木曜日に、嘘を吐く
あゆさわ
第1話 my confidence song
その日は、意を決して家を出たのだ。先日久しぶりに会った、10年来の友人に叱られたばかりだったから。
「そろそろ老後のこととか考えなよ」
友人はもう氷しか残っていないアイスコーヒーのグラスに刺さったストローを、断続的にくるくると回しながらそう言った。その一言だけで、もう会うのも面倒くさいなあ、と思う。三十路になる前に合コンで出会った男とさっさと結婚して、子供には恵まれなかったとは言うが十分に幸せそうな暮らしをしている彼女は、今日も髪を丁寧に巻いて、青い石が一粒ついた高そうなラリエットをしている。肌艶もいい。適度にぼさぼさの髪を無造作ヘアと言い張り、自分で作ったおもちゃみたいなピアスをしている私とは大違いだった。
「体力だってどんどんなくなっていくんだからさ」
平日は10時に起き、パジャマのままPCに向かう私への苦言である。ストックしたカップ麺やデリバリーで日々をやり過ごしているという話に対し、友人はひどく憤慨し、そんなんじゃ長生きできないよ、と子供を叱るように言ったのだ。
分かってるよ、そんなこと。
そう返せばきっと、100倍にも200倍にもなってお小言が帰ってくる。全然分かってない、分かってたらそんな生活してない、あんたには長生きしてほしいのに、自分のこと大事にしなよ、って。
私を慮っての発言だということは分かっているけれど、こんなに毎回毎回説教されたんじゃうんざりするのも仕方ないじゃないか。だいたい、こじゃれたカフェで十も年下の小綺麗な女に説教される、アラフィフのもっさりした女の気持ちも考えてほしい。
いつだったか、なにかの漫画で読んだ、奇抜なファッションはブスの逃げ道、というセリフを思い出す。そんなこと分かってる、と頭の中に浮かんだそいつに文句を垂れた。目の前の友人と私は、傍から見ればきっと接点すら分からないくらいにちぐはぐなのだ。それでも定期的に私と出掛けてくれるのには何か理由があるのだろうか、とは未だに聞けずにいる。
友人の言うことには一理ある。そりゃあ、一日のうち一歩も家から出ないよりは出た方がいいに決まっている。デリバリー弁当代だってバカにならない。それならコンビニに行った方が、配達料やら何やらを考えると多少は安上がりになるのだ。たとえ、コンビニで買う予定のなかった、今すぐ必要のないものを手に取ってしまうのだとしても。
だから、その日はいつもより少しだけ早起きをして、仕事を始める前にコンビニで昼食を買おう、と思った。朝はどうせ食べないけど、パンかおにぎりのひとつでも買って食べ、ちょっと丁寧に暮らしている感を出してやろう、と。
実際のところ自炊しているわけでもなく、全然丁寧な暮らしではないけれど、朝起きてパジャマから着替えるという行為そのものが、私にとっては大きな改革なのだ。
化粧はしない。日焼け止めだけを塗り、ワンコインを謳う店で買った、千円のサングラスをかけた。日傘か帽子があればいいのにと思ったけれど、歩いて10分もかからないコンビニへいくのに仰々しすぎる気もして、まあこれでいいだろう、と思って外に出る。
まだ9時にもならないというのに、外は十分に暑かった。日差しは強く、やっぱり帽子は必要だったかと思う。うちにある帽子のラインナップを思い浮かべ、つばの広いストローハットしかないことを思い出し、いくらなんでも、とそのまま歩き出す。途中、近所の高校へ向かう学生の群れとすれ違い、背を丸めた。
ぼさぼさでもっさりしたアラフィフ女に、日光と若者はまぶしすぎる。
忍びのように人目を避け、日陰を選びながら歩く。太陽は、いろんな意味で私に優しくない。変なプリントのTシャツに派手な柄のもんぺパンツを穿き、デカいサングラスをかけた女なんて、どの角度から見ても朝の風景に相応しくない。だからって背を丸めてはますます怪しい。次からは人の少ない日中か、人目のない夜中にしよう、と心に決めた頃にはコンビニに到着していた。
コンビニは息がしやすい。気が大きくなって、備え付けの買い物かごにいろいろなものを放り込んでいく。結果、デリバリーより高くついたんじゃないかと思わないでもないけれど、今日の私は無敵なのだ。だって、数日ぶりに外へ出た。しかも、朝から。私はこんなに偉い。
23区の端っこより先の、駅から離れた場所にあるコンビニは、9時前にはすっかり人の波が引いている。意気揚々とセルフレジに立ち、ポケットからスマートフォンを取り出す。
本来ならば家を出る前に気づくべきだった。もっと言うなら、少しでもいいから現金を持ってくるべきだったのだ。
商品のバーコードを通す前にポイントカードを、と思いスマホの画面を見る。
つかない。
どのボタンを触っても、画面は真っ暗のままだ。
今日に限って、こんな日に限ってそんな失態があるだろうか。
昨日はスマホでゲームをしながら寝落ちしたからだろう、充電がすっかりなくなっていた。なにをどう操作しようともうんともすんとも言わない。
深呼吸をする。
店内に人はいない。店員も、おそらくバックヤードにいるのだろう。何度か深呼吸をして、何事もなかったかのようにセルフレジを離れた。そうしてひとつひとつ、かごの中のものを元あった場所へと戻していく。
間の抜けた入店音に送り出され、手ぶらの私はすごすごと店を出た。
二度とこんなことするもんか、と決意する。
非日常はいつもこうだ。私にろくな結果をもたらさない。
しばらく後、友人に憤慨しながらこの話をしたところ、
「あんたが間抜けなだけじゃん」
と身も蓋もなく切り捨てられた。そしてやっぱり、もう会うの面倒くさいなあ、と思ってしまったのだった。
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