第十一楽章

 「正二、おめぇ一体どこに行っとんだい!!」


正二が平屋の引き戸を引くと共に、怒声が聞こえた。その声は波打つようにして僕らを飲み込んで行った。


「しょ、正二…これやべぇんじゃねぇの?」


「やっちまったべ……」


足音が迫りくる。僕の予想では、この足音と声は、鬼の形相をした正二の母だ。


「コラ‼しょう……って、え?」


「あっ、お邪魔しま~す」


まずはミアが前に出て挨拶。


「……は?」


どうやら通じなかったようだ。仕方ない、ここは僕が!


「おばさん、久しぶりです!」


「あらあらまぁまぁ…東風?こんな遅くにどぉーしたの?」


正二の母は、よく余りもののおかずをくれたりした。以前の僕にとって、数少ない楽しみの内の一つだった。


「それが、道に迷っちゃって……正二…さんが泊めてくれるとのことで、来ました!」


「おめぇのそのスキル、もっと他のことに活かせねえのかよ……」


後ろで誰かの呆れた声がしたが、聞こえないふりをしておくのが得策だろう。


「あらぁ——、それならお腹空いたでしょ?ご飯、もうすぐ出来るからね。……正二!早く手伝いな!」


「こんつらも手伝わせりゃぁいいべ」


「あんた、何言っとんだい!……まぁ、それもそうか」


珍しく正二の意見が通った。いやぁ~、こんな奇跡もあるもんなんだねぇ…。


「んじゃぁ東風、あんたちっとは料理できるだろ?手伝ってくんろ」


「あ、はい!」


正二の母がそれぞれに役を与えてゆく。


「そこの眼鏡!あんたは右の部屋に布団を出しといてくれ」


「め、眼鏡……」


俯きがちに、右の…寝室と呼ばれている部屋へと入っていった。右の部屋から漏れる光が、頬を照らす。


「さて、そこの…女の子?あんた、名前は?」


「水月と申します。本日は泊めてくださり、ありがとうございます」


れ、礼儀が正しい…!正二も目を丸くしていた。


「堅苦しいねぇ、もっと気ぃ抜いても良いべよ、水っちゃん」


そう言って水月の片方の肩を優しく叩いた。


「は…はい……」


「んじゃぁあんたはそうだねぇ…そこにある服、たたんで頂戴」


おばさんの指の先には…服の山という程ではないが、服が何層かに重ねられていた。


「はい!」


どこか嬉しそうに返事をして、服の山がある廊下に座り込んだ。水月の手つきを見るあたり、あまり家事はしたことがないと伺える。


「正二と東風はこっちにおいで」


左のドアが開く。中には年季の入った鍋などが置かれた棚に、黒いすすが付着しているかまど。まな板には、刻みかけの野菜が放置されていた。


「いつもより多めに作るから手伝っておくれ」


「はい!」


「だりぃ…」


玉ねぎに泣かされたり、味見したら舌を火傷したり…。そんな災難な目に合いながらも、無事に料理は完成した。


「わぁ、美味しそう」


「良い匂いすんなぁ~」


食卓にどんどん人が集まってくる。水月にミア、そして…正二の父?


「おぉ。東風、来とったんかい」


「おじさん!お邪魔してます」


いつも通りの軽快な笑い声を上げながら、水月やミアに自己紹介をしていった。


「さ、さっさと食べるよ」


「はーい!」


それぞれが沢山の話をした。沢山の話をして、沢山笑った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ご飯も食べ、久しぶりに熱い湯に浸かることも出来た。寝室は真っ暗で天井は見えないが、横にいる正二なら見えた。その横で、どうも寝る体勢が決まらないので、さっきから寝返りをうっている。


「東風、寝れないんべ?」


「あ、起こしちゃいまし…起こしちまったか?」


「…ああ」


起しちゃったか…。申し訳ない。


「東風、無理はしねぇでくれ」


「無理…?」


「もしオラの言っちまったことが東風を無理させてんなら、元に戻っとくんれ」


無理…別に猫を被ってる時も今も、無理はしてない。無理することに慣れた、とも言えそうだけど。


「無理はしてませ…ん」


「ほうか…」


正二さんの後ろからは、ミアの寝息と正二の父の息が聞こえた。足元からは正二の母の呼吸音と、水月のいびき……いや、これは寝息だ!とにかく、寝息が聞こえた。


「正二さ…正二は、どうやってミアと仲良くなったんだ?」


「オラとミア?ん——、そんだなぁ…何年前になんだろぉなぁ」


不意に思いついた質問を気軽に尋ねただけだった。真っ黒な天井のを見つめながら、なかなか答えてくれない正二にじれったくなり、足を揺する。


「アイツ、昔作ったでっけぇからくり人形っつうもんでよぉ、ガキの頃んのオラをケガさせちまったんだべ」


「…へぇ—」


「んで、そんからアイツは村に遊びに来んくなった」


だとすれば二人の接点はなくなる。でも二人は今こうして仲良くしている。疑問に比例するように、僕の周りを囲む暗闇が一層濃くなってゆく。


「オラ心配になったかんよぉ、ちょいと村外れまで…ミアが住んでそうなとこ目指したんば」


夜の少し冷たい空気に、正二の声はよく響いた。


「そこんで、迷ったんべ。でもよぉ、夕方ごろんにミアに会えたんだべ」


「良かったじゃないです…じゃないか」


そろそろ寝ようと思ったが、正二の口が開く音がした。…どうやら続きがあるらしい。今しか聞けないような気もするので、耳を傾ける。


「ミアに村まで案内してもらいたかったけんどよ、何故か逃げ出したんべ。オラ、すげぇ必死で追いかけたんべど…綱んとこで逃げられたべ」


綱…あの怖い思いをしたヤツか。もしかして正二、あの難易度が高い岸渡を…初見でクリアしたのか?


「どうせ村への帰り方も分かんねぇし、いちかばっかやってみたんだべ…‼」


おぉ…正二の声には緊張が含まれており、こちらまでドキッドキするぜ…‼天井裏を走るネズミの音に合わせるように、鼓動が早まる。


「すっとよぉ…上手くいったんだべ」


「上手くいったんかいっ」


いや、失敗してほしい訳ではないけども!さっきのドキドキを返してくれ…。


「そんときにミア言っとたべ。こんなに良い友達を裏切った自分はダメな奴だって」


「裏切ったんだ?…ん?」


ミアが言っていた、正二が裏切られたエピソードはこれ?…だとしたら、思ったよりも軽いような……。もっと重い話だと思ったんだが。


「アイツ、感動しとったべ。崖を超えてまで自分のために来とくれるヤツを僕は裏切ったんか、って。オラは村に帰れんかっただけなんばけんね」


み、ミアァ~アイツ‼先人の言葉のように重んじた僕がアホだった!というか、話盛り過ぎだろっ!


「そろそろ寝るべ」


「…はい」


眠たい目が覚めたと思ったが、不思議と瞼が閉じてゆく。天井の闇と一体化してゆく気がした。

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