第十楽章

 スズランやハナミズキの花弁が弧を描く。風が強く吹き付け、遠くからは笛の音が聞こえる。私が奏でられなかった音色の音が…二つ?


「水月って言ったっけ?初めてにしては上手いね」


耳に全ての集中力をかけて、やっと聞こえた。


「うん、僕の幼馴染とは違ってちゃんと吹けてる」


吹けてる…もしかして水月が、私の笛を吹けた?こんな短時間で?走り続ける足が、これでもかという程に速くなる。


「はぁ…あぁもう!しぶとい!」


水月の雷が落ちたな…。これ、青嵐の心配した方が良いかもね。水月がガチギレしたら、青嵐なんか一発よ。


「そろそろ諦めたら?」


…これは水月の声なのかな?もしかしなくとも、水月圧されてる?夜目が二人の人影を捉えた。


「っ…」


キツネの面をつけていないから断定は出来ないが、残月さんっぽい人と水月がいた。それも、疲れ果てた姿で。


「水月!」


「あれぇ?わざわざ来てくれたの?」


二人の人影の奥に、もう一人闇に紛れている人物がいた。何を隠そう、青嵐だ。


「薫風?」


「水月!大丈夫?!」


あと残月さんも!そう言おうとしたが、奴に遮られた。


「薫風…もしかしてあだ名?」


「…私の名だ」


「えっ?でも名前は…」


「私の名は薫風だ」


肩をわざとすくめる素振りを見せる青嵐。スズランの花弁が押し寄せる。


「何でもいいよ。どうせ日が昇る頃に君…薫風はいないんだし」


「ハッ、それは困った…」


目の前にいた人影が消えた…。どこにいったんだ?


「薫風、後ろ!」


「ハイ!」


水月のおかげで、変な掛け声と共に後ろから飛んできた小石を避けられた。…いや、初っ端から小石?!


「次、左!」


しまった、油断してしまっていた。ヤバい。左から木の枝が大量に降ってきた…。


「うわ!」


咄嗟に閉じてしまった目を開く。腕には多少の擦り傷があるが、さっきの攻撃を受けていれば、もっと傷があるはずだ。


「痛ぅ…」


痛みを噛み締めた声が真正面から聞こえた。視線を腕から上げる。声の主は、紺色の着物を身にまとい、おかっぱの頭をしている。


「月白…さん?」


正直、残月さんと月白さんの見分けが付いていなかった。でも、直感的に月白さんだと思った。


「まぁ、残月なんですけどね…痛ぅ…」


…申し訳ございませんでした‼と、土下座したいところだが、青嵐がまたもや攻撃を仕掛けてこようとしている。


「残月さん、隠れておいてください」


「でも薫風様は…」


「早く‼」


私の眼力にやられたのか、下駄の音がしたと思えばすぐに、目の前から残月がいなくなった。


ピュー…


笛の音が聞こえたってことは、また攻撃が来るのか…。感覚を研ぎ澄まし、どの方位から攻撃が来ても避けられるようにする。


ピュ—――――


綺麗な音色…。


「薫風‼」


「え?」


視線を水月と合わせた途端、目の前で風の扉が閉まる。同時に、体が浮く。


「あ、うわぁ!」


「面倒くさくなったから、落下させるよ」


良く見ると、竜巻的な何かに飲み込まれたらしい。目が回る、回る、回る…。


「う、うげぇ~」


「あれ?酔った?」


数メートル上に、高見の見物をしている青嵐の姿が見える。手には、憎いあの笛が握られていた。


ピュ―――


手を無我夢中で笛に向かって伸ばす。でも、届きはしない。


「もう諦めた方が良いよ。疲れたでしょ?」


「ングぐ…」


「はぁ…変なトコで意地っ張りだよね」


ダメだ、全然届かない…。水月との旅は、ここで終わっちゃうの?そんなの、早すぎる!まだ全然日数も経ってないし、水月とも全然話してないのに…。


ピュ―――


また青嵐が笛を奏でたのかな?手加減なしか…ってあれ?さっきよりも青嵐との距離が縮まってる気がする。


ピュ――――――


後ろから笛の音?おかしい、青嵐は上に居るはずなのに。


「薫風!加勢するから笛を奪い取って‼」


水月の力強い声。この声が私の人生を大きく左右させた。これからも、何度もこの声に助けられたい。…なら、諦めるという行為は冒せない。


ピュ―――


青嵐との距離が縮まる。


「え?なんで風が水の民の言うことをきくんだ…?」


驚愕している青嵐は、笛を吹いていない。直感が今しかチャンスはないと告げる。


「はぁ!」


手刀で青嵐の手首を強く叩く。全力を振り絞って叩く。


「痛!」


見事、狙い通り縦笛が青嵐の手から滑り落ちた。竜巻のように渦巻いていた風が止む。…急落下してる?


ピュ―――


流石水月。私と青嵐をそよ風がさらうようにして着地させた。


「薫風、大丈夫だった?」


「薫風様、ご無事ですか?」


二人が問うてくるのを微笑みで返す。


「うぐ…」


「あ、アイツ…」


「薫風様、水月様、お下がりください」


残月が私たちの前に出る。でも、もう攻撃してくる気配もない。それに、また巻き込むのもあまり良くない。


「二人とも、月白さんのところに先行っといて」


「しかし、まだ奴は生きて…」


「大丈夫だから」


「えぇ…」


不満そうな気持ちを表に出していたが、すぐに月白さん達のもとへ行った。


「ふぅ…」


水神の泉近くで何度もついたため息。


「青嵐…」


スズランが咲き乱れる上に、絶望の顔を見せながら寝転んでいる。


「アハハ…僕の負けだよ」


「青嵐…これからどうするの?」


「これからって?」


苦笑したまま夜空をじっと見上げている姿は、儚かった。


「あなたは、私を始末出来なかった。…恥になったのよ?」


「うん。分かってるよ、それぐらい」


「分かってない!し、死んじゃうかもしれないんだよ?」


私みたいな、笛も吹けないヤツにやられるとか…恥の極まりないよ。


「君には関係ないだろ?…もしかして、心配してるの?」


「心配はしてない。ただ…」


「ただ…何?」


「ただ、生きたいとは思わないの?明日も、明後日も…一年後も」


こんなヤツ、そう思っていても少しは仲が良かった。だから、簡単には失えない。


「思うよ。でも、無理なんだ」


「…どうして?」


「追手から逃げ切れる程、僕は運が良くない」


こんな会話を水神の泉で水月とした。あのとき私は逃げる選択をしたから、今生きている。なら、青嵐も生きられるはず。


「逃げようよ」


「え?」


「どうせ死ぬなら、運に掛けてみようよ。一人が嫌なら、私たち三人で逃げよ?」


初めて水月に助けてもらった言葉。軽い言葉ではないと分かっている。


「……やめとくよ」


「えっ…」


「僕には、君とは違って沢山の思い出があるんだ。…だから、集落に戻れるならなんでもする。君たちを裏切る可能性だってある」


「でも、このまま集落に帰ったら死んじゃうかもしれないんだよ?もし死ななかったとしても、集落から追放される…」


いくら説得を試みようとしても、無駄だということは十分理解している。でも…このままじゃ何か大きなものを失ってしまう気がする。


「ここ、シロツメクサある?」


「へ?」


突然何を言い出すんだろう。


「あるけど…」


「じゃぁ、最後に勝負しよ」


ゆっくりと起き上がる満面の笑み。最後、その言葉がずっと頭の中を駆け巡る。


「うん…良いよ」


「じゃぁ、始め」


シロツメクサを探す手が、昔の自分の手と重なる。懐かしさと、虚しさに襲われる。それでも手先は器用に草花をかき分け、シロツメクサを編んでゆく。


「「完成した」」


声が重なる。どうやら勝負は、引き分けのようだ。


「早くなってる」


「君は遅くなってる」


もしも私が普通に笛を吹けていたら、今は再会を喜び合っていたかもしれない。もしもここが風の民の山でなく、人里だったらどうだったんだろう?


「じゃぁ、恒例の交換な」


「分かったよ」


シロツメクサの花冠…いや、花王冠をお互いに投げ合う。


「楽しかった…じゃぁね」


「うん…」


「……あと…5歳になるまでの日々は、楽しかった」


背を向けて、風の民が暮らす山へと歩く姿を見送る。手には、交換した不格好な花王冠が載っていた。


「青嵐…」


青葉の頃に吹く、少し強い風を思い出す。

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