花婿図鑑〜もふもふ姫が真実の愛を掴むまでの研究記録〜
もちもちしっぽ
序章 失恋したけどめげるものか。花婿を狩りに行くぞ!
初恋
「生憎、金にはそんなに困ってないんだ。でも、それじゃあ君の気が済まないんだろう?」
穏やかな深緑色の瞳に吸い込まれるように、青年の顔を振り仰げば、真っ白な毛先が薔薇色に咲きそむ頬を撫でた。
フェリチェの肩口を、艶やかな髪がさらりと滑る。
青年はしなやかな指で、その一束を掬い、ゆったりと微笑んだ。
「それなら……。君のカラダを、俺の好きにさせてくれないかな?」
甘く、耳朶を打つ声音で、最低な問いを投げかける彼に、フェリチェは全身の毛を逆立てた。
まったく人間のオスときたら、どいつもこいつも碌なものがいない――!
白い被毛に覆われた耳をぴくぴく震わせながら、フェリチェはこの旅の始まりを思い返した。
あの日も、人間のオスに失望して泣いたのだった、と……。
――――――……
――――……
――……
『拝啓。お星様の彼方にお住まいのお母様。
フェリチェは今日、大人フェネットの仲間入りを果たしました。
わたくしはこれから、愛しのレナード様を、花婿として迎えに街へ降ります。どうぞお見守りください!』
木の葉にチャルミの根っこで書いた手紙を、墓前に供えてきたのは今朝のこと。
期待に胸を膨らませたフェリチェは、フェネット族特有の大きなオオカミ
すべては愛しい婚約者に会うために。
(レナード様は爽やかな果実の香りがするの)
一昨年のオーグの月。山の麓でキャンバスと向き合うレナードに初めて会った時、フェリチェは彼が纏うコロンを、とてもいい匂いだと心に刻んだ。
彼の甘く蕩けるような笑顔も、鏡以上に鮮やかに描き出してくれるフェリチェの似姿も、思い出そうとすれば自然と、その香りがフェネットの敏感な鼻をくすぐった。
風が運命を運んでくる。フェリチェは匂いを頼りに、街まで来た。
二ヶ月ぶりに彼に会ったら、迷わずその胸に飛び込むと決めている。
成人したことを告げたら、彼は喜んでフェリチェを抱き上げてくれるのだ。そして人々に祝福されながら、二人はフェネットの里へ送り出される……そんな未来を思い描き、フェリチェの頬は野花に負けじと春めいた。
それなのに――。それなのに、だ。
現状はどうだ。
二人を取り囲む人々の顔に、祝福の色はない。おろおろと戸惑いを露わに見守る者、野次馬根性丸出しで楽しそうに爪先立つ者。
その中心にて、フェリチェは天を仰ぐ。
白雪のように柔らかな被毛に包まれた耳は力無く垂れ下がり、柳の尾は股の間で寂しげに揺れた。
「レナード様……」
大きく息を吸って、吐き……フェリチェは努めて平静を取り繕う。すると、里を出た時とはまるで真逆の言葉が、するすると滑り出た。
「わたくしとの結婚のお約束は、本日をもってなかったことに!」
それが、フェリチェの成人の日に起きた最悪の出来事で、すべての始まりであった。
※ ※ ※
「今なんと言ったんだい、フェリチェ? 僕の聞き間違いでなければ、別れてほしい――と?」
「ええ。そうです」
「悲しいよ……。愛しい君に突然別れを告げられるなんて……僕の何がいけなかったんだい?」
「何がいけないか、ですって? ご自身の胸にお聞きになって!」
フェリチェが指差した先、飛び込むはずだった愛しい胸には、すでに先客がいた。
レナードの胸には、往来を歩くには少しばかり人目を憚る薄着をした、美しい御婦人が両脇にべったりとくっついている。
彼女らの腰をしっかり抱き寄せているのは、レナードの手に他ならない。
「フェリチェと結婚の約束をしていながら、これはどういうおつもりですの!」
「いいじゃないか、ちょっと息を抜くくらい」
「いいえ、ちっともよくない! 破廉恥! 浮気者! そんな方とは思わなかった。ですので……約束はなかったことに! 当然ですわよね」
フェリチェが花婿に求める絶対の条件は、浮気をしないこと。これでは温め続けた恋も醒めるというものだ。それで自ら婚約破棄を申し出たのだが――。
「嗚呼っ……なんということだ。僕は本当にフェリチェを愛しく思って、君との結婚生活を楽しみにしていたのに……」
レナードが大袈裟によろめいて地に伏せるのを、住民はどこか冷めた目で見つめた。
それもそのはず。この男――街の領主の四男坊にして、女癖の悪さと放蕩自堕落ぶりで悪評高い不良債権なのだ。
まさかフェネット族の姫君が引っかかってしまうとは……と、フェリチェを見る目にはどこか憐れみが込められている。
「……どうせ僕は領地も貰えない四男坊だし、君のところに婿入りできるなら悠々自適に、のんべんだらりと暮らせると思ったのになぁ」
耳がいいせいで聞こえてしまった彼の
怒りに身を任せれば、用意していた愛の言葉はたちまち呪いの罵倒に置き換わる。
フェリチェの口からそれらが滑り出ようとしたその時、レナードが一足先に達者で軽薄な口を開いた。
「はあぁ、恋に敗れた胸の痛みだけでも僕は立ち直れない。その上、このような公衆の面前で婚約破棄とは……なんと不名誉なことか!」
情婦たちに支え起こされながら、レナードはフェリチェに指を突きつける。
「ああ、胸が痛い、苦しい、張り裂けそうだ。……そ、こ、で、だ! 僕は君に、相応の謝罪と誠意の提示を求める!」
「誠意?」
「フェネットの髪は、市場では一級品。姫の髪の一房でもいただければ、数ヶ月は遊んで暮らせる……ああいや! 傷ついた心の治療を受けられる! どうだい、フェリチェ。心の広い僕が、君の無礼を髪の一房で許してやろうと言うんだ。安いものだろう?」
レナードは腰に穿いた剣を抜いて、フェリチェの足元に放った。
刀身が春の陽射しを弾く。使い手の腐った性根に似つかわしくない、丹念に鍛えられた鋼は眩かった。
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