第10話:不協和音の戦場

 夜が明け、二つの月が淡い光を残して西の空に沈む頃、異世界の荒野は、地球とは全く異なる朝を迎えていた。

 空の色は、淡い紫から、燃えるようなオレンジ色へと刻一刻と変化していく。

 キマイラ隊の野営地では、全てがシステム化され、効率的に動いている。

 対照的に、王国軍の野営地から聞こえてくるのは、剣を打ち合わせる甲高い音、馬のいななき、そして兵士たちの力強い雄叫びだった。

 二つの異なる朝。

 その境界線に立つ装甲指揮車両の中で、キマイラ隊の最後の作戦会議が開かれていた。


「―――以上が、地球(ホーム)の解析チームから送られてきた、最新の調査結果だ」

 オオトモ大佐が、テーブルに広げられた電子マップを指し示しながら、最終確認を行う。


「斥候ドローンによる観測結果から、目標である『浮遊要塞』を守る魔法障壁のおおよそのエネルギー量が算出された」

「算出、ですか……。魔法の壁の強さが、計算で分かるなんて……」

 モニター越しに参加している佐藤軍曹が、信じられないといった表情で呟く。


「ああ。だが、これほど巨大な対象を常時展開するなど、夢物語のレベルだ。敵は、我々の科学力を遥かに超える技術を、既に実用化している」

 如月博士の言葉に、室内の空気が緊張で張り詰めた。


 やがて、両陣営の中間地点に一本の軍用テントが張られ、その横にはキマイラ隊の装甲指揮車両が鎮座する、簡易的な会談の場が設けられた。

 テントの中央には、無骨な折り畳み式のテーブルが一つ。片側には、オオトモ大佐と俺、そして護衛兼通訳としてリュナと響。

 もう片側には、ゲオルグ騎士団長とその副官、そしてエリザベス、アンナ、セレスティアの三人が座っている。


「―――まず、我々の目的を改めて共有したい」

 口火を切ったのは、オオトモ大佐だった。彼はテーブルに置かれた情報端末を操作し、立体的なホログラムで、例の『浮遊要塞』の偵察映像を投影する。


「目標は、あの要塞にいる『黄昏の旅団』の無力化だ」


「うむ」

ゲオルグ騎士団長が頷く。

「目的は同じだ。問題は、手段だ」

「その通り」


オオトモ大佐は頷き返し、ホログラム映像を切り替えた。


「我々の分析では、要塞は強力な魔法障壁によって守られている。これを突破するには、障壁のエネルギー許容量を上回る、飽和攻撃が必要となる」

「飽和攻撃……?」

 ゲオルグが、その聞き慣れない言葉を繰り返す。

 俺はリュナに目配せし、彼女が説明を引き継いだ。

「皆様、『インフェルノ・バースト』という魔法はご存知ですよね?」

 その名に、エリザベスが鋭く反応した。


「インフェルノ・バーストですって? あれは高位の火炎魔法。あなたの魔力量で、使えるはずがありませんわ」

「……こちらの世界では、使えるようになったんです」

 リュナは、ただ事実だけを告げた。


「あの魔法を、何百、何千発と、空から雨のように降らせ続ける。それが、彼らの言う『飽和攻撃』です」


 その、あまりに力任せで、魔法への敬意が欠片も感じられない作戦内容に、エリザベスが侮蔑のこもった声を上げた。


「なんと……野蛮な作戦」


「結構だ」

オオトモ大佐は、エリザベスの言葉を意にも介さない。


「このような開けた場所ならば、圧倒的な物理的『火力』でその理屈ごと叩き潰す価値がある」

「ならば、一つ問おう

」ゲオルグが、鋭い視線で大佐を射抜いた。


「その『火力』とやらで、本当にあの神聖なる障壁を破れると、確信しておるのか?」

「確信はない。だが、可能性はある。問題は、その後だ」


 大佐は、要塞のホログラムを拡大する。

「突入後の内部制圧。ここからが、貴殿らの出番だ。我々には、要塞内部の情報が圧倒的に不足している」

「つまり、我らに露払いをさせ、貴様らは安全な場所から漁夫の利を得る、と。そういうことか?」

 ゲオルグの言葉に、テント内の空気が再び険悪になる。


 その瞬間だった。


『―――司令部! C-3セクターに高エネルギー反応! 多数!』

 テント内に設置されたスピーカーから、観測班の切迫した声が響き渡った。

「なんだと!?」

オオトモ大佐が叫ぶ。


「映像を回せ!」

 ホログラムが、周辺地域の広域マップに切り替わる。マップの端に、無数の赤い光点が明滅していた。


「―――大佐! 敵襲です!」

 ほぼ同時に、テントの外の見張り兵から、肉声の報告が上がった。


 全員が弾かれたように立ち上がり、テントを飛び出した。

目の前に広がっていたのは、地獄のような光景だった。

 浮遊している城から無数の飛行型魔獣が、蝗の群れのようにキマイラ隊の陣地へと殺到していた。

 キマイラ隊の動きは、命令を待たずして迅速だった。

 対空防衛システムが自動で火を吹き、空に無数の迎撃の光が咲き乱れる。


 だが、王国騎士団の動きは対照的だった。

 彼らは強固な盾の壁を作り、指揮官の命令を待っている。


「本隊は地上だ! 王国軍の野営地を狙っている!」

 斥候兵の報告に、ゲオルグ騎士団長が目を見開く。

「―――聞け、騎士団の誇りにかけて、奴らを食い止める!」

 ゲオルグ騎士団長の檄が飛ぶ。

 その言葉を受け、それまで微動だにしなかった騎士団が、初めて一つの生き物のように動き出した。


「道を開けよ、異邦の兵よ!」

 クラウスと呼ばれた若きエースを先頭に、王国軍の騎士たちが、キマイラ隊の横をすり抜けるようにして、敵陣へと突撃していく。


「大佐! このままでは同士討ちになりかねません!」

 俺は指揮車両の中から叫ぶ。

 あまりに異なる指揮系統が、戦場で危険な不協和音を奏でていた。


「土の壁(アース・ウォール)!」

 突如として地面が隆起し、巨大な土の壁が出現。

 ヴァンガードの進路を塞ぎ、射線を完全に遮る。

「くそっ、これじゃ前に進めない!」

前線の佐藤が、苛立ちの声を上げる。


「聖なる加護よ、我らに力を! 岩よ、砕けよ!」

 別の騎士が叫ぶと、ヴァンガードの行く手を阻んでいた土の壁が、内側から弾けるように粉砕された。

 辛うじて、二つの軍隊は互いの背中を預け合っている。

 だが、それはあまりに危うい連携だった。


 敵陣の奥から、地響きと共にひときわ巨大な魔獣が姿を現した。

 その巨大な魔獣はジャベリンの直撃を受けても火花を散らすだけで、びくともせず進軍をしてくる。


 それをみたクラウスが涼しい顔をして手の内の剣に力を込めて振りかざす。

 真っ赤な光を輝かせた剣が大型の魔獣を一閃する。

「…くっ、硬い!」

 クラウスの突撃が、その一体によって完全に止められた。

その状況をみて佐藤軍曹は顔をしかめ回線を開く。


「ビーコン発射!司令部へ砲撃要請!対象大型魔獣!」

 佐藤軍曹が叫ぶと、彼のヴァンガードから小型のミサイルが発射され、巨大魔獣の分厚い甲殻に命中し、強烈な赤い発煙を噴き出し始めた。


「……大佐。前線からの砲撃支援要請です。巻き込まないようにですが、後方から砲撃すべきかと。」

俺は、オオトモ大佐に進言した。


「…後方、自走榴弾砲部隊。目標、発煙ビーコン。飽和攻撃、用意。……間違っても仲間には当てるな。」

 大佐が、冷静に指示を出す。


【同時刻・学術研究技術都市 市長執務室】

『―――以上が、前線指揮官、オオトモ大佐からの火力支援要請です』


 市長執務室のモニターに、砲撃部隊の隊長のの神妙な顔が映し出されている。

 その隣には、財務企画部の田中が、腕を組んで厳しい表情で戦況を見つめていた。


「馬鹿を言え」

最初に沈黙を破ったのは、田中だった。

「たかが魔獣一体のために、これほどの『投資』は認められん」


砲撃部隊の隊長がが反論する。

「現場は、その『たかが一体』に戦線を崩壊させられる可能性があるのです。今すぐにでも砲撃をしなければ…。」


「だからこそ、です」

田中は、冷ややかに言い放った。


「我々には、リュナ技術顧問という、極めてコストパフォーマンスの高い『兵器』がある。彼女の魔法で対処させるべきです」


 二人の議論を、市長は黙って聞いていた。

 数十秒もたっていないがそれでも長い沈黙を経て、彼は静かに、しかし有無を言わせぬ響きで結論を下した。


『―――よろしい。火力支援を、許可する』

「市長!?」

田中が、驚きの声を上げる。


『勘違いするな、田中君』

市長は、田中の反論を制した。


『これは、投資だ。我々の『火力』が、彼らの『魔法』を凌駕しうることを、あの騎士たちに見せつけるための、絶好の機会ではないかね?……リュナ技術顧問がその力を発揮すればコストパフォーマンスは良いかもしれないが、魔法が解決すると言う現地の考えは払拭できん。』


【前線基地・指揮テント】

「貴様、正気か! 我が騎士団の精鋭たちが、名誉の突撃を行っているのだぞ!」

 ゲオルグが血相を変えて掴みかかった。


「―――全軍、退却!」

 ゲオルグは、大佐を睨みつけながら、魔力を込めて叫んだ。


「どけ……後方からの許可もでた。」

オオトモ大佐は、ゲオルグの腕を振り払うことすらせず、淡々と続けた。


「作戦行動の邪魔だ。それに、部下にはこう命令してある。『当てるな』、と」


 その直後だった。空気を切り裂く、甲高い飛翔音が連続して響き渡る。

 ゲートの向こうから放たれた無数の榴弾が、寸分の狂いもなく巨大魔獣の周囲に着弾した。

凄まじい爆炎が、敵だけを的確に飲み込み、大地を揺るがす。


 退却した騎士団の前に、佐藤軍曹のヴァンガード隊が素早く展開し、巨大な盾を構えて爆風から彼らを守る。

 爆風が収まると、ヴァンガード隊は即座に前進。黒煙の中から現れた砲撃の生き残りを次々と薙ぎ払っていく。


 だが、安堵したのも束の間だった。

「報告! 地中に、先ほどの個体を上回る、超巨大エネルギー反応!」


 指揮テントのすぐ目の前の地面が、巨大なクレーターのように陥没し、そこから、小山のような巨体を持つ、黒曜石の魔獣がその姿を現したのだ。その狙いは、明らかにこの指揮系統の中枢だった。

 巨獣の一振りで、一機のヴァンガードは、まるで子供のように弾き飛ばされ、沈黙した。

 エリザベスたちの防御魔法も、ガラスのように砕け散った。


 絶望的な状況。

 もはや、誰もが死を覚悟した。その時。


「―――下がっててください!」


 声の主は、リュナだった。

 彼女は、恐怖に震える友人たちを背にかばうように、巨獣の前に一人、立ちはだかった。


「リュナ! だめよ、逃げて!」

 エリザベスが、悲痛な叫びを上げる。

「大丈夫!」

 リュナは、友人たちを振り返り、一度だけ、力強く笑って見せた。そして、賢者の杖を片手に、詠唱を始める。

「《罪深き者の足枷となれ、戒めの光鎖》―――チェーン・バインド!」

 地面から、魔力で編まれた無数の鎖が現れ、巨体に絡みついていく。


「なっ……!」

 エリザベスが息を呑む。

 彼女が知るリュナの魔法とは、規模が違いすぎた。


 拘束はしている。

 だが、決定打がない。

 このままでは、リュナの魔力が尽きるのが先だ。


「……っ!」

 決断の時だった。

 リュナは懐から、もう一本の杖を取り出す。それは、ピンク色に輝く『魔法少女ミラクル・ラパンの杖』


「援護をお願いします!」

 リュナは叫ぶと、指揮車両に向かって走り出した。

「リュナさん!」

響が、指揮車両のハッチを開けて叫ぶ。

「こっちです!」


 巨獣は、中にいるリュナの魔力の高まりを察知したかのように、指揮車両へとその巨体を向けた。


「総員、指揮車両を守れ!」

 オオトモ大佐の命令と同時に、生き残っていた護衛隊のヴァンガードが巨獣の前に立ちはだかる。

 ゲオルグ騎士団長も、自ら剣を抜き放ち、巨獣の正面で盾を構えた。


「大佐! ドローンです! 目を狙えば動きを止められるかもしれません!」

 俺の切羽詰まった提案に、大佐は即座に決断を下した。


「やれ! 和泉、お前に任せる!」

「了解!」


 俺はテントの隅に備え付けられていた指向性レーザー照射機を掴み取ると、巨獣の巨大な眼球に照準を合わせた。

 空中で魔獣を掃討していた攻撃ドローンが、一斉に編隊を組み直し、俺が照射したターゲットへ殺到する。


 オオトモ大佐が苦々しい表情で戦況全体を睨んでいた。

「くっ…!通じない!」

 エリザベスが歯噛みする。

 彼女たちの放つ魔法は、巨獣の甲殻の前では無力だった。

 そのときだった。

 指揮車両の防弾ガラスの隙間から、まばゆいピンク色の光が漏れ始めた。

 そして、再びハッチが開き、光の中から現れたのは、もはや賢者のローブをまとったリュナではなかった。


 ピンクと白のフリルが幾重にも重なったドレス。胸元には大きなリボン。

 その姿は、地球の物語に登場する、愛と勇気の戦士。

「魔法少女ミラクル・ラパン」。

「……すごい」

響が、息を呑む。

「これが、リュナさんの……本当の……」


 ラパンの杖を天に掲げ、リュナは最後の呪文を唱え始める。

 杖に搭載されたオートトリガーが作動し、予備バッテリーの莫大な電力が一気に杖へと流れ込む。

 地球の科学が生み出した雷の力が、この世界の濃密な「マナ」と混じり合い、螺旋を描いて杖の先端に収束していく。


『ふぁいなる! みらくる! ふらーっしゅ!』


 杖から、けたたましい電子音声が響き渡る。

 その光景を見ていた何人かの騎士が、畏怖の念と共に呟いた。

……女神だ。


 放たれた一撃は、もはや人が扱える魔法の範疇を超えていた。

 それは、エルドリアの象徴である「魔法」が、学術研究技術都市の象徴である「科学」と交わり、互いを増幅させ合った、地獄の業火。

「インフェルノ・バースト!!」


 エリザベスは、言葉を失くしてその光景を見上げていた。

 あれは、魔法。

 だが、自分たちが知る、神の恩寵たる神秘の魔法ではない。

 もっと冒涜的で、もっと根源的で、そして、どうしようもなく美しい、破壊の光だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る