好きになったのは、命のほうでした。
啓(けい)
第1話 魂の声に、出会った夜
その日、俺は渋谷の小さなライブハウスにいた。
照明が落ちて、バンドの音が鳴るその瞬間だけ、何もかも忘れられる気がした。
……いや、正直に言おう。現実逃避だ。
相変わらず、酒は手放せなかった。
ポケットの中には、買ったばかりのコンビニ焼酎。
入場前に一気に流し込む──ライブハウスは持ち込みNGだってのは知ってたが、金もなけりゃ、我慢もできないアル中には、関係のない話だった。
それでも“音楽”だけは、まだ俺を裏切らなかった。
……そう思ってた。
でも、あの夜の“あの声”は違った。
耳じゃない。心でもない。
腹の底が、勝手に震えた。
音の中から、真っ直ぐに飛び込んできた女の声。
それはもう、言葉にできるようなもんじゃなかった。
魂をわし掴みにされて、揺さぶられる感覚。
気づけば──
俺の身体はフロア最後方から、最前列へと突っ込んでいた。
頭も、心も、酒の酔いも、全部置き去りにして。
そしてライブが終わったあと。
物販に並んで、彼女の前に立った。
「名前は?」
その声は、ステージ上の絶叫とは打って変わって、優しくて、まっすぐだった。
「……鮫島です」
「めっちゃ楽しそうに沸いてたね」
そう言って笑ったその表情に、心がギュッとなった。
俺は何も言えず、ただ頷くだけだった。
その人の名前は──もれいな。
まるで夢見たいな名前だと思った。
だけど彼女は、夢じゃなかった。
それどころか、
俺の命の奥に棲みついて、
気づけば、生きる理由みたいな存在になっていた。
……だけど、このときの俺は、まだ何も知らなかった。
ただの酔いどれで、人生の隙間に落ちたまま、
渋谷の片隅で迷子になってただけだった。
でも、あの一瞬──
音と光と叫びが、渦を巻くステージの真ん中で、
彼女の声だけが、俺の胸の奥に、一直線に突き刺さった。
“何か“が、ぶち破られた。
俺の中の、ずっと蓋をしてきた、黒い何かが。
重たい蓋が、バリバリッと音を立てて割れていく。
耳じゃない。腹でもない。
心の底に溜まり続けてた澱みが、声によって揺さぶられた。
彼女の煽りは苛烈で、言葉は鋭くて、まるでナイフみたいだった。
でも──その奥に確かに見えたんだ。
やさしさと、寂しさ。
それが、どこか俺に似ている気がして。
そしてステージを降りた彼女が、俺の目の前に立ったとき──
その小さな身体と、驚くほど柔らかい笑顔に、
不意を突かれるみたいに、心を掴まれていた。
「めっちゃ楽しそうに沸いてたね」
そう言った彼女の声は、ライブ中のそれとはまるで別人みたいに優しくて。
この人に、もう一度会いたい。
そう思った瞬間、ポケットの中の焼酎が、急にすごく重たく感じた。
──この夜が、“運命”の始まりだったことだけは、間違いない。
俺はきっと、あのときもう、変わりはじめていたんだ。
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