第3話
城に出入りしてる所を見つけたのだとある時、
少年時代の
「このままでは
深窓の令嬢のような顔をしていた郭嘉はそれを聞いて、腰に差してあった護身用の短剣をおもむろに手にすると「じゃあ将軍が切って下さい」と差し出して来た。何の躊躇いもなかった。「そんなことでいいなら」と言わんばかりだった。
側で聞いていた
髪をばっさり切って白い首筋は覗かせたものの、一応少年らしくなった。
それ以来、郭嘉はどこからともなくやって来ては夏侯惇達の行軍に混じって、大人でさえ目を背けたくなるような戦場の風景すら、不思議な光を宿す瞳で眺めるようになったのだ。
「お前いつもどこで何してるんだ」
気になって聞いたことがある。
本当に、不意にどこからか一人で来るからだ。
「普段は
「学ぶのが好きなのか」
「はい。でも知識を蓄えるのが好きなわけじゃありません。
手にした知識は何かに使いたいです。
殿の軍師になりたい」
「俺の軍師にか。
俺は、汚い戦もするぞ郭嘉」
「汚い戦ばかりですか?」
「汚い戦ばかりではないが、そういう戦もしなければならんことはある」
「良かった。ならいいです。汚い戦ばかりじゃ一辺倒でつまらない」
「汚い戦をしてはならん理由が『つまらない』からとは。
曹操は郭嘉の物言いを気に入ったようだが、
汚い戦をしてはならんのは汚いからだ。
それ以外に理由は無い。
汚い戦をしすぎると人間が寄り着かなくなる。
だから曹操は汚い戦ばかりは出来ないのだ。
天下を取る人間だから、そういう戦ばかりはさせてはいけない。
つまるとかつまらないとかは、道楽に使う言葉だ。
子供の笑顔で生意気なことを言ったから「うるさい」と夏侯惇は脳天を殴りつけてやったが、郭嘉は全く反省しなかった。
「殿は天下を取るための戦いをしているんでしょう。
この世には色んな戦いがあるけれど、殿がやってる戦がこの世で一番楽しい戦いだ。
私も一緒に戦いたい」
そんなことばかり言うので、最初は夏侯惇は郭嘉が小生意気な小僧にしか見えなく、気に食わなかった。
しかし曹操と
郭嘉がやって来たら、とにかく追い返さず居場所をやれと命じたほどだ。
「出会った頃から利発で、豪気な子だった」と荀彧が曹操の隣にでん、と堂々座った郭嘉を見て、笑っていた。
子供のくせに酒の席にも混じって、いつもあの輝く瞳で発言する武将達を見ている。
自分も見られているのが分かって、夏侯惇は不愉快だった。
意味も無くいつも眺められるなど、不快だ。
【
大きな戦になるからぜひついて行きたいと例のごとく郭嘉が言ったが、死闘になるから来るなと追い払った。
死闘になった。
曹操がいるならば正面からぶつかったって、あんな袁紹などには勝てるような気が夏侯惇はしていたが、大きな間違いだった。
やはり兵力の差は嘘はつかないのである。
袁紹軍が敗走したという報せが入った時、前線の敵を斬り続けながら、夏侯惇は天運を掴んだと思った。
実際には、更にその後に苦しい戦いは重なり、あの瞬間に今のような栄華を手にしたわけでは全然ない。
それこそ本当の苦しみはその後こそあったと言ってもいい。
だが、あの勝利を確信した時の喜びは――言葉でなど、言い表せなかった。
あの戦いを、あの場で戦い抜いた者しか分からない感情だった。
いつものように子供が、嬉しそうに駆けて来る。
勝利の報を聞いて、帰還を待ちきれなく王宮を飛び出して駆けて来たという。
郭嘉に「行こう」「行こう」と急き立てられ共にやって来た
【
夏侯惇はその時初めて郭嘉への嫌悪感が薄れ、罪悪感すら感じてしまったのだ。
こいつが戦場にいたらあの戦いで色んなことを学び、感じ取っただろうと思った。
あの輝く瞳で、戦場の至る所を見回して。
あんな戦いは二度と出来ないかもしれない。
そんな想いがあったから、郭嘉からその貴重な戦いに帯同する機会を奪ってしまったと思ったのだ。
勝利が夏侯惇を少し優しくさせ【官渡の戦い】の詳細を聞きたい聞きたいとせがんでくる郭嘉に、何もかも細かく話してやった。
それ以来、郭嘉に「戦場に来るな」とは一度も言ったことがない。
郭嘉は普段、一体どこに住んでるのか分からないような所があって、私塾や、荀彧の家や、友人の家や、そのほかの色んな所を歩き回っていて、実家にはほとんど寄りついていないらしかった。
「実家はもう飽きた」
その言葉だけで家を捨てて、
「戦場が一番面白い」
その言葉だけでふらふらと魏軍に従軍した。
「あいつ……前々から誰かに似てると思ってたんだが。
お前に似ていたんだな。
子供の頃からお前も確かに、死すら恐れんところがあった豪気な奴だったが」
ある時気付いてそう言うと、曹操が大笑いをしていた。
笑っている所を見ると、曹操自身、そう感じることもあったのかもしれない。
「お前も実家に飽きていただろう」
「飽きていた」
「乱世で良かったと思ったことはないか」
「あるな!」
中途半端な、ただ
大事なことは、乱世であるということだった。
曹操が別に望んで乱世に生まれたわけでは無い。偶然生まれたら乱世だったのだ。
それなら乱世で生きるしか無い。
乱世を嘆いてばかりだったら乱世に飲まれて負ける。
曹操は【乱世の
(だから俺は惚れたのだ)
長い間、分からなかったことがある日分かった。
だから曹操の側が好きなのだろう。
(なんだ、あいつは孟徳に似てるが、
俺とも考え方が同じじゃないか)
それ以来自分の子供より、郭嘉の方がよほど自分に近しい存在のように思えて、その成長を楽しみに、見守るようになった。
いつしか踏み潰せるように小さかった郭嘉もすらりと背が伸び、青年らしい顔立ちになって行ったことが、曹操と夏侯惇にとっては楽しかった。
【
『戦の申し子だな』
【白狼山】の戦いを終え、このまま
とにかく戦場から一時も離れることが出来ない、というような様子なのだ。
実家も、
戦を重ねれば重ねるほど、その瞳の輝きが才能と共に磨き抜かれ、増していくようだ。
夏侯惇はあまり、家庭を顧みて来なかった。
戦が長引けば一年以上家に帰らないこともあったし「俺は息子に顔を忘れられてるかもしれん」と本当に思ったこともある。
妻子への想いは目の前にある時だけで、遠く離れるとどうしても自分の中にいなくなってしまう。
情がこんなに薄い自分が、何故曹操にだけこんなに真摯に仕えることが出来るのか、腐れ縁だと言ってしまえば簡単だが、全く不思議なほど妻や子を離れたところから愛しいなどと思ったことがない。
ただ郭嘉を見ているとこんな男が自分の息子だったら、きっと父親として誇らしく、共に戦場に立つことを喜んだだろうなと思った。
これからあいつがどんな指揮をとって魏軍を導いていくのかな、などと曹操と笑いながら話していた時に、突然前線から連絡が入った。
郭嘉が倒れて、重体に陥ったと。
最初は何かの冗談かと思ったが急いで幕舎に行くと郭嘉は寝かされていて、激しく
元々色は白い男だったが、それとは明らかに違うのが分かった。
長安に戻ると曹操が即座に命令を下し【
いつも冷静な
まるで絶対に負けたくない戦に負けたような気分だった。
多分悔し涙だったのだと思う。
魏軍、……それ以上に曹操にとっても自分にとっても、最も奪われたくない者を、理不尽なやり方で奪われたような気持ちになった。
あんな気持ちは
危篤になったと聞いた時も泣いたし、
快癒したと聞いた時も泣かされた。
全く子供の頃から行動が変わってない。
本題はこっちだ。
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