絶対なる魔王は明日を見ない

@y-yuk

序章

 ───そして魔王は滅びた。

 そんな終わり文句が真実として定着してから幾星霜経っただろうか。

 伝記とはあまりにも無神経で主観的である。

 所詮、人が書いたものではあるが、記録とは実に厄介だという事は身をもって理解した。名のある者が口にした事は偽りではなくなるのだから。

 だからこそ、誰かに何かを語ろうという思考は捨てた。当事者であることを伏せた。

 歴史として刻まれた以上、偽りを覆そうとしたところで何かが変わる訳ではない。

 変革を正義だと説いても、多数派にとっては個人的な悪逆でしかない。意地を通そうとしても悪足掻きにしか映らないだろう。

 無念と言えば無念である。

 自分にできる唯一の報いは一体なんであろうか。

 そんな考えばかりが過ぎる。


 ─────────

 ─────

 ──



「はぁ。惰性的に生きるのはどうかな〜って思って気晴らしに仕事に走っているけど……、どうして憂鬱ってもんは無くならねぇのかね?」


 ディアスは溜息を吐いた。

 吐きたくて吐いたわけではないが、どうしても憂鬱な気分が拭えず、気づけば零れていた。


「……て、てめぇ……。な、……っ何も、ん……だっ?」


 うん? と、ディアスは視線を下げた。

 足元には屈強な体格をした男が仰向けに倒れていた。苦悶の表情を浮かべて、呼吸が不安定に乱れている。指先だけ微かに動いているが、起き上がれる程の体力は無さそうである。


「何者って言われてもな」


 ディアスは屈んで男の手元に落ちた鍵束を拾う。

 鍵束の輪っかを摘んで、ジャラジャラと金属音を立てる。


「ただの運び屋だけど」

「は、運び、屋……だとっ?」

「ああ。ちなみに嘱託だ」


 呆気からんとした態度でディアスは聞いてもいない事を付け足した。


「て、めぇ……まさ、か……やつを、出すつもり、かっ?」

「ブツがここにある。だから取りに来た」

「っっ!! そ、れだけはっ……させ、ぬっ」


 屈強な男は起き上がろうと身体を奮い立たせる。

 しかし、その身体は一向に起き上がる事ができない。大量の汗の雫を垂らし、歯を食いしばる。だが、力んでも力んでも力が抜けていく。


「おお、頑張るねぇ。でも何度やっても一緒。あんたも見てたろ? お仲間さんが同じように這いつくばって芋虫みてぇになってるところ」

「ぐぅぅ……ぅぅう、っ」

「まあ、人間たまには肩の力抜いて生きなきゃ身が持たねぇって事だと思って」


 ディアスは軽い口調でそう言い、男の腹を2度叩く。大して力の入ってない心身を労うかのような軽いタッチの筈が、ディアスの手に触れた瞬間、男は地面に押し潰される。

 石造りの床に亀裂が走り、石の割れる音が鳴る。


「かはっ、ぁ、ぁ……………」

「そんなに力むから」


 男は意識を失い、それ以上何かを発することも動くこともなかった。

 ディアスは立ち上がり、後方に一瞥を投げる。

 ランプの灯りで照らされた石造りの廊下には、数十人の人間が倒れていた。血溜まり等は一つもなく、全員が気を失っている。


「はぁ。運ぶのが仕事だってのに、なんでこんな事までしなきゃならねぇのか」


 やれやれ、とディアスは首を振り、廊下の奥にある螺旋階段へと向かった。

 蝋燭で薄明るく照らされた階段を登っていく。上へと進むにつれて潮の香りが鼻を擽った。

 1番上まで登ると錠のされた扉に辿り着いた。

 手に入れた鍵束の鍵を1つ1つ鍵穴に差し、4本目でガチャリと解除の音が鳴る。

 ドアノブに手をかけ、扉を押す。ドアの軋む音と石を擦る音が響いた。

 部屋の中に足を踏む入れると、潮の香りに混ざって黴びた臭いが漂ってきた。

 部屋には照明はなく、壁をくり抜いて作られた通気口からの微かな月明かりだけが光源だった。陰に浸った部屋は質素と語るにはあまりにも色褪せていた。麻の布団と、角には藁が敷き詰められており、まるで動物が用を足すようにと敷かれた簡易的なトイレみたいなものがあった。

 人が住んでいるとは到底思えない。

 立ち込める異臭は悪臭と表現する他なく。

 とてもじゃないが部屋とは言えなかった。

 言うならば、牢。

 人を閉じ込め、人権と尊厳を奪う牢獄。


「……あいつらじゃないな。君は?」


 そんな牢獄の中で、月明かりに寄り添う人影が一つ。

 人影はジャラジャラと金属音を立て、中性的なか細い声で呟いた。その声からは焦燥も恐怖もなく、落ち着いた雰囲気だった。


「あんたをある場所に運ぶよう言われた者だ」


 ディアスは人影に向かって歩む。

 顔が見て取れる距離まで近づき、視線を合わせるようにその場に屈んだ。

 月明かりで僅かに視認できた顔立ちと声音から、恐らく男性だろう。年齢は定かでないが、凡そ20代後半ぐらいだろうか。声もそうだが顔つきも中性的で、線の細い身体をしている。痩せこけた身体は、まともに食事を取っていないからだろう。否、取らせて貰えなかったのだろう。

 保存食を分け与えるのも救いの1つかとも考えたが、ポケットにしまったパサパサのクッキーなど胃が受けつけるものだろうか。

 そんな考えが頭に過ぎり、少し我慢してもらって胃に優しい物でも食べてもらうのが利口かと結論付けた。


「運ぶ?」

「ああ。そう依頼をもらってな」

「……そういうこと。道理で下が騒がしいと思ったよ。……それで、誰からの依頼で君はここに?」

「それは守秘義務だ。……ただ、なんでもまぁ、あんたの頭の中に用があるんだとよ。詳しくは聞いてないが」

「そう。……そういう事なら拒否するよ」


 中性的な男は顔を伏せる。

 ディアスは不思議そうに目を瞬かせた。


「外よりここが良いのか? どう見ても好待遇されているようには見えねぇけど」

「どこに居たって一緒なんだよ。どうせ政権の道具として扱われるだけで、僕に自由なんてものはない」

「道具として扱われるにしても、丁寧に扱ってくれる所の方がまだマシなんじゃねぇかな?って思うんだが」

「……そこ、普通は同情するよ」


 中性的な男はディアスの飾り気のない態度に乾いた笑みを浮かべた。


「まあ、兎に角だ。聞いておいてなんだが、俺にはあんたの気持ちを汲む理由もなければ情もない。金を貰ってる以上、連れて行かないといけねぇんだ」

「……好きにしなよ。こんな状態の僕に抵抗なんてできるように見える?」


 ジャラジャラと音を立てて手足に枷られた鎖を見せられる。

 月明かりで薄らとしか見えないが、鎖の隙間から見えた肌には青黒い痣があった。最初は抵抗をしていたのだろう。そしていつしか無意味と悟って諦めたのか。

 不運なやつだ。ディアスは胸中でそう呟いた。流石に口にするほど鬼畜ではない。


「生きる意思があるなら、どんな状況でも抵抗はできる。逆を言えば、生きる事を諦めているやつはどんな状況でも抵抗しない」

「まあ、一理あるね」

「ただ不思議なのは、そういう奴ってのは大抵、死を望んでねぇ。誰かが助けてくれるのを待ってる」

「……何が言いたい?」


 少し低い声音で男は言った。落ち着いた雰囲気や冷静さは消え、目つきに少し棘がある。癇に障っただろうか。図星と言える反応だ。


「……いや、何か言いたいわけじゃねぇよ。生死を望むのは人のエゴかもしれねぇなって思っただけ。悪いね、訳分からない事を急に」


 適当に思いついた言葉を並べて誤魔化し、ディアスは男の手足の枷を奪い取った鍵を使って外した。

 男はふらつきながらも立ち上がり、手首を擦る。枷の重みが取れ幾分か軽くなったからだろう。手首に嵌められている事が当たり前になっていた故、無いことに違和感を覚えたのだろう。


「歩けそうか?」

「……なんとか。ところで、これから何処に連れて行く気なんだい? それも守秘義務?」

「あんたがこれから向かうのは、世界で唯一の巨大都市だ」

「……巨大都市。……もしかしてリ=アルム? 前に話を聞いた事がある。王を持たず、国としてあらず、掲げるは自由と平等」


 男は目を見開いてそう呟いた。驚きが瞳に宿っている。

 ディアスは頷き、扉に手をかける。


「ご名答。それじゃ、行こうか。世界の中心に」

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