第22話 ぶっこむ義妹
女子と待ち合わせなんてしたことがなかった。
昼食をご馳走してもらう立場ということもあって、約束した時間の30分前には到着しておきたかった。
間違っても井上さんを待たせてはいけない。
だから電車を降りると急ぎ足で改札を出た。
午前中の柔らかな光が降り注ぐ駅前広場。
所々に出来ている水溜まりには、散り散りになった小さな雲がくっきりと映し出されている。
大きな水溜まりを避け、小さなものを飛び越えてベンチが並んだ一画へ。
周囲を見渡して井上さんの姿が見えないことにホッとした。
ラノベの中ではヒロイン枠の女の子が約束の1時間前から待っているなんてことが定番設定だ。まあ、そういう場合、相手は主人公に対して少なからず恋心を持っているんものなんだけど。お礼をしてもらう今日の状況は当てはまらない。
とりあえず空いたベンチに腰を下ろすと、立ったままの妹がきょとんとした顔でこっちを見てきた。
「座らないのか?」
空いた横のスペースを平手で叩いて座るように促した。
すると妹は首を横にふり無言で隣のベンチのほうを指差した。
「うん?」
妹が指をさした方向に顔を向けるとその先にはキャップ帽を目深かに被った人物の姿。
丈の短い上着と細身のズボンに真っ赤なスニーカーを履いた、よく見ればボーイッシュな女の子だった。
じっと見ていたら向こうもこっちに気が付く。そして不思議そうに首を傾げながらゆっくりと近づいてきた。
「も、百崎くん!? びっくりしたぁ~可愛い子と一緒だからわからなかったよ」
「い、井上さん? あっ、ごめん、妹も一緒でいいかな?」
「あっ、うん。ぜんぜん大丈夫だよ。うん、大丈夫」
返答にすこしの間があったのは気のせいだろうか?
とにかく大丈夫ということで安心する。
妹は、「やったぁ~」と無邪気に喜んでいた。
「もしかして待たせた?」
一応は早めに着いんだけど、それでも何故か気になった。
「ううん、全然待ってないよ。私もいま来たとこだから」
井上さんの答えにほっと胸をなでおろす。馳走される身で遅刻は許されない。
「井上先輩よろしくで~す」
「
「あざ~す」
僕たちは簡単な挨拶を交わすと並んで目的地へ向かって歩きだした。
途中、井上さんが空になった500mlのペットボトルをゴミ箱に捨てるのを見た。
井上さんの案内で訪れたカフェの店内は、赤いレンガ調の内装で天井が高く丸テーブルが不規則に並んでいた。それぞれの席にはデザインの違う椅子が配置され、想像以上のお洒落空間。
お礼の内容と店は井上さんに考えてもらった。
優柔不断で陰キャな男子に何がいいかなんて決められない。
その結果、パンケーキランチを提案されて今に至る。
店内の客層はカップルやお洒落女子が大半だった。
初めてのカフェに緊張する。こんな状態でパンケーキとやらの味を楽しめるだろうか? そんなことを考えていたんだけど、実際に運ばれてきた厚みのある丸くて大きなパンケーキを目にすれば落ち込んでいた気分が高揚するのがわかった。
「美味しい‥‥‥」
ナイフで切り出して口に運ぶと正直な感想が自然と口から漏れた。
それを聞いた井上の顔が綻ぶ。
「気に入ってもらえてよかったよ」
「こういう店は初めてだけど、人気の理由がわかったよ。今日は連れてきてくれてありがとう」
そう気持ちを伝えると、井上さんは慌てて顔を逸らせた。
よく見れば少し顔が赤いように見える。もしかして体調が悪いんだろうか? だったら日を改めてもよかったのに。
「あの、井上さん。もしかして体調悪いとか?」
「―――えっ!? 大丈夫、大丈夫だよ! ほら、た、食べよ。
慌てた様子の井上さん。ドリンクをひと口飲んでから、手のひらで自分の顔をパタパタと
少し無理をしている感があって、やっぱり心配になってしまう。
「本当に大丈夫‥‥‥?」
「やっぱり百崎くんは優しいね。ぜんぜん大丈夫だから、心配してくれてありがとね。
「めちゃ美味しいで~す♪ この店知ってて一度来てみたかったんですよ~。今日は勝手について来ちゃってごめんなさい。自分のぶんはお兄ちゃんが払うんで」
人前ではお兄ちゃん。いつもの流れで妹にたかられる。
僕はパンケーキを頬張りながら仕方なく頷いた。流石に妹の分まで払ってもらうわけにはいかない。
「ご馳走するけどね」
ここから女子トークが始まった。
井上さんの下の名前を聞き出した妹は、陽キャならではというのか驚きの速さで距離を詰めた。
「小春先輩って彼氏いないんですか?」
「いないよ。今まで付き合ったことないしね」
井上さんがチラリとこっちを見た。
「そうなんですか!? 小春先輩めちゃ可愛いのに、その気になればすぐ出来ますよ」
なぜか上から目線の妹。
失礼な態度だとは思うんだけど‥‥‥これが女子の距離感なんだろうか?
「
「えぇ~私ですか~? いませんよ、彼氏なんて」
まさに神経質になっている問題だった。
その核心部分に意図せず井上さんが切り込む。
彼氏の存在を真向から否定した妹がチラリとこっちを見た。
「うちのクラスでも
「いえ、遠慮しときます。陰キャな兄を持つ妹として男子はこりごりなんで」
「こりごりって‥‥‥兄妹の話じゃなくて彼氏の話だよ。百崎くんは関係ないと思うけどね」
「メチャ関係ありですよ。陰キャなオタクが身近にいると、男子の魅力がわからなくなるんです」
「そ、そうなんだ‥‥‥でも、百崎くんは優しいしカッコいいと思うけど」
「あっ、それ
「お、おい!
「誤解じゃないし、ホントのことだし」
女子トークだと思って黙って聞いていれば、僕に対する妹のネガティブキャンペーンが始まった。
それも嘘と誇張にまみれている。妹は一体なにを考えているんだ! さっきから井上さんの苦笑が止まらない。
「ラノベって、いつも教室で読んでるやつ? 私もちょっと興味あるかも。こんど貸してくれない?」
「う、うん。いいけど、どんなのがいいかな?」
「う~ん、実際に見て選んでいい?」
「実際に見る‥‥‥? ああ、うちに来るってこと?」
「そう、そう。百崎くんがよかったらなんだけど‥‥‥」
「うん、別にいいけど」
部屋に妹以外の女子が入ったことなんてない。
これは掃除と本棚の片付けをしなければ‥‥‥。
過激なやつは隠しておこう、そう思った矢先に妹が口をはさんできた。
「小春先輩ダメですよ。
「お、おい!
「―――嘘じゃないっしょ! ベッドの下のエッチなやつ。あれ、なん? クローゼットの‥‥‥」
「やめろって! こんなところで喋るなよ! って、なんで
恥ずかしさのあまり声が大きくなっていた。
はっと我に返って周りの様子を窺えば、満席の店内で僕らの会話を気にしている人は誰もいなかった。
みんな笑顔で会話を楽しんでいる。そうなんだ、陰キャな僕は外聞を気にしてしまいがちだけど、実際は誰も他人のことなんて気にしてない。
「そ、そうなんだ‥‥‥私は別に気にしないけど。男子ってそういうもんだと思うし。あっ、じゃあパンケーキの再現してみない?」
「再現って―――これを?」
目の前のパンケーキはすでに半分以下の大きさになっていた。
ナイフを入れた断面は家で焼いたものと違って相当な厚みがある。
「家で作れたら最高でしょ? この味を覚えて帰って、こんど動画とかで調べて一緒に作ってみない?」
面白そうな提案だと思った。この分厚いパンケーキの味は衝撃的で、たしかにこれを家で再現できれば、妹は喜ぶだろう。
「出来るかな?」
「チャレンジしてみようよ」
「うん、面白そうだ」
話がまとまりかけた。
が、またしても妹が口をはさんできた。
「そういうのは無理だと思います。家で再現できるほど簡単ではないですよ。そんなことができたら、この店潰れてるんで。たぶん専用の調理器具とか秘密のレシピとか―――止めときましょう。ここに食べに来たほうが安くつきますって」
いつも夢見がちな妹から飛び出した、まさかの現実的な意見。違和感しかない。
朝から妙にテンション高めで、昼になれば兄のネガキャンを展開、挙句の果てに現実的な意見を口にして‥‥‥女子の思考がわかる人は是非とも教えてもらいたい。
「家で出来たら嬉しくないか?」
「家では作れん―――!」
「なんで否定的なんだよ。試すくらいはいいと思うけど」
「うっさい! それ残してんならよこせ!」
「あっ、返せ! それは兄ちゃんのだ―――!」
「パンケーキは陰キャに毒だから、私が食べてやんよ」
喧嘩を始めた僕たち兄妹を見て、井上さんが小さく笑った。
「あはは‥‥‥仲いいね。私は大学生の兄とそんなに仲良くないから‥‥‥百崎くんと
「そうですか?」
「そうだよ。羨ましいよ。ああ、兄妹か‥‥‥私も百崎くんみたな優しいお兄さんが欲しいな」
そう言った井上さんは僕の顔をチラリ―――じゃなくてガン見してきた。
そして突然、妹が一際大きな声を上げた。
「私たちホントの兄妹じゃないんで―――!」
「うん‥‥‥!?」
一瞬、妹が何を言ったのかわからなかった。
それは井上さんも同じで、首を傾げている。
「あっ、言ってませんでした? 私とお兄ちゃんは血が繋がってないんで」
「―――ぐほぉ! げほっごほ、ごほごほ‥‥‥何、ぐほっ‥‥‥」
突然のことで口の中にあったパンケーキを喉に詰まらせてしまった。
盛大に咽た僕に井上さんが自分の飲んでいるドリンクのグラスを差し出してくれた。
それを横から妹の手が遮る。反対の手に持った自分のグラスを強引に僕の口へと押し当てた。
「‥‥‥
妹が飲んでいたグラスに口を付け、とりあえずパンケーキを胃へ流し込んだ。
「な、なに言ってんだよ!?」
「事実だけど」
何食わぬ顔で言ってのける妹の真意がわからない。
僕たち家族の関係を簡単に他人に話したことなんて1度だってないはずなのに。
衝撃の告白を聞いた井上さんは目を見開いて僕と妹の顔を交互に見ていた。
「あのな‥‥‥こんなところで喋っていい話じゃないだろう」
「ふん!」
誰が聞いているかわからな。僕は声を抑えて諭すように言った。
鼻を鳴らした妹は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
「そ、そうだったんだ‥‥‥なんとなくだけどわかった気がするよ」
僕たち兄妹の顔を見比べていた井上さんは、何度も頷く仕草を見せ得心した様子だった。
たしか僕たち兄妹が似てないって指摘していたから、自分の中で答え合わせができたということなんだろうか‥‥‥。
「今日はありがとう。ごちそうさまでした」
「どういたしまして。また食べに来ようか?」
「そうだね」
「あっ、私も~!」
妹がとんでもない話をぶっこんできて、その後のことは正直あまり覚えていない。
食べ終わると井上さんは急用を思い出したとかで―――僕たち兄妹とカフェの前で別れることに。
「百崎くんはここで待ってて」
そう言ってから井上さんは妹を連れて僕から離れた。
一体なにを話しているんだろうか? 妹の暴走に気力を奪われた僕はその場にしゃがみ込んで女子同士の密談が終わるのを待った。
陰キャな兄がギャルな妹を寝取ると心に決めた2年生の5月は、あっという間に過ぎ去った。
6月に入ってから、連日のように夏日が続いていた。
制服は夏服へと衣替えし、生徒の大半が半袖シャツにネクタイという格好。
一部の女子はサマーニットをシャツの上に着て個性を出している。妹は例に漏れず、短いスカートはそのままに、ニットの下に着ているシャツの胸元を大きく開け(兄として注意はしている)、着崩すことによってギャルを主張していた。
学校最寄りの駅を出て、正門へと続く緩やかな坂道を歩く。
少し前には妹と魔王の背中が見えていた。
近頃よく見かける光景、そんな場面を見守りながら正門を潜ったところで事件は起きた。
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