第33話: スカーレットの花屋

二時間近くもあの話を聞き終えた頃、俺たちは頭の中に「?」を詰め込んだまま部屋を出た。

フアンはもう目を覚ましていて、まだ顔色は少し悪いものの、先ほどよりずっと生気を感じさせた。角のあたりに座り、落ち着いたリズムでアーマーを拭いている姿は、昔の癖のようで、彼にとっての拠り所なのかもしれない。


俺たちは準備を整え、エルフと他の種族が住む村を後にした。


――コツ…コツ…

村の境界線を越えた瞬間、俺は後ろを振り返る。


……何も、なかった。


建物も、灯りも、声も、すべて――消えていた。

ただの森だ。まるで最初から、村なんて存在しなかったかのように。


「……本当に魔法を使ってたんだな」


俺はぽつりと呟いた。


次の目的地は――人狼族の居住地。

森の静寂が徐々に濃くなる中、ポツリポツリと会話が生まれた。


「なあ、アリア」ロビーが俺を見た。「どう思う? あの話」


「どの話さ?」


「さっきのさ。あの人たちの話」


「……さあな」

俺は息を吸い、視線を逸らす。「でも……だんだん現実味が増してきてる」


「じゃあ、自分がアイギスだってこと、もう信じてるのか?」


「いや」

即答だった。「まだ…わからない」


「えっ、き、君が? ア、アイギスっ?!」

エリッサが目を丸くし、驚きと戸惑いの入り混じった顔で俺を見つめた。


「か、かもしれない、けど…」


そんな俺に、エリッサは一歩踏み出して、キラキラとした瞳で迫ってくる。


「ほんとうに?!」


「……た、多分」


「アイギスって、そんなに強いの?」


「そう聞いたけど……」


「彼らって、一体何者なの?」


今度は俺が黙った。が、代わりに口を開いたのは、彼女だった。表情が一気に引き締まる。


「アイギスは、神々に選ばれた七人の伝説の騎士たちよ」

「それぞれが神の力の欠片を受け継ぎ、世界に〈均衡〉バランス をもたらす存在。〈滅び〉ほろび が近づく時、彼らが現れる」


俺たちは無言で彼女を見つめていた。


「時代も、種族も、姿かたちも定まっていない。どんな世界にも、どんな種族にも生まれる可能性がある。でも、アイギスが現れるということは、この世界の〈崩れ〉くずれ が始まってる証拠でもあるの」


「……つまり、世界の防衛システムみたいなもんか?」ロビーが言う。


「そう。でもね――」

エリッサは少し顔を曇らせた。

「みんなが彼らを〈祝福〉しゅくふく だと思ってるわけじゃない。〈力〉ちから が大きすぎるせいで、それが〈呪い〉のろい にもなる。均衡を保つどころか、壊すこともある。だから…アイギスを止められるのは、アイギスしかいないの」


……ぞくり、とした。

聞けば聞くほど、心が沈んでいく。


「力の限界に達すれば、〈無限魔力〉むげんまりょく を生み出すこともできる。その力で、〈世界魔法〉せかいまほう――現実を書き換えるほどの魔法――が使えるのよ」


「魔力ってのは、命のエネルギー」彼女は続けた。「魔法の源。もしアイギスがそれを無限に持てたら……どうなるか、想像できるでしょ?」


俺はうつむいた。まるで自分の〈運命〉さだめ を読まされてるような感覚。


「それぞれのアイギスには固有の能力があるの。元素を操る者、異界から召喚する者、空間や時間を支配する者もいるわ。決まった形はない」


「でもさ…」俺は口を開いた。「クスワラさんは“同じ世界から生まれた七つ子”って言ってた。けど、エリッサは“七つの種族から選ばれる”って…」


「うん」彼女はうなずいた。「アイッザの歴史ではそう語られてる。でも…世界が違えば、〈真実〉しんじつ も違うのかもしれないわ」


「……それぞれの世界に、それぞれの物語があるってことか」


――ズキン

頭が痛くなってきた。


そして、ふと浮かんだ記憶――

あのオーガがフェイを見たとき、驚いていた。

まるで信じられない何かを見たような顔。

そして、クスワラさんが言っていた――彼は地球でフェイの曽祖母に会ったことがあると。数百年前に。


……ってことは――


「フェイ……」

俺は彼女を見た。

声が震えそうになるのを押さえながら、言葉を紡ぐ。

「遅いかもしれないけど…ずっと気になってたんだ。君と…その、おばあさんはどうやって地球に来たの? ネバダ・スカーレット…それが曽祖母の名前だったよね?」


フェイは大きな木の根っこにあぐらをかいて、どこかのスナックをもぐもぐしながら、気楽に振り返った。


「ネバダ・スカーレット?」


その声は、あまりにも軽かった。

だけど――次の瞬間。


「……っ」

エリッサの足が止まった。


目を見開き、肩を震わせ、呼吸が喉に詰まったような顔。

空気が一瞬で変わった。


「な、何て言ったの……?」

「ネバダ・スカーレットって、今…言ったの…?」


フェイはきょとんとしながら、軽くうなずいた。

「うん。どうかした?」


その時だった。


――ドサッ!


エリッサは突然、膝をついた。

泥だらけの地面も、俺たちの視線も、気にせずに。


彼女は片膝をつき、右手を胸に当て、頭を深く垂れた。

それは、最高位の〈敬礼〉けいれい。


「……無礼をお許しください、〈陛下〉へいか――」


その声は――震えていた。

敬意に満ちていた。

恐怖に染まっていた。

そして、驚愕に貫かれていた。


「……まさか、我らがそのお方と気づかなかったとは……スカーレット姫」


――姫?


俺は固まった。

目が見開かれる。


フ、フェイ!?

……姫?


姫、だと!?


あの――おとぎ話の――王国の――王冠の――青き血の――その、姫?!


バッと視線がエリッサからフェイへと跳ねた。

もう一度、そしてもう一度。

脳がその唐突すぎるパズルを必死に繋げようとする。

だが――


ぐにゃり

現実感が歪む。

すべてが、まるでバカげた冗談のようで、到底信じられなかった。


その時――


フェイはただ、こちらを見ていた。

そして、手元のスナックに視線を落とし……


もぐもぐ…

……彼女は咀嚼していた。

いつも通りの、あの無垢な顔で。


「ん〜? わたし、姫なの?」


首を傾げながら、空気に問いかけるように呟く。


おい……マジか……

これが夢じゃなければ、俺はもう――


「な、なにぃっ?!」


――ガタンッ!!


ロビーの絶叫が沈黙をぶち壊した。

彼は足をもつれさせ、フアンは手に持っていたものを落とす。


カランッ


俺は棒立ちのまま、胸の中の何かがストンと落ちたような感覚に襲われていた。


……フェイが。

あの、食いしん坊の。

あの、ぽやぽやしてる。

――あのフェイが。


姫――?


それも、本人は全く知らない?


エリッサは、まだ膝をついたまま、顔を上げた。

その目は震えている。


「……これで、すべて辻褄が合う……」

「顔立ち……名前……記録されていない存在……」


「もし、自分の素性すら知らないのなら……本物の、スカーレット家の直系に違いない……」


俺は思わず、足をもつれさせた。

未だにショックが収まらない。


フェイが……スカーレット姫……?


俺の人生、どうなってんだ。


その時だった。


エリッサが俺の方を、まっすぐ、鋭く見つめてきた。


「アリア」


「……な、なにさ」


「――刀を見せてもらえないかしら」


「……は?」


なんでそれを知ってる?

俺が刀を持ってることなんて、誰にも話してないはず――


「ただ、確認したいだけ」

エリッサの声はあまりにも静かだった。

静かすぎて、逆に怖い。


俺は唾を飲み込んだ。


「……わかった。でも、できるかどうかは……」


俺は空に向かって手を差し出した。


目を閉じる。

思い描く。

あの形。あの重さ。

斬るときの音。


……けれど。


……スカッ。


何も起きなかった。


手は、空っぽのまま。


「……チクショウ」

小さく呟いた。


「もう一度だけ」

エリッサの声は、まるで風のように柔らかく――命令のように鋭い。


俺は深く息を吸った。


――スゥ……


心を落ち着かせる。

雑音を切り捨て、心の奥に――探す。


何かを。


……その瞬間だった。


ヒュオォ……

空気が揺れた。


パチ、パチ…

小さな光が現れた。

空中に浮かぶ、立方体の粒子たち。


一つ、また一つと、俺の手の周囲に集まっていく。


そして――


ギュイイイイイ――ン……!


それらが、形を成す。

黒い――刀。


かつて折れた。

俺と共に戦った。

……そして、今、戻ってきた。


俺は目を見開いたまま、それを見つめる。

手が、わずかに震えていた。


エリッサの視線が、刀に注がれる。

その表情は……ただの驚きではない。

――何かを、思い出すような目。


「……ふむ」


「な、なに?」


俺の声はかすれていた。

だが、彼女の声は――まるで、遠い過去を引きずっていた。


「本当は……この話を誰にもしたくなかったの」

「知ってる者も、ごく一部しかいない」


そして、彼女はゆっくりと顔を上げ、俺たち全員を見渡す。


「……けれど、今ならもう、隠す理由もないわ」


……ゴクリ。


誰もが息をのんだ。

空気が、ピタリと止まる。


「特に――スカーレット姫の前では。そして……あなたの前でも」


「…………俺?」


名前を呼ばれたはずなのに、それが異様に重く感じられた。


エリッサは一歩、俺の方へと踏み出す。

その目は、俺だけを見据えていた――


まるで、真実の扉が、いま静かに開こうとしているかのように。

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