ある聖女の記録

黄金りんね

第1話 プロローグ

 こんな化け物ばかりなら、北方半島になど来なかった。内心で舌を打ちながらライオスは槍をふるう。中央大陸なら打ち取るだけで大殊勲となる怪物だらけ。

 槍を通さず、刃を断つ毛皮を持つオオカミの群れ。矢の嵐を生き残り、砦の弩を受けても死なない鹿。魔術をはねのけ、家屋すら吹き飛ばす怪物。簡易詠唱による治癒では癒えぬ呪いを孕んだ攻撃。

 すべて、すべて規格外。


 それでも、ライオスの槍術はそれ相応に規格外だった。中央王国では、の話。この大地では、極めて厳しい戦いを強いられる。白い息を吐きながら、槍でオオカミの首を切り飛ばす。


「――きりがない」


 今はまだ、オオカミは警戒している方で、逸る獣の対処をすればそれで済む。が、いずれライオスの力量は感づかれ、一斉に攻撃をされるだろう。そうなれば、命はない。ライオスはすでに己の死期を悟りつつあった。

 たらり、と汗が流れる。逃げるか――否。気取られた刹那、獲物とみなされる。


「クソ、どうしたもんかね……」


 王都で、北方上がりの冒険者がライオスをあざけったことがある。お前の力じゃ、真に英雄にたることはない。北方の大地には、その程度の英雄は掃いて捨てるほどいる。死なぬように、何十人もの徒党を組んで魔族と対抗する。

 そして、どれだけ対策をしても掃いて捨てるほど死ぬ。


「それでも、俺は――っ」


 名を残したかった。世を救い、人を助ける星になりたかった。魔物と、化け物が世界を押しつぶそうとしている中で、ライオスの名を聞けば――人が安心する。そういう輝きを放ちたかった。


「俺は、――ここで、死ぬのか?」


 槍が震える。いやだ、いやだ、いやだ。死にたくない。槍がただ震える。怯えで。恐怖で。唾棄すべき惰弱ゆえに。俺は、この程度の実力で、たった一人で戦おうとしていたのか?

 恐怖にかられ、むやみに突っ込もうとした瞬間。


 鈴の音のような、軽やかな。だが、鋭く怜悧な意志を感じる声が聞こえた。


「――我が手は正しきものを導くもの。善なる道の小石を払うもの。実をなさぬものよ、あなた方はこの生で多くを得るが、永遠の国では何も得られない。正しきものは、今奪われたより多き実を結ぶであろう――」


 静聖衣。教会の位階にして最上位の司祭のみが纏う純白の教衣が、不思議と影のようにライオスの前に立ちふさがる。ふるう手には、教会の神威を示す純銀のブレスレット。

 教会の修道女が、たった一人で。


「この聖句は、蛮勇をたたえるわけではありませんよ?」


 こちらをちらと見て、くすりと少女は微笑んだ。目は紅く輝きを放つ。教会の人間のはずなのに、なんだか妖しい色気のある目だ。

 ブレスレット――聖なる木である、イチジクの枝葉を象っている――が、きらりと光った。


 轟音と閃光が、大地を舐めた。北方には不釣り合いな熱風が、頬を撫でる。


 目を開ければ、オオカミは跡形もなく。雪の上に、赤黒いシミが残っていた。


「スノウウルフ。北方退魔規範にのっとれば、日常的に現れる些末な魔物です。雪が降るのと同じくらいの珍しさでしょうか。――勇槍のライオス・アルクォンド。森への深入りは感心しませんね」


 真珠のような、光が割れて七色に輝くような白い髪の毛。穢れなき少女のように微笑む少女に、ライオスは思わず涙がこぼれた。神を信じたことはなかったが、今日初めて。神を信じようと心に込めたのだった。






 焚火を囲みながら、ライオスはぽつりとつぶやいた。


「俺みたいなよそ者のために、アンタが外に出てよかったのか?」

「……北方の大地は険しく、厳しい。それはたとえ魔物が蠢かずともです。人を助け、人を守り、そうして皆が助けあう世を作ることは神の御心に従う行いです」


 少女の言葉は、やや迂遠な回答だった。


「そうじゃない。あんたの立場は――」

「人を救う行いで、私の立場がどう揺らぐのですか?」


 純粋な疑問だった。目の前の少女は、教会の権威に、何一つ染まらずに真っ白の聖衣をまとうに至ったのか?


「……いえ、私もあなたの言わんとすることはわかります。私は教会では、実のところ敵も多い身ですから――魔術師を助けるな。誰彼構わず力をふるうな。神の御力は安易に振るわれるべきではない、と」


 寂しそうに微笑んで、少女は首を振った。


「教会は、その立場ゆえに誤ることを恐れます」

「そうかもな。教会の治療は費用も高い」


 ライオスの皮肉に、少女はふふんと笑いながら返す。


「有り金をはたけば、治療はどこの教会も拒まないはずですが? 命への対価を惜しむな、は福音書で五たび説かれる聖句ですよ」

「……あんたもそれなりに教会の人間だな」

「当然です。神の威光なしに誰も救世はなしえません」


 少女は、薪を焚火に放り込んで、水筒から水を飲んだ。


「俺も、週末はお祈りに行こうかな」

「まぁっ! 素敵な心掛けですわね」

「あんたの教会にぜひ行きたいもんだ。どこの教会に所属している?」



 聖女は、ない胸を張り、ふふんと笑った。


「北方に私の教会でない場所はありません。セレナディア辺境伯領、ワイルズ伯爵領――いわゆる北方教区の大司教を任されておりますもの」


 ライオスは、思わずコップを落として、呆然としながら少女を見つめる。


「じゃ、じゃああんたが……例の、現世に一人しかいない、しるしを授かったといわれる……」


 生存する唯一の聖人。生きたまま列聖された少女。教区内の魔物による被害を八割減らしたといわれる、当代の勇者に値する一人。


「ルミーリア・フォルテ・エリザです。教会としては領都にいるべきなのでしょうけど……どこにいるかは、不定です」

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