風水の音色
@kitunetuki12
薫風編
序奏
木々の間から差し込む、虫食い模様の朝日。小鳥の歌声。遠くから聞こえる川のせせらぎ。幻想的な世界に一人佇む。
「ふぅ…」
腰から下げているポーチが重い。物理的にも、精神的にも重い。
「ふぅ…」
ポーチから筒状の物を取り出す。指にずっしりと重みが加わる。
「ふぅ…」
大丈夫。そっと息を吹くだけ。さすれば、きっと期待通りの音が出る。そう信じながら、筒状の物を縦にくわえる。
ピューピョッ!
……今のはカウントには入ってない。大丈夫、次はいける。
ピュー…ピョッ!ピャフ!
…笛ってこんな音するっけ?
ピューバフッ!
もういいや…。幾何学的な模様が彫り込まれた笛を、腰下げポーチに荒く差し込む。そして、そのまま木陰の元で寝転ぶ。
「あぁ…」
いつまでこの笛を練習すればいいのだろう?そう考えることが日常だった。でも、今はもうそんなことを考えても意味がない。明日までにこの笛が吹けないと私は…。川のせせらぐ音がより一層強くなる。それに比例するかのように、目から水が溢れる。
フー…
遠くで憎らしい笛の音がする。聞いたこともない音…私が一生をかけても手に入れられない音がする。
フー
気のせいか、段々と音が近づいてくる気がする。やめてほしい。ただでさえ、今笛の音に絶望しているというのに。
フーフー
虫唾が走るような、綺麗な音。でも、私たちが使う笛にしては少し音が高い気がする。もしかして…。
「あなた、水神の泉で何やってるの?」
頭上から透明な声がする。でも、どこか強い声。
「あなた、北東の民族でしょ?なんでここに居るの?」
良く見ると、木の枝に一人の少女が立っていた。手には、銀色の横笛を持っている。
「黙秘で押し通すつもり?」
木の葉が揺れると同時に、目の前に少女が着地した。横笛の先端を喉に当てられる。少し冷たかった。
「いつまでも寝てないで、立ったら?」
提案ではなく、命令に近い言い方だった。命令通り、体を起こす。フード付きのポンチョに葉っぱが絡まると思ったが、葉は一枚もくっついていなかった。
「ここで何をしてたの?」
銀色の横笛は喉に当てられたままだった。喋りにくいが、仕方ない。ここで文句を言えば、明日ではなく今死ぬことになるだろう。
「笛の練習…」
「はぁ?」
信じられないという顔を見せる少女の気持ちはよく分かる。この山の北東に住む、妙な笛を使って風を治める私たち一族は、小さい頃から笛を吹く練習が始まる。5歳になれば、全体の99.99999…%の人々は笛を吹けるようになる。でも…それは100%でない。
「あなた、何歳なのよ?」
何度も言われた質問。答えを考えるより先に、口が動く。
「14歳」
「14で笛の練習?あと…1年しかないじゃない!」
その言葉を遮るように、首を左右に振る。違う、あと一年もない。
「明日で、15になる」
大したことは言ってないはずなのに、少女の顔はみるみる険しくなっていく。次にどんな言葉が来るのか、少し好奇心をくすぐられた。でも、静寂が続く。やっと口を開いたかと思えば、すぐに閉じた。
「あなたの集落にも、掟があるの?」
会話が続かないのは、少し気まずい。気まずい空気を破るには、世間話が一番だと本に書いてあった。
「あるけど…あんな掟、発動したことは一度もないわ」
まぁ、そうだろう。笛は皆、遅くても7になる日までに吹けるようになる。そして、9歳から風を治める使命が与えられる。でも…私は、7になっても笛は吹けなかった。9になってやっと、1音出せるようにはなった。しかし、9になる頃にはもう、一族からは見向きもされなかった。
「明日には、一族の恥になった罪を償わないといけないらしい。おかしいね」
ホントにおかしいと思う。自分がこんなにアッサリ死を受け入れるなんて。
「逃げようとは思わないの?」
「何から?」
「風の民から」
逃げようと思ったこと…数えきれないぐらいある。でも、笛が吹けない私と風の民では、勝負が出来ない。一方的な弱いものいじめ的なものになるだろう。
「無理だ。笛も使えないのに、逃げられる訳がない」
「どうして?」
「風を操れる超人と笛が吹けない風の民、すぐに追い詰められるに決まってる」
「……練習、付き合うから。まだ諦めないでやってみなよ」
はぁ…。9になるまで、何度も言われてきた言葉。結局、練習に付き合う側は諦めちゃったけどね。ホント、うんざりする。
「あなた、水の民でしょ?なんで私に関わるの?」
一応、風と水の民族同士で仲は悪いはずだ。一部交流している地域もあるが、基本的には敵同士だ。それは子供であっても変わらないはず。
「それは…」
言葉に詰まる様子を見て、私に関わる理由が分かった気がした。笛を吹けず、明日死ぬ者を見て優越感にひたっているのではないだろうか?
「明日死ぬことのない人は気楽で良いな」
自身の成長のために時間を割かないといけない時期に、他人の心配まで出来るなんて。イライラする。そのうち、同情までしてきそうだ。
「私がいつ明日死なない、って言ったの?」
へ?
「確かに、私は明日死ぬわけじゃないわ。でも、置かれている状況はあなたとほとんど同じよ!」
少女の目が潤んでいた。もしかして、この子も…って、何を考えてるんだろう?さっきあの子が奏でていた音色は、まだ耳に残っているというのに。この子は笛を吹くことが出来る。私とはまったく違う。
「私は、水を治める使命が貰えるはずだった。でも、水に嫌われたわ…」
水に嫌われる?どういう意味なんだろう。
「笛をある程度吹けるようになったら、水の声が聞こえるの」
笛を吹けない私には理解し難い事実だった。でも、母は昔よく言っていた。風に嫌われない音色を奏でるのよ、と。
「私、感情ってものが演奏に込められないらしいわ」
「へぇ…でも、それが死に関係ある?」
「水の怒りを抑えるのに失敗したわ。気持ちのこもってない演奏なんて、聞く意味がない、そう水に言われた」
確かに、それは一族の恥に直結する。治める対象を怒らせるのは、とんだ大失敗だ。責任を問われる。
「いつ死ぬ予定なの?」
他人から見たら、怖い質問だろう。でも、私には好奇心を抑えられない。
「1年後」
まだ余裕がある。少なくとも、明日よりはましだ。
「あなた、名前は?」
話題を反らすつもりなのか、無理して微笑みながら聞いてきた。
「ない。我々の名前は、使命と共に与えられるもの。私にはない」
「そう…」
物語において名前を聞かれたら聞き返す、というのは鉄則だと、分厚い本に書いてあった。でも、聞く気になれない。どうせ明日には強制的に忘れるんだし。
「私はすいげつ。漢字で書くと、水月よ」
聞いてもいないのに、名前を名乗る水月は、無邪気な笑顔を見せた。その笑顔をどうしても直視できなかった。この笑顔をもう一度見たいと思わないようにしたい。
「あなた、名前がないと呼びにくいから…」
そのまま考え込む少女…いや、水月は難しそうな顔をしていた。
「くんぷう…。薫風はどう?」
薫風…悪くない。むしろ、私には勿体ないぐらい、良い名前だった。
「ありがとう。でも、私には必要ない。どうせ、明日までしか生きられないんだ」
水月の視線が下がる。川のせせらぎは変わらず大きな音をたてている。
「そのことだけど…一緒に逃げてみない?」
逃げる…。たった二人で?
「二人で、追手が途絶えるまで」
「そんな奇跡にかけるつもり?」
「むしろ、明日死ぬぐらいならその奇跡にかけてみない?」
水月の目が真っ直ぐに私を見つめる。訪れるはずのない明後日や1年後を、生きられるのかもしれない。そう思うと、忘れ去っていた生きることに対する未練が押し寄せてくる。
「確かに、明日死ぬぐらいなら逃げるのもありかもな。」
水月といういつか同じ境遇になる少女と共に、どこかへ逃げる。これはこれで良いかもしれない。
「じゃぁ、決まり!この水神の泉で今日の夜…日付が変わる時に」
「分かった」
川のせせらぎが聞こえる中、すぐに水月はどこかへ消えてしまった。頬をひっぱたく。痛い…。どうやら、夢ではなかったようだ。日付が変わる時、水月と共にこの異常な世界から二人で逃げ出す。夢みたいな話が現実で起こるとき、私の運命はどう左右しているのだろう。
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