思っているのか。

 そんなわけがない。


 その言葉はボクを苦しませるだけだ。

 もう、聞きたくない。


「……嘘つき」

「本当だよ」

「信じられない。だって誰がどう見てもボクより麗寧の方が王子様に相応しいじゃないか。自分より劣っている相手のことを憧れなんて……」


 思わず鼻で笑ってしまう。

 そんな幻想なんてあるわけがない。


「そんなこと、言えるわけない。……王子様に相応しくないくせに何言ってんだって、本当はバカにしてたんだ」

「そんなこと、思っていないっ。私は本当に君を憧れだと思って……」


 麗寧がボクの手を取ろうとして、ボクはそんな彼女の手を振り払った。


「麗寧はいいよね」


 ボクの言葉に、麗寧はショックを受けたように目を見開いた。


「え……」


 そんなふうに漏らす麗寧から、ボクは一歩距離を取る。


「望まなくても、ボクが望むものを手に入れられる。みんなが麗寧の王子様を認めてくれる。……ボクは、必死に手を伸ばしても手に入れられないのにっ」

 そんなの――。



「……ずるい」



 麗寧はよろめくように後退って、顔を俯かせた。

 ボクの心に棘が、刺さった。

 心の奥底に黒い靄が生まれた。

 それがボクのイラつきをさらに強める。


「……そう、か。私が……、君の邪魔をしていたのか……」


 ぽつりと、麗寧が呟いた。

 ボクは自分の左腕を強く握る。

 麗寧は寂しげな笑顔を見せて、もう一歩後退った。


「もうこれ以上、好きな人の邪魔はしたくない」


 麗寧がそう言って、……ボクらの関係が終わる気配を感じた。

 その時、だった。



「麗寧様の、好きな人……?」



 麗寧の背後に、朋絵が立っていた。

 朋絵がボクを見ている。


「あたし、ハルを探しにきて。それで……」


 朋絵は呆然としながら呟いた。

 ボクはその場から動けなくて……。


「ねえ、ハル。麗寧様。……どういうこと?」


 麗寧は何も言わなかった。

 ただ気まずげに顔を隠して、それから朋絵を素通りして立ち去っていった。

 朋絵は戸惑った様子でボクと、麗寧が去っていった方をチラチラと見るばかりだった。


 ……朋絵にバレてしまった。

 麗寧がボクを好きだなんて、バレてはいけなかったのに。


 麗寧のこと。

 朋絵のこと。


 その両方がボクを押し潰してくる。

 ボクはもう……、たえきれなくなった。

 ボクはその場に縫いついた足を引き剥がす。


「……ごめん」


 朋絵に一言告げて、ボクはその場から逃げ出した。


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