ハッピー

「ぶっ殺すぞクソ女!」

 などの暴言を吐きながら走ってくる大男。

 風で逆巻く茶色い髪。

 素肌に焦茶色の毛皮をはおっている。


「ハッピーだ」

 とラグーが俺に言った。

「……ハッピー? なに、え、名前?」

「ああ。あいつがハッピー。おれたち兄弟の中でも一番目か二番目くらいにミツーナが嫌いで、アブナガ軍ぶっ殺す派の王様だ。よろしくな」

「紹介されても……」

「いや、あいつを止めるのがおれたちの役目なんだよ。たぶん」

 ラグーはジャッジのほうに眼をやった。

 ジャッジは、こちらに背中を向けたまま動かない。

 正面に立つミツーナと、その向こうで臨戦態勢に入った兵たちに顔を向けている。

 どうやら、ラグーの言うとおりだったらしい。

「俺たちが止めるのか? アレを?」


 ハッピーは、スピードと声のボリュームをまったく落とさないまま、こちらに突っこんでくる。

 体のわりには声がでかい俺よりもさらに声がでかい。というかふつうに100キロ以上あるだろコイツ。


「ふつうにふっとばされて終わる……」

「いや。まず足を止めるのは簡単だ」

 ラグーがハッピーの進路に立ちはだかった。

「基本、ハッピーは兄弟をふっとばしたりしないし、曲がれないからこうすれば止まる」

 そんなわけないだろ身内にだけやさしい電車かよと思ったが、そのとおりになった。


「クソがァッ!」

 そう怒鳴って、ラグーの目の前で急停止したハッピーは、身長2メートルの大男だった。

 右手に斧を持っている。

 の両側に巨大な刃をつけた両刃斧りょうじんふだ。


 ——どう見ても皆殺しの道具だろ。


 1周目の世界では「牛殺しの両刃斧ラブリュス」と呼ばれていたタイプの斧だ。

 その斧を握りしめ、ハッピーは怒鳴った。

「ラグーてめえウチのガキどもボコったろ!」

「なにがウチのだ! わけわかんねえグループ作ってんじゃねえよ! そいつらとおれたち兄弟どっちが大事なんだよ!」

「兄弟に決まってんだろッ!」

「だよな!」

 ラグーは怒鳴りぎみにそう言ったあと、ニコリと笑った。

 そして俺の肩に手を置く。

「おいハッピー、こいつのことも聞いてるか? エイチャっていうんだよ」

「あ? 知るかよ」

「レンガを粉々にした奴だよ。聞いてないのか?」

 ラグーにそう言われたハッピーは、血走った眼を俺に向けた。

「……こいつが? 嘘だろ? ただのザコにしか見えねえよ」

「おれは嘘なんか言わねえよ」

「ならこいつが嘘か!」

 ハッピーは俺に両刃斧を突きつけた。

 俺が嘘ってどういうこと? まあインチキではあるか……。

 たじろぐ俺にラグーが言った。

「見せてやれよ、エイチャ」

「お、おう」


 ——見せてやるしかなさそうだな。俺の本当のハッタリを。


 俺は必死の思いで足を動かし、ハッピーに近づいた。

 突きつけられた斧の柄の先端はもう、目の前すれすれのところにある。

 俺は横隔膜おうかくまくを力いっぱい下げて、呼吸を落ちつけてからハッピーに言った。

「これ、大切な斧だったりする?」

「そんなもんでクソをつぶすわけねえだろッ! なんかあったヤツだよ!」

「じゃあ、壊してもいいのかな?」

「あ? やれんのかよ?」

「さあ、どうだろう」

 俺は突きつけられた斧を右手ででた。猛獣の牙を触っているような気分だ。

「俺は、この斧を破壊することができるのかな?」

「ケツでも壊せるのだ♣」

 とレーションが答えた。

 ケツはちょっとリアリティーがないから、

「足で蹴ったら壊せるかな?」

「もちろんなのだ♣」

「派手に飛び散った破片が、誰かの眼に刺さったりしないかな?」

「〈デモ活動〉のスキルで人にケガをさせることはできないのだ♣」

「斧が壊れる。破片でケガをしない。どちらが優先されるのかな? 斧が壊れなかった場合、俺の足は大丈夫かな?」

「斧は壊れるのだ♣ ケガも絶対にしないのだ♣ 〈デモ活動〉は誰も傷つかないスキルなのだ♣」


 ——〈デモ活動〉。純粋な示威行動おどしのスキル。


 人体的には平和的なすばらしいスキルだ。信じよう。


セイ!」


 勢の発声をともなう上段回し蹴り。

 ためらわず全力で振り抜いた。

 巨大な斧の刃が砕け散った。

 兵士たちのどよめく声が背後から聴こえる。


 ハッピーは、ほとんど柄だけになった斧をほうり捨て、大きな掌で俺の肩を叩いた。

「すげえ! おまえチビ! すげえよ!」

「どうよハッピー。おれが昨日から知ってたエイチャの力は」

 とラグーが嬉しそうに言った。

 ハッピーは「オオイ! オオイ!」と咆哮ほうこうのような声をあげながら、俺の肩を強く叩きつづける。俺の骨格が崩壊しそうな力だった。


「ミツーナさん!」


 騒ぐハッピーの騒音を裂くような鋭い声を発したのはジャッジだった。

 そして柔らかい口調で言う。

「見てのとおりです。このハルマニア公国は、たしかに鉄の名産地。しかし、大きな戦争の噂があれば、国外から粗悪な品が集まってくることもあります。めったにないほどの利益を得られる好機ですからね」

 俺はハッピーの掌から逃がれ、ミツーナの様子をうかがった。

 鋭い目つきをしているが、その瞳は細かく揺れている。

 肩。膝。全身のバランスに変化はない。

 おびえているのではなく、何かを高速で考えているような様子だった。

 ジャッジは続ける。

「イリア帝国やアッシルカガンツのことはよく知りませんが、ここから先のマウロペアは、東の国々とは事情がちがうと思います。商人ギルドのおきても、商品の相場も、同じではないでしょう。いま少し、調査と計算を深められたほうがよろしいかもしれません」


 ミツーナはしばらく沈黙していたが、やがて溜息をついてから、

「——たしかに、計画を練り直す必要がありそうですね。ご助言に感謝いたします」

 と言った。

 その表情からは、俺たちに対する恐れも怒りも感じとれない。

 仕事のやり直しを決めた正社員のような顔だった。

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