第12話 不滅の祝福と不死の呪い

 ベアトリスは、首を振ってつぶやいた。


「あーあ……お姉ちゃんとまた一緒に暮らせると思って、喜んだのは私だけだったのかなぁ――」


 ベアトリスの足が、地面と融合しているように見える――刹那。ワイバーンが隊列を組み、空へ舞う。大地には大量のスケルトンが、カタカタと音を立てながら降ってくる。

 軽量な骸骨であれば、いくらでも積み荷にできる。骨の爆撃。兵士の投下。魔族にしかできない芸当である。


「私のおもちゃと、――踊ろうか?」


 スケルトンが、一気呵成といわんばかりに押し寄せる。ライオスが、怒鳴った。


「俺たちで聖女様を守れ! 雑魚敵との戦いで損耗など、許さんからなァ!!!」

「てめぇが言うな、うっかり屋!」


すかさず、水晶の牙の面々が言い返す。


 ――詠唱を素早く唱える。アグニフレイムだ。


「皆は、雑兵と戦ってください。……勇者様、お兄ちゃん。……ベアトリスを、頼みます」

「お前はどうするんだよ」


 アルベールは、素早くエリザに問う。


「私は――空飛ぶ蜥蜴どもを、一掃してきますわ」


 空を蹴り、飛竜へ向かった。





 空では、火炎のブレスと熱の矢が舞い踊り。大地では、骸骨と英雄が死の舞踏を踊る。


「――ッ、アハハハハハハハハハハハハ!!!!! 最高の演目ね、そう……聖女と魔女! かつて引き裂かれた二人は、死と生をそれぞれ支配して向かい合う――空をすら舞い踊る乙女と、大地に縛り付けられた、忌むべき魔女わたし!!! ねぇ、お姉ちゃん……ずっと、こうして遊びたかったの!」


 青い目をキラキラと輝かせながら、少女は笑う。昔のように。男勝りな姉の姿を追いかけて。でも、ほんとはおままごとがしたかったんだった。

 そんなことを思い出しながら。砕けた髑髏は土で治しましょう。死を踏み越え、死へと至った祝福されざる魂と。傷ついても、一瞬で癒され立ち向かい戦う死を恐れず、ゆえに祝福を受ける人の子と。


 対比のように。対句のように。あるいは、呼応するように。互いをつなぎとめる鎖のように。打ち付けた楔のように。


「――結局は、死も生もおんなじ。祝福と呪いも。神も悪魔も。天使も人も。闇も、光も!!!!!」


 ベアトリスが大地に手を当て、小さくつぶやく。


「母なる大地よ、我がまじないに応えよ。なぜ恐れる。なぜ逃げ惑う。我は二番目に早きもの。いかなる賢者も、宿命からは逃れられぬ。――ヨモツヘグイ」


 大地が波打ち、鋭くとがり――槍となって、兵士の腹を貫き食い破る。ヒジリもアルベールも、舌打ちして叫ぶばかりだ。


「クソ! 無駄に傷を負うな! こいつ、めちゃくちゃな魔法を使いやがる!!!」

「アハハハハハハハハハハ! まだまだ、まだまだまだまだまだまだ! 演目はこれからよ!!!!!」


 ヒジリのオルフェウスを軽くいなし、ベアトリスは巨大なゴーレムを作り出す。


「土塊の巨人! お姉ちゃん以外、全員殺しちゃえ!!!!!!!」


 アルベールは、小さく舌打ちをして剣を構える。巨大な巨人の腕を、一瞬で切り落とした。


「……もう、あいつを苦しめるなよ。ベス」

「ベスってなに……そんな呼び方、お前みたいなおっさんに許可した覚えないんだから!!!」


 大地が、ドリルのように回転しながらアルベールへと向かう。莫大な魔力出力。勇者や聖女ですら及ばないであろう。アルベールは、肩口に傷を負いながらも回避する。傷はすぐに癒えたが、それはつまり――。

 上空で、爆発音が聞こえる。爆炎から人影が飛び出す。すぐに空中を蹴り、体制を立て直したようだが。次の瞬間。


 ――地上からでも見える、聞こえる。


 雷鳴が、大地にとどろいた。ベアトリスは、舌をちろりと出しながら、微笑んだ。


「次の演目も近いわね。――愛しい愛しい、聖女おねえちゃんの処刑」


 刹那。雷撃とともに、全身の肉が焼けただれ、穴をあけ、骨すらむき出しの乙女が、深紅の双眸を煌めかせながら火炎を吐く。火炎ではない。極度に高温となった、呼吸だ。

 見る見るうちに少女の姿へと戻りながら、冷徹な眼光が魔女を射抜く。


「――もはや、言い逃れはさせませんよ。ベアトリス。お仕置きの時間です」

「――もう、逃がさないよ。お姉ちゃん。……一緒に、あそぼ?」


 狂喜を孕んだ目線と、底冷えするような激怒のこもった視線が交錯する。


 生と死のように。黒と白。闇と光。


「――告げる」


 聖句が、明かされる。


「――示せ」


 呪文が、唱えられる。


「ここに、あなた方の守るべき戒を告げる。ここにあるものを守りしものはわたしに守られ、破るものはわたしに破られる。戒を守るものが、私のしもべであり、破るものは、かたきである」

「我が意思を縛るものは在らず。――汝がせんとするものをなし、すまじきとすることをなさず。天を戴かぬものよ。主を呪うものよ。汝は、あらゆる秩序を放棄する」


 バチバチ、と白い放電がエリザを包む。それは神秘的であり、荘厳であり、恐ろしいものでもあった。


「我が戒を破り、わたしに歯向かうものよ。わたしはしもべをわたしのつるぎとする。あなた方は滅びるであろう。――白き光が、あなた方を覆う。その時、あなた方は――主の名を思い出すであろう。――――雷霆の裁き」

「汝の意志を否定し、呪い、糾弾するものがあれば、それを排除してよい。誰に理解されずとも、誰の許しを得ずとも。汝のすべては汝の敵を下すための武器となる。――ゲヘンナ」


 黒い脂と、土の塊が周囲の大地を汚染する。


「……さて、勝負はこれからだね。お姉ちゃん」

「――ベアトリス」


 エリザは、一瞬だけ顔をくしゃくしゃにしてから。表情を殺した。


「……あなたを殺す」


 ベアトリスはけらけらと笑いながら大地をおこして攻撃を続ける。大地の槍。大地の大槌。大地の剣。世界が敵に回るかのような攻撃をエリザは容易く避ける。雷速での戦闘は魔族でも追いつくことはできない。


「アハハハハハハハハハハ! 早いね、おねぇちゃん!!!!!!」


 それでも、ベアトリスは余裕を崩さない。――すでに、両者の戦闘は余人を以て干渉できない領域に差しかかっていた。大地を操る悪魔と、一筋の閃光。

 すでに、これは神話の戦いである。


「とらえた――葬討ソナタ


 飛ぶ打撃が、雷撃を伴ってベアトリスの腕を食いちぎる。ひゅぅ、と口笛を吹きながら獰猛にベアトリスは笑う。


「――さすが! 私の攻撃にも慣れてきたってこと? でも、残念! 腕なんていくらでも生やせるんだから。お姉ちゃんとおそろいだね――」


 土塊をあつめて、もともとと同じ腕を再生して見せる。甚大な魔力を伴うはずの回復を、無詠唱で成し遂げる。だが、ベアトリスはいまだにエリザに攻撃を当てることはかなっていない。

 いずれ、じり貧になり勝負は幕となる。


「……ねぇ、さっきからハエみたいに動き回るだけ? 私、飽きてきたんだけど」

「葬討――!」

「それも! そんなのじゃ、私は殺せないから。――もういいや。ヨモツヘグイ」


 刹那。エリザの動きが、ガス欠のように止まり、つんのめる。顔面から地面にエリザは倒れる。すぐに立ち上がるが、顔は真っ青になっていた。歯はかちかちと震え、平静を保てていない。


「おま、え……みんなに、何をした……」

「わかんないかなぁ。私の魔法は土塊と腐敗。死者を冥府より招く魔法。……命に腐敗をもたらす悪法」


 エリザの顔に冷や汗が垂れる。ベアトリスは、自身のゲヘンナの領域にいるものに腐敗の魔法をかけていた。腐敗は耐えがたい激痛と結果をエリザにフィードバックし、すぐに治癒されるが――焦熱とは異なる苦痛に、エリザの顔がゆがむ。


「物質的な苦痛は耐えられても、魂を腐らせる猛毒にはさすがの聖女様も限界が近い……かなぁ!?」


 指を上にあげる。その瞬間。戦場の兵士が、大地の槍に串刺しになる。否。彼らなら、そんなものは避けられるはずだった。――槍は、彼らの体から外部へと現れたのだ。兵士たちはすぐにゲヘンナから離れ、撤退していくが――。それでも、エリザへと返るダメージは尋常ではない。

 エリザが、血のあぶくを口から吐きだす。耳から、目から。止まらない出血。


「フフフ、アハハハハハハハハハハ! 演目の幕も近いわね! ほら、もっと素敵な顔を見せて? ――お姉ちゃん!!!!!!」


 指で、鉄砲の形を作る。エリザの額に向けられる。


「――じゃあ、またね。お姉ちゃん。肉はいつでもこっちに戻せるけど、魂はどうなっちゃうんだろうね」


 岩の弾丸が、エリザの額を打ち抜いた。









 ここは、どこだろう。――まっくらで、つめたくて、いたくて。でも、不思議と抜け出せない。心地よい、まどろみのように。恐怖なき苦痛が、私を包む。そうか、これが。ああ、思い出した。

 あぁ、殺されたのか。この感覚は、まぎれもない私の――死だ。









 ベアトリスは、ふぅとため息をついて、物言わぬ死体となったかつての姉を見下ろした。


「……生きて、私の側にいてくれればよかったのに」


 思わず、恨み言が口からこぼれる。本当に、大好きだった。あまり遊んでくれない姉が。実はわがままな姉が。女の子の遊びは嫌いな姉が。食事が大好きで、いつもよく噛んで食べていた。そんな日常の風景も、ずっとずっと忘れない。だから、お姉ちゃんが私じゃなくて神をとったとき、心底憎らしかった。

 許せなかった。


「……どこかで、お姉ちゃんの歩みを止める人がいればよかったのにね」


 哀れでもある、姉を。このまま肉人形にして操ろうと指を伸ばしたとき。ベアトリスは、気づいた。


 魂が、まだそこにある。



 紅い目が、きらりと光った。



 肉が、ぴくりと収縮するように動いていく。血を流したまま。体の傷だけがふさがっていく。


「――ぅぅぅ――っ」


 小さな唸り声。それは、意図なく吐き出された。声帯の震えである。エリザの持つ第一の奇跡。受肉の奇跡。たとえ命を失おうと、魂を燃やされようと。ただ祈るだけで死の淵よりよみがえる能力。

 真赤な瞳が、ベアトリスを睨みつけていた。


 口から血の残りを吐きながら、エリザはつぶやく。


「まさか、死よりよみがえることができるとは思いませんでしたわ」


 ――奇跡が、まだ続いているとは。そう、続けるようにつぶやく。


「ふふふ。ありがとう、ベアトリス。私は――まだ、まだまだまだまだまだ。生きて、戦えってことらしいですわ」






 ――死なないのなら。雷霆なんて使わなくてよかったじゃんか。


 私の思いはそれに尽きる。出力を上げて、最高効率で戦ったのも、すべて。すべて外傷を伴わないため。聖女として戦うため。今こうして、私の周りがいない今。帰還もなく、ただ前進する旅の中で。誰が私の姿を気にするのか。

 ベアトリスに向かって、まっすぐに走る。治癒も、雷霆もない。フル出力の肉体強化。迫る岩の剣に。大地の槍に。肉を貫かれる。肺を、心臓を。脳髄を。すべて、すべて貫かせてやる。


 一瞬、意識が暗く、冷たくなるけれども。この身に刻まれた奇跡を強く意識すればするほど。奇跡はより顕著に強くなる。死ねば死ぬほど。神の恩寵をその身で感じられる。私の祈りは。死ねば死ぬほど強くなる。

 地面にたたきつけられながら。肉と血を溶かし続けながら。私は、無心でベアトリスへと向かう。


「何、なんなんだよお前! クソ、化け物がァ!!!!」


 ベアトリスの顔が、余裕たっぷりの笑みから。焦燥。困惑。そして、恐怖へと変わっていく。魔族になり果てたくせに。人間らしい心も、あったんだね。

 私は、私からはじけた肉をそのままに動き続けている。蘇生による原状復帰で機能はそのままだが。赤黒い、肉の塊になっているようだ。


「うおぉぉぉぉぉぉ――ッッッ!!!!!」


 何回目の死の時のものだろうか。私の脊髄を引っ張りだし、神罰代行の奇跡を以て白金の剣に姿を変える。


「やめて、やめて――ちかよら、ないで……くるな、くるな! ねぇ、来るなって! 助けて、助けて、ねぇ、助けて、お姉ちゃ――」


 ぐちゃり。そういう音がして、ベアトリスの姿は消える。――姿だけは消えている。でも。知っている。魔族は、この程度じゃ滅ぼせない。


「……清浄の奇跡」


 妹が穢した大地を清浄の炎で焼き尽くす。


「……まだ、まだ北へいかなきゃだね。ベアトリス」


 まだ、ベアトリスは死んでない。確実にとどめを刺さなければならない。










「――夜と霧よ。我が姿を隠せ。誰にも見つけられぬように。朽ちて、骨すら知られぬように」


 隠匿透過の奇跡。それは、私が得意な奇跡の一つで。物理的・精神的な一切の干渉を受けなくできる高位の奇跡であった。

 エリザ様が、これ以上傷つかないように。もし、万が一何かがあったとき。私が身代わりになってでも守るために。奇跡をかけて、ずっと戦場に潜んでいた。

 エリザ様、怒るだろうなとか。帰ってきたら仲直りしなくちゃとか。ごめんなさいって、私から言わないと。とか。いろいろ思っていたけれども。


 エリザ様は、私の目の前で死んだ。


 何度も、何度も何度も何度も何度も死んだ。痛いはずなのに。苦しいはずなのに。死にたくないはずなのに。エリザ様は、それでも立ち向かっていた。死んでも生き返るなら構わない。

 いつか、傷ついても癒せるのならいいのだと平然と言っていたことを思い出す。


 腹の底から、そうだったんですね。


 赤黒い、奇跡の胎動によってほんのり光る、祈りの獣が。みんなが束になってもかなわなかった魔女を倒していた。

 そして、その肉を雷で焼き剥がしたエリザ様は、無表情につぶやいた。


「……これ以上、みんなを連れていく必要はないか」


 ……それが、正しいことは分かっている。あなたの歩みが正解なことも。でも、それでも。


 止まってください。もう、誰もおいていかないで。

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