Confidential Girl ―TSして女の子になった俺と、懐いてた少年との新しい日常―

エイジアモン

1.少年の待ちぼうけ

「ただいま俺の家、まるで何年も離れてたような気分だ」


 お人形さんのようだと看護婦どもに無理やり着させられた白い長袖のワンピース姿の俺は、丁寧に整えられたうっとうしいほどに長い黒髪を後ろに払い、10日ぶりに帰ってきた自分の家を前に感慨にふけっていた。


 やっとあの辛い日々、身元確認から始まり、大量の書類に目を通し、試験を受け、検査と、そして何より看護婦どものおもちゃにされる日々は終わりだ。今日から俺は……女の子として……おんなとして……か。


 ――長く、大きなため息を吐いた。自分の手をじっと見る。


 瞳に映る自分の手はまごうことなき若い女の子の手だ。太くなくて、ごつごつしてなくて、力強さなど何処にも無い。これまでの36年の積み重ねは何処にいったのか、ピチピチの十代中頃、医者曰く――15歳の女の子、の手だ。


 俺は10日前にTS症を患った。簡単に言うと性別が逆転し、若返る症状だ。

 治る、つまり男に戻る見込みは――無い。


 TS症によって女の子になった事で、ほんの10日前まで確かに存在していた36歳男の俺は書類上には存在しているがこの世には実在しなくなった。

 代わりに今日からこの以前の自分の家で、ここに住んでいた以前の自分の遠い親戚の子として、15歳の女として新たに人生を始める。だけど人生を始めるって言ったって、36歳のおっさんにはハードルが高すぎるように思える。この春から高校生活を始める事になるが、若い女の話についていける気がしないし、そもそも女の子たちと感性が全く違うだろう。そう思うと気が重い、学校に行きたくなさすぎる。なんでまた高校生活を送らなければならないのか……。


◇◆◇


 と、いかんいかん。家の前でいつまでも中年男性が突っ立っていると不審者と思われかねない。とっとと愛しの我が家に……って、そういやもう中年男性じゃないんだった。とはいえ、若い女がこんなところにいたら違う意味で不審に見えるか。どちらにせよ早く帰るとしよう。我が家だけは俺が戻れる場所なんだ。


「――あれ?」


 家の鍵を取り出し、鍵を開けようとドアノブを掴んだら違和感があった。鍵が掛かっていなかった。そのまま回すとガチャリと音がして扉が開いた。 ――おかしい。出かける時に慌てていたとはいえ、確かに鍵をかけたはずだ。

 背筋に冷たいものを感じ、一瞬で頭が警戒モードへと切り替わる。


 10日間も留守にしていたんだ、泥棒が入っていてもおかしくない。家を荒らされ、金目の物が無くなっている可能性もある。

 それだけならまだしも、今も家に居座っている可能性もある、それがはっきりとするまでは慎重に行動しなければならない。


 ドアノブから手を放し、どうしたものかと思案していると ――バン! と勢いよく玄関の扉が開いた。誰かが扉を開け放ったのだ。

 泥棒か!?と身構えると、そこにはよく見知った顔があった。


「おかえりおじさん!! ……あれ?」


 その少年は扉を開け放つと同時に俺の頭上の空間、以前の俺なら顔があるはずの位置に向けてそう言った。

 少年はそのまま視線を降ろし、俺の顔を真正面から捉えて言葉を失った。

 みるみる顔を真っ赤に染め、顔を逸らす少年。うんうん、分かるぞその気持ち、大声で間違えたところを見られたら逃げたくなるくらい恥ずかしいもんなあ。


「……えーっと……き、君は?」


 少年は真っ赤なリンゴのように顔を染めたまま、それだけ口にした。

 うむうむ、恥ずかしさに耐えてよう頑張った。

 この15歳の、もうすぐ高校生になる少年は、我が家の隣に住むご家族の息子さんだ。なんだかんだでもう10年近い付き合いになる。初めて会った時はまだ幼稚園くらいだったのに、初対面の赤の他人に対して「君は?」と言えるようになるなんて立派になったものだ。

 と、感慨に耽っている場合じゃないな。


 ――さて、どうしたものか。


 俺が元”隣に住むおじさん”だということは秘密だ。それも国によって保証されている程度には。

 よっぽど身近で信頼出来る相手、例えば親か子供でもなければ明かしてはならない。そう決められている。それはTS症を患った者が新たな人生を迎えるために必要な措置、という事らしい。

 長年勤めていた会社にだって国家プロジェクトへの参加とかいう大層な理由で退社しているし、俺自身も新しい戸籍を作ってもらい、遠い親戚という事になっている。

 となれば、俺が取るべき反応は――。


「初めまして、私は”ゆうき”叔父さんの遠い親戚にあたる、”北条 悠木ほうじょう ゆうき”です。よろしくおねがいします」


 丁寧に自己紹介をし、少年に頭を下げる。

 やばい、自分で言ってて鳥肌が立ちそうだ。まるで女の子みたいな言い回しが気持ち悪く。似合わない。吐きそう。

 それと10日前の自分を恨んだ。なんで男の時と同じ名前にしたんだ。あの時の謎のプライド「俺は悠木、他の誰でもない!」 とか、人生やり直すんだから寝言言ってないで名前を変えとけよ!!


「あ、そうなんだ……。北条さん……だとおじさんと被るから”悠木さん”て呼んでいいかな? 初めまして」


 少年も丁寧に頭を下げた。

 少年は知らないかも知れないけど、おじさんの本名も”北条 悠木”なんだよね。でもそれを言うと少年がなんて呼べば困るだろうから”悠木さん”でいい。

 少年は今度は顔を逸らさず、まだ紅い顔のまま続けた。


「僕の名前は”南川 虎之介みなみがわ とらのすけ”、みんなは”トラ”って呼んでる。……ところで、おじさんが今何処にいるか知ってる? この春からおじさんの家にご厄介になる約束だったんだけど、……もしかして忘れちゃったのかなあ」


 そう言って少年”トラ”は恥ずかしそうに頭を掻いた。

 俺はというと、その言葉で冷や汗をかいた。


 ――しまった!! すっかり忘れていた!!

 自分の身に起こった事で頭が一杯で、トラの事を今の今までキレイさっぱり忘れてた!!

 トラが高校生になるこの春から、うちで3年間預かる事になっていたんだ。こんな大事な事、なんで忘れていたんだ!!

 人様の息子を預かるというのに、これじゃ先が思いやられる。気を入れ直さなければ。


「――どうしたの? そんな顔して……もしかして、おじさんの身に何かあったとか!?」


 どうやら顔に出ていたようだ。こうなったらトラに余計な心配をかけさせないためにも、適当な嘘を吐いて誤魔化すしかない。 


「ああ……いや、そうじゃ……。 いえ、そうではなくて……。 えーと、そう!! おじさんは仕事の都合で急遽外国へ長期の出張になったんです! だから私が代わりにこの家に住む事になりました!」


「え、あ、そうなんだ。君が……いや悠木さんがおじさんの代わりに……?」


 トラは何事かぶつぶつと言いながらも納得したようだ。

 なんとか誤魔化せたようだ。 というか、俺はこの気持ち悪い喋り方をトラがいる間ずっと続けないといけないのか? つらい、つらすぎる。言葉遣いを変えるんじゃなかった。


「……でもいいの? 親は何も言わなかった? 自分で言うのもなんだけど、男と女が同じ家に住むなんて、本当に大丈夫?」


 そうか、いや、そりゃそうだよな。

 普通に考えて年頃の男女が同じ家に住むって、親なら許すはずもない。

 だけどまあ、俺は中身はおじさんだし、トラも女の子を襲うような奴じゃない……と思う。


 うん。俺はトラを信じてる、幼少からずっと見続けてきたんだ。信用出来るからこそ、うちから高校を通わせる事にしたんだし。


「任せとけ! ……じゃなくて。はい、本当に大丈夫です。おじさんが「トラなら信用出来る。任せとけ!」と言ってましたから、信じてますよ。トラ……之介さん」


 いつもの口調に戻ってしまいボロが出る。トラも不思議そうな顔をしているし、大丈夫か本当に、すぐにおじさんだとバレるんじゃないか?

 それはさておき、こうやって信用してる、って念を押しておけば、トラならその信頼に応えてくれるはずだ。きっとこれで問題はない、はず。俺の心は男だし、問題が起きる事なんか考えたくもねえし。

 というか、早く家に入ってゆっくりしたいんだ俺は。


「そろそろ家に入っても? ずっと重いキャリーバッグを引いていたので落ち着きたいなあ、と」


「あ! 気付かなくてごめん! じゃ、じゃあおじさんの家に入ろうか、僕がバッグを持つよ」


「大丈夫だ……です」


 こうして、俺はようやく我が家へと帰る事が出来たのだった。


◇◆◇


 玄関の扉を開けて中に入ると、廊下には沢山の段ボール箱が所狭しと置いてあった。


「ええっと、勝手に部屋の中に置くのは悪いと思って、引っ越した時のままなんだ。散らかっててゴメンね」


「ん、ああ……。そういえばいつ頃から此処に?」


 トラにはあらかじめ合鍵を渡してあった。

 もう何年も前、中学生になった頃だったか。我が家に遊びに来ては本を読んだり、ゲームをしたりしていた。その入り浸りようは、同年代の友達はいるのかと心配するほどだ。

 まあ、なんだかんだで小さい頃からトラは俺によく懐いていたし、ちゃんとわきまえていた子だったので用事がある時以外は快く受け入れていたし、息子を持つとこんな感じなのかな、なんて思ったりもしたものだけど。


「ええっと……丁度1週間前くらいからかな? あ! 勝手に部屋を漁ったりしてないよ!! 寝る時はソファーで寝てたし、食事はコンビニで済ませてたから大丈夫だったし!」


 リビングを覗くとテーブルの上にはコンビニ袋が置いてあり、中にはおにぎりのようなものが見えていた。

 ――しまったな、完全に俺の落ち度だ。TS症にかかった自分の事しか考えられず、中学生に余計な負担を掛けさせてしまっていたなんて。それに食事はコンビニで、と言うが自分のお小遣いからだろう。余計な出費までさせているじゃないか。それに1週間もソファーで寝かせて、家に連絡も入れず、子供を預かる大人として失格だ。


「すまない。俺の配慮が足りなかった」


 猛省をし、トラに頭を下げた。最初からこれじゃ駄目だ、トラの母親にも顔向け出来ない。


「いやいや別に大丈夫だったよ!! それに悠木さんが謝る事じゃないし!! ……まあ少しは心細かったけど、悠木さんが来てくれたから安心出来たし。……というか、さっきから言葉使いが変だよ? 話し方とか無理してない? 別にいつも通りで良いよ」


 トラに指摘されて思い出した。演技を忘れて喋りがいつも通りに戻っていた、知らずに自宅に帰ってきた事で気が緩んでしまったのだろう。


 どうする……今更取り繕うもの変だし……。

 これから3年間一緒に暮らす事を考えれば俺が何者か知っといて貰ったほうが気楽に過ごせるのは間違いないが、ううむ……。


「どうしたの? 急に押し黙っちゃって……あ! ごめんね変な事言っちゃって、気にしなくてもいいから」


 おじさんだと言うべきか否かを悩んでいると、トラはまたしても気を遣ってそういった。おじさん嬉しいぞ、トラがちゃんと気遣いが出来る子に育ってくれて。


 よし!! トラには正直に話そう。

 これから3年間一緒に生活するのもそうだけど、トラにずっと嘘を吐き続けるのは凄く悪い事をしているような気がしてしまう。

 トラなら人に言うような事もないだろうし、信頼出来る。


「トラ、大事な話があるんだ。聞いてくれるか」


「え? ――うん」


 トラを正面に見据え、神妙な面持ちで声を掛けると、トラも何かを察したのか静かに頷いた。


「実は俺な、身体は女の子だけど、中身は北条おじさんなんだ」


 こうして、新たな日常――俺とトラの物語第2幕が始まった。

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