第3話
◇
食事を終えると、義堂が食器を洗い、真白が拭いて片づけた。
それから風呂の湯が沸くまでのあいだ、なんとなくテレビでも見るか、と義堂が提案し、真白と共に茶の間へと戻る。
黒と朱のコントラストが印象的な民芸調のローボードの上に、奥行きのある古いブラウン管のテレビが据えられていた。ボードの引き出しには、時代の重みを感じさせる鉄の取っ手がついており、その風合いが空間に馴染んでいる。
真白がリモコンを押すと、テレビは、じり……と低い音を立てながらゆっくりと画面を明るくした。ローカル局のニュースが終わり、映し出されたのは賑やかな音楽と共に始まった人気お笑い番組──、『オレたちひょうきん族』。
ドタバタとしたやり取りに過剰な効果音、雑多でケレン味たっぷりの演出。
画面の中では、タケちゃんマンとブラックデビルたちが派手な扮装で体を張って笑いを取っている。
義堂と真白は座卓の角を挟んで座り、それを眺めていた。芸人の大げさなリアクションに義堂が「いや、それはやりすぎだろ」と苦笑し、真白が「たぶん、打ち合わせと台本通り」と小さく笑う。
そのときだった。
画面が唐突にノイズを走らせ、ピリピリと乱れた横縞が数秒だけ現れる。番組の音声もぷつんと切れ、代わりになぜか水の滴るような音がテレビから一瞬だけ漏れた。
台所からではなく、確かにテレビのスピーカーから。
……ぽちゃん。
真白が少し眉をひそめ、「今……、なんか音が……」とつぶやいたときには、すでに画面は元に戻っており、芸人の甲高い引き笑いがいつも通りに流れていた。
「……ん? 気のせいじゃね?」
義堂がそう言って軽く肩をすくめると、真白は「だよなぁ……」と呟いて、特にそれ以上は追及しなかった。
やがて、卓上にセットしておいたタイマーが控えめに鳴りはじめた。
「沸いたと思う。先、風呂入っていいよ」
真白はそう言って、手元のボタンを押し電子音を止めた。
義堂は「じゃ、遠慮なく」と笑い、立ち上がって浴室へと向かう。
やがて、カラカラと引き戸が開閉する音がして、その後すぐに、水の落ちる柔らかな音が遠くからかすかに響いてきた。
真白は麦茶の残りを飲み干し、ぼんやりとテレビの画面を眺めていた。
内容が頭に入ってくるでもなく、ただ映像と音が流れてくるのを見つめている。
窓の外は、すでに夜の闇に深く沈んでいた。都会には必ずあった遠くの車の音も人の気配も、ここにはない。木々も空も、すべてが黒い影に溶け込み、景色というより輪郭だけがそこにある。
ガラスに映る自分の姿と、窓の向こうの景色とがひとつに重なる。ここは現実になのか、幻想なのか、それすらも分からなくなってしまうような気がして、真白はそっとまばたきをし、静寂に抵抗するかのようにリモコンの音量ボタンをひとつ押した。
半時間ほどして風呂から戻ってきた義堂は、濡れた黒髪を無造作に乱したまま、首にタオルを掛けていた。
上半身は裸で、細身の体には無駄のない筋肉が浮かび、ところどころにまだ水滴が残っている。
その肌からは、湯気がほんのり立ちのぼっていた。
母親譲りの整った顔立ちは、こうして何も飾らないときほど目を引く。伏し目がちの横顔はどこか儚く、濡れた前髪の隙間から覗く切れ長の目が、妙に色気を帯びている。
真白は、ちらりと視線を向け、それから少しだけ目を逸らした。
「湯、ぬるめにしといた」
義堂が、何気なく声をかける。
「……サンキュ」
真白は短く返すと、立ち上がってそのまま浴室へと向かった。
脱衣所に入ると、木の香りが鼻をかすめた。床板は少しきしむが、その上に
服を脱いで浴室に入り、身体を洗ってからゆっくりと湯船に浸かる。ぬるめの湯が肩まで包みこみ、真白は長く息を吐く。
浴室の窓を開けると、湯気の向こうにかすかに湖が見えた。
水は、どこか吸い込まれそうなほど静かで暗い。
真白は、湯の中でそっとまぶたを閉じる。
なぜか胸の奥が騒いでいた。
古びた絵と、洋館と、湖と――。
思い出せない何かが、そこにある気がしてならなかった。
◇
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