第6話 聖女と闇夜と聖女の反撃

 ほろ酔い気分で、風にあたる。寒い風が、ちょうどいいくらいだ。パレードも終わり、今は劇団が物語を公演している。――愚歓劇だ。道化の滑稽話で、皆を和ませる。時に権力批判を織り込み、そのブラックなユーモアが人々の活力にもなりえる。演目は騎士の礼賛だろうか。厳格な家で生まれた騎士だが、見栄っ張りな性格でトンチキなマナーを教えられて聖堂で恥をかくというものだ。

 見ながらくすくす笑っていると、隣に大きな影が並んだ。


「滑稽話は好きか、エリザ」

「ゲレーデン……先生」


 私の育ての親である、ゲレーデンである。前は口論で終わっちゃったので、少し気まずい。劇場に目をやって、視線から逃げる。


「デュラハンを倒したそうだな。竜王も」

「竜は必ずしも教会の敵ではありませんが……デュラハンと盟約を結ぶなど、許されませんから」

「構わんさ。――それより。奇跡の多用が過ぎるぞ。ずいぶん憔悴していたようだが」


 先生には、何もかもお見通しなようだ。


「まったく、そんな状態で酒など飲んで――それも、あんなはしたない飲み方をする奴があるか! 教会の大司教がこれとは、つくづく情けない……」


 そういいながら、笑っている。本気で怒るつもりはないらしい。


「年始まで休むといい。働きすぎれば、いつか糸が切れる」

「切れません。魔族を滅ぼし、魔王を倒すまで。私はそのために生まれてきたんですから」

「エリザ。人間に全うすべき使命なんてものはない。それは人間が作ったものだ」


 そっか。先生は、私のことを心配してくださっているのだ。ありがたい話だ。


「先生。ご心配は受け取りますが……でも、大丈夫です。魔族の侵攻が苛烈になるのに、どうして休めましょうか」

「――は?」


 おっと。酔っているからか、口が軽くなっている。


「デュラハンは、魔王がお怒りだといっていました。人間など、あの害獣にとってはただの獲物のはずなのに。殺すだけの素材のはずなのに。それを、連中は敵として認めた。優れた狩人に過ぎないデュラハンごときじゃなく、きっと本当の精鋭を放ってくるようになります。――まぁ、万集めたところで私一人すら殺せない獣が、何をしようと無意味ですけどね」

「……そうか。わかった」


 ゲレーデンは、それを聞いてため息をついた。


「お前みたいな少女に、世界の命運が託されている。残念だが――既存の魔法や、奇跡の体系では人類は魔族に勝てないのだ」

「――悲観する必要はないでしょう。私の生きているうちは、時間稼ぎもできますから」

「……いや。中央でも南方でも、退魔の技術が新たにつくられ始めている」


 ゲレーデンは、中央の事情に詳しい。昔は偉かったりするのだろうか。


「まぁ、なんであれ。お前の負担を、少しでいいからみんなに分けることだ」

「先生。ありがとうございます」


 さて。寄進も、聖罰も。できる人だけが、力いっぱいすればいい。私の負担など、軽い。

 例えばだが、食事に事欠く人が現にいる。圧政に、暴力に、病に喘ぐ人がいる。私は、圧政も、病も癒せる。大司教として、私はすでにすべきことの多くをできていない。魔族を優先しているのは、退けることをできるのが私しかいない……とは言わないが、私より効率的にできる人はいないのだ。圧政は監察官に。病は司教に癒してもらう。食事は、できるかぎりの支援をしている。中央での穀物収穫高を調べ、穀物の価格基準を決定する。その多くは教会で購入し、貧者に分配する。

 そうした政策は私になる前から進められてきた。私は、そういった面で何一つ動けていない。


「――私は、恵まれています」


 よき人、強い力、ただしい環境。すべて、偶然手に入ったものだ。ふるっているのは私でも、この力をふるわせている者は私ではない。

 芝居の騎士が、有り金をすべて領民に配って、滑稽な踊りをしていた。皆が、笑っている。



「これが、正しい」


 私が行く道が間違いなわけがないんだから。








 教会の秘匿せし十二の奇跡。


 聖霊結界。清浄の奇跡。他のどれもが、きわめて強力な力で、聖句を唱えねば決して起こすことのできない奇跡。奇跡というものは、他の代替手段がないものをいう。


 奇跡は、本当は十三であった。一つが、魔法により再現されたため、その座を失った。神の子が起こした奇跡と、かつてから現存する聖堂二百をつなぐ奇跡。聖堂と聖堂の間を一瞬で移動し、かつての迫害から逃れた、「秘められた瞬間移動」の奇跡。

 魔法による転移門が開発され、座を失った。


 奇跡である限りは、邪な思いをもっている者は裁きを受ける。だが、魔法であるならばその限りではない。深夜。聖堂に、何かが入り込んだ。魔法が、清らかであるべき大聖堂で使われている。


 私がその気配に気づいた時には、すでに状況は終わっていた。身を起こした私の首筋に、冷たい刃が添えられていた。


「聖女ルミーリアだな。貴様を殺す」


 その言葉は、無機質で、極めて冷徹だった。残る魔力から、相当な手練れであることもわかる。


「大司教を殺して。そのあと、あなたはどうするおつもりで?」

「生きられるとは、思っていない。せいぜい抵抗して見せるさ」


 思わず、笑みがこぼれた。決死の暗殺。どうせ魔法協会とか、そこら辺のしょうもない邪教集団とかなんだろうな……。


「魔法でコーティングした刃。とことん奇跡を嫌っているようですわね。私と真逆。魔法なんて、嫌いですわ」

「お前の戯言に付き合う義務はこちらにはないわけだが?」


 首筋に、ちくりと痛みが通る。


「そう言わないでくださいな。――私には最後に確認しないといけないことがあるのですから」

「……」

「ほかに、だれかころしましたか?」


 私の言葉に、暗殺者は返す。


「いいえ、私の標的はあなたです」

「そう。ならば潔く死ぬとしましょう――」


 私の言葉に、暗殺者の動きが止まる。


「なぜ、だ? なぜ、そこまで落ち着いていられる」

「奇跡が私の許を去っていませんから」


 私は、間違って死ぬわけではない。この死は、人が人に与える死だ。


「私が正しく使命を遂げたということです。ルミーリア・フォルテ・エリザはデュラハンを打ち取り、冬至で笑いあう人を見て死ぬ。それが天意であれば、逆らうことはありません」


 できなかったことはできなかったが、すべきことはすべて成しえた。それが、私の末路ならば。それでよい。


「でも、そうですわね……クリスは、私のことを心配してくださっているかもしれませんから――。私が謝っていたとだけ。伝えてください」

「――っ、おまえ、は、本当に――?」


 暗殺者の腕が、だらりと垂れた。急いで、距離をとる。治癒の奇跡を回して、首筋を癒し。いつ何が来ても瞬時に再生できるように警戒する。死んでもいいとは思っているが、死にたいわけではないからな。


「私に暗殺者の資格はない。――お前の言葉に、嘘偽りを感じなかった。お前は、真に聖女だ」


 その言葉に、ない胸を張って答えてやる。


「あら、そう? 私、自分が聖女だってことだけには自信があります。――夜と霧よ、すべてを隠せ。あたかも何もかもがなかったかのように。誰も彼を知らぬがごとく――だが、神のしるしだけは隠せない。私は、すべての主であるが故に」


 暗殺者は、自分の正義を失ってしまったらしい。また回心させてしまったか……。


 いや、なんでだ……?








 教会が下手人でした。暗殺者が洗いざらい吐いてくれました。いい子である。……てか、夜霧ってなんだよ。教会に異教徒がいて、異教徒が人を殺したりしてたってことも、それを指示してるやつらがいるってこともめちゃくちゃ気に入らない。

 そして何より。


「――魔族討伐に余計な茶々をいれましたね、中央教区が」


 ――北方教区わたしのなわばりに、土足で立ち入った。許しておけるはずがない。この教区は、私が教皇台下から直々に賜った我が血肉。主の御心そのものである。

 誰に、何をしたか。大司教ルミーリア・フォルテ・エリザが預かる聖堂で、下賤な魔法を使ったことも。聖者を害そうとしたことも。何もかも、許しておけない。決して、決してだ。


 聖堂に一人で歩く。白の聖衣に、銀色のブレスレット。


 十三の奇跡。門を開き、私が片を付ける。


 聖女暗殺未遂事件! 聖女いわく、犯人は下賤な魔法研究者――。その一報は、やはり世界を駆け巡る。そう。聖女は執行者をとらえている。つまり、中央教区の人間は首根っこを掴まれたのだ。


「――しくじったな、愚か者め! あの聖女を排することができずに、何が夜霧か! クソ、くそぉ!」


 男は、新聞を見て泡を吐きながら怒鳴り散らす。自身の邪悪な計画が阻まれたと知り、怒りをあらわにした。


「早まりましたな、ゴティエ司教閣下」


 こつん、と靴音を鳴らしながら入ってきたのは――白の聖衣の、鼻の曲がった老人だった。


「す、枢機卿猊下……」

「あなた方のせいで、北方教区の司祭たちは嚇怒している。聖女様はことを大事にしたくないがゆえに、矛を収めるつもりのようだが……」

「そ、それは……その、違う。聖女は魔女なんだ! あれは、魔法に精通し、異教を崇拝している!」

「恥を知れ! この痴れ者がッ!!!!!」


 枢機卿の大喝に、ゴティエと呼ばれた男は飛び上がる。


「私が北方にどんな条件を飲まされたかわかるか? 私が、中央が、どれだけ北方に譲歩したかわかるか? クソ、貴様らごとき小物が早まったせいで……許さんぞ、不信心者が……」

「――なぜあなたは私に問うのか。あなたはすでに神のしるしを見て、受け取っているではないか。なぜまだわかろうとしないのか。信仰の薄きものよ。なぜ、疑うのか――へぇ、これが私を殺そうと計画された方ですか。本当に、教会の聖衣を着ているんですね、ふぅん……」


 赤い目が、枢機卿の後ろで輝く。純白の聖衣。真珠のように輝く髪。おっとりとした目に、つんとたった鼻。少女と言って差し支えない無邪気な表情の中に、ひどく酷薄な――。否、狂信者の熱がともった目が、強烈に男を睨みつけていた。

 ルミーリアが、口を開く。


「移動の奇跡を使えば、暗殺は完全に成功していましたわ――。ええ、そうでしょうとも。魔法を使って転移門を開いたということは、つまりは神罰を受けるとわかっていたからですわね、不信心者よ。――枢機卿猊下と私が、三度あなたの信仰の薄さをとがめました。なぜ、未だ聖衣を着ているのかしら――」


 イチジクのブレスレットが、薄く輝く。奇跡を以て信徒を殺すことはできない。神の懲罰が死を招くから。魔法を以て信徒を襲えば、異教徒として神の裁きはくだらない。異教徒を滅ぼすことは、地上の子らの役目であるがゆえに。神は自ら手を下さない。

 異教徒に成り果てたものであれば、奇跡は人をも殺せる。


「――主は丘の上で、三日間休まれた。その時、傍らでこうささやくものがいた。『私にひれ伏せば、世界のすべてをあなたの国としよう』。主は、こう仰った」


 ルミーリアが、怒鳴った。北方でも、下手をすれば魔族相手にも見せぬ激怒である。


「――悪魔よ、我が前より失せよ! 汝は、七日の後に父より見放される。汝は、最後の戒を破った。何故偽りを述べるのか。何故形を偽るのか。次に、我が前に同じ姿で現れた時――怒りに満ちた懲罰をもって、災いを下す。その瞬間に――」


 ブレスレットが光を閉ざした。ルミーリアが詠唱を辞めたからだ。


「……いいえ、ここまでです。私は異教徒であっても、力を人には向けませんから」


 枢機卿に一礼して、聖女は姿を消した。

 枢機卿は、熱い息を吐いた。怒りが覚めやらぬようだ。


「……貴様の下らん行動のせいで、あの聖女は中央においても枢機卿の地位を得た。北方大司教にして、中央教区王都第三区域の枢機卿。ヘルべチア大学の名誉学長の地位に、北方の不輸不入権。――中央教区は、もはや力を失った。聖女に骨抜きにされたも同然だ。教皇台下は、もとより争う気がない。何もかも、お前のせいだ。無様に死ね」






 やってきました王都! ずっと来てみたかったんですよね、にぎやかなところだって言いますし……。


「まさか教会が下手人とは思いませんでした」


 ほんと許せない。信仰に泥を塗るってのが許せないですよね。というわけで、北方に魔族が来る前に王都で物資補給とかいろいろやっておかないとね……。



 奇跡を使っての移動ならば、いきなり中央大聖堂までひとっとびである。うん、やっぱりこの手に限る。さて、舐めた真似をしてくれた異教徒にお仕置きしてやった。

 夜更けに門を開いた無礼はとがめられない。私が大司教「かつ」聖人だから。そして、私の糾弾を皆が受け入れるしかなかった。


 私は中央教区にも食い込み、余計な手出しを阻むことができる。


 小さくため息をついて、椅子に座る。ふかふかのいい椅子だ。贅沢しているな、この教会。金をこんなところにかけるなんて、つくづく清貧の心構えがない……っと。





 私のはらからにょきりと刃が生えた。


「こ、この期に及んで暗殺ですか……」

「死ね。ただ死ね。すべて、神のためだ」


 最後の反撃に、血をがぼがぼ吐く。あーあ。白い聖衣が汚れちゃった。赤に格下げである。


「夜霧、でしたか」


 教会の暗部とやらだ。暗部ってなんだ。教会に暗いところなんているのか? あまねく光を授ける場所じゃないのか? 暗きところなどあるべきじゃないだろ。光あれ――。

 腹を引き裂いたくらいで、死ねたのなら暗殺も成功でしたが。


「それでは、参りましょうか」


 許しておこうと思ってたけど。もうダメだ。流石に許容できない。腐りすぎだ。中央教区は私がいただく。魔族が滅ぶまえに、このままでは教会が滅びる。昨日の今日でするのは嫌だが、治癒術式を回しながら聖句を唱える。片方は詠唱を行うこと。これだけでもだいぶ体への負担は軽減できる。

 聖句を唱えての奇跡発動とかめちゃくちゃ久しぶりだ。


「――告げる。我がのちに、最も偉大なものが現れる。そのものは、天の御座に座りしもの。大いなる門をくぐるもの。大いなる門を築き、我らを招くもの。そのものに比べれば、我ははるかに小さい」

「クソ、この傷でどうして――」


 腹に、幾度となく穴が開く。腹が引き裂かれる。臓物がこぼれる。知ったことか。立ち上がり、戸を蹴破る。幾人もの聖職者が、私を見て驚き、そしてひれ伏す。


「我は御座の埃を払う箒である。我は身姿を整えるはしためである。これよりのちに現れるものこそが、主にほかならぬのだから」


 聖堂に続く扉が、吹き飛んだ。


「――偉大な神殿を打ち立てしものよ! 汝らの神殿は、礎なく建てられた。誰が、家を建てる時に沼に立てるだろうか。あなた方は沼に家を建てられた! いずれ、主があなたの家を見て、言われるであろう。その時、裁きは下される。我が言葉をきき、姿を見て悟らぬものよ。――主の判断を仰ぐがよい!!!」


 教皇の前で、なお私を刺し続ける愚か者と、絶叫する信徒。そして、顔を青くする枢機卿が何名か。聖誓の約定。異端審問における、最大の聖句。この聖句を唱えたものは、心に背く言葉を口にしてはならない。

 聖堂でこれを使うということは、命を懸けて教会の正邪を問うている。私は、命を惜しいと思ったことはない。


「……教皇台下。聖句に誓い、私は悪事を企ててはおりません。ですが、教会は血で穢されました。――どうするべきでしょうか。主は、この醜態を見て、神殿をお残しになられるでしょうか。私の言葉は、あなた方への脅しでしょうか。誓いましょう。すべて主のためです。私に、我がごとを考える余裕はありません。私ははらわたを以て主に捧げものをするものです。台下。この事態を、いかにして収めるべきでしょうか」


 教皇は、震える舌で、そっとつぶやいた。


「わ、わた、私は……私の代で、こんな、こんな……神に恥ずかしい。私は、生まれるべきではなかった。座を清め、あなたのために譲ろう。あなたが、世の救い主である」


 その言葉と同時に、暗殺者は崩れ落ちた。命が絶えている。……神罰である。まさか、この期に及んで聖句を唱えようとしていたのか。


「――到底、私のような若輩者に務まる仕事ではございません」


 中央の争いを続けても、私に益はない。中央に私が居座っても、北方に救いはない。さて。ちょっとした意趣返しというか、お手伝いしてもらおうか。


「ですから、我が太師をその席に座らせましょう。ゲレーデン・ザルツバート司祭が今より教皇ということで」


 荷物を分けてやる。私を補佐したいなら、隠居暮らしを楽しむべきではないだろう。くそ爺!

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