《第三章》部活動の日々とアドバイス
それからというもの、わたしは毎日スネアドラムを使った基礎練習にはげんだ。
日高くんは部活の間、ずっと指導してくれている。
わたしは助かるなぁ~と思いつつ、練習時間をうばって悪いなぁ~とも思っていた。
そんな四月二十五日。木曜日の放課後。
「――日高くん、ちょっといい?」
スネアドラムをたたく手をとめて、わたしはとなりに立つ日高くんに声をかけた。
「ん、どうしたの? つかれたなら少し休む?」
「あ、ううん、大丈夫。そうじゃなくて、日高くんわたしにつきっきりじゃない?」
「うん、そうだけど……それが何か?」
首をかしげる日高くんに、わたしは思いきってたずねた。
「日高くんは練習しなくてもいいの?」
「ああ、そういうこと」
日高くんは納得したように言うと、胸を張った。
「安心して。おれ、課題曲と自由曲の自分のパートは、演奏できるようにしてあるから。あとは合奏の練習の時に、音量を調整できればって感じ」
「えっ!? 中学に入ってから一か月も経ってないのに? すごいね」
驚くわたしを見て、日高くんが少し照れくさそうに頬をかいた。
「打楽器経験者だからこれくらいは……。それに小夜さんが入部するまで、練習時間はたっぷりあったし」
「え~、それでもすごいと思うけど」
「もう、おれをおだてても何も出ないよ?」
少し首をかたむけた日高くんが、微笑んで言う。
(わ~っ! 危険な笑顔っ☆ 不意打ち、不意打ち~っ)
「わ、わたし、そんなつもりじゃ……」
「じょうだんだよ。だからおれの心配はしなくて大丈夫。さ、練習を再開しよう」
「う、うんっ」
(本当に日高くんってたよりになるなぁ。でもずっと面倒を見てもらうのは悪いから、早くリズムおんちを克服しなきゃ。あと、うっかり恋に落ちないようにしないとね!)
わたしはバチを構えると、再びスネアドラムをたたき始めた。
でも、すぐに打楽器が上手くなることはなく……。(しょぼん)
他のパートの部員たちが曲を練習している姿を目にすると、あせってしまう。
そんな四月三十日。火曜日の放課後。
今日もわたしは、音楽準備室で日高くんに打楽器の練習を見てもらっていた。
「それじゃあメトロノームの音に合わせて、もう一度たたいてみようか」
「うん! 分かった」
わたしは親指と人差し指でしっかりとバチをつかむと、残りの指で支えた。
そしてカチ、カチ、と左右に動いているメトロノームの音に耳を澄ませる。
――いざ! とわたしはバチをふり上げた。
タン、タタン、タタン、タン
タッタタ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ
タタタッ、タタタッ、タタタッ、タタタッ
タン!
「あっ! テンポは合ってきてるよ。だけど教則本の通りにたたけてないね」
わたしはしゅん……と肩を落とした。
「ゴメンね……。つきっきりで教えてもらってるのに、いつまで経ってもたたけなくて」
「気にすることないよ。おれ、人に教えるの好きだしさ。楽しいよ」
何てことないように日高くんが言う。
「ありがとう、日高くん……」
(うう、日高くんって本当に優しい……。恋に落ちそうでこわいよ~)
わたしは心の中で情けない声を上げると、心を落ち着けるために息を整えた。
「それじゃあ小夜さん、もう一度――」
「――おつかれ~っ、一年生ズ!」
音楽準備室の扉のほうから声をかけられて、わたしと日高くんはふり返った。
開けたままの扉から、東風谷先輩が明るい表情で入ってくる。
わたしと日高くんは「おつかれさまです!」と返事をした。
「ゴメンな、練習のじゃましてもうて。小夜っち、部活には慣れた?」
「あっ――はいっ。日高くんのおかげで」
わたしはぴしっと姿勢を正した。
どうやら部活に入ったばかりのわたしを、気にかけてくれているみたい。
普通だったらありがたいことだけど……わたしは人魚姫の病にかかっている。(泣)
東風谷先輩は男子だから、どうしても身構えてしまうんだよね……。
「そっか。よかったわ~。でも、ちょ~っと打楽器の演奏に手ぇ焼いてるみたいやなぁ」
顎に手を当てて東風谷先輩が言った。
「あっ……スネアドラムをたたく音、聞こえてます……よね」
わたしはバツが悪くなった。
音楽準備室の扉はつねに開放してある。
と言っても、練習中に他のパートの部員がここにくることはほとんどない。
みんな、ここで楽器を取ったら、部活が終わるまで他の場所で練習しているから。
日高くんの話によると、昔、打楽器パートの先輩が、音楽準備室でこっそり漫画を読んでいたんだって。それ以来、扉はつねに開けるようになったのだとか……。
「うん、ちょこっとだけ聞かせてもろた。大丈夫? がんばれそう?」
東風谷先輩が少し心配そうな口調で言った。
「は、はいっ、大丈夫です。わたし精いっぱい練習しますのでっ!」
そう宣言すると、東風谷先輩が目を瞬いた。
「そっか! 小夜っちってがんばり屋さんなんやな~」
真正面からほめられて、わたしは照れくさくなった。
「が、がんばり屋と言いますか、がんばらないとダメと言いますか……」
「あんま気ぃ張りすぎんときや~。でも、やる気あるみたいやし、ちょっと安心したわ。オレ、ちょこちょこ様子を見にくるからなっ」
「えっ!? えっと、はいっ!」
うそでしょ~? さっそく年上の男子……しかも部長と関わることになっちゃった!
こんな展開、予想外だよ~っ! 日高くんと二人でいるだけでも危険なのにぃ~。
「ははっ、小夜っち、緊張しすぎやって~。ほなオレは退散しま~す」
と言うと、東風谷先輩は「ほなな~」と手をふって音楽準備室を出ていった。
日高くんは「今日も先輩は元気だな~」と感心したように呟くと、わたしに向き直った。
「それじゃ、練習にもどろっか」
「あっ、うんっ! そうだねっ」
気を取り直したわたしは、スネアドラムの前ですっとバチを構えた。
それから日高くんの指導の元、バチを動かし続けた。
部活が終わって、わたしと日高くんは校門まで歩いてきた。
「じゃ、小夜さん、また明日!」
「うん! また明日ね~っ!」
日高くんと手をふり合って別れると、わたしは通学鞄を肩にかけ直して歩き始めた。
住宅街の中を歩きながら「はあ……」とため息をつく。
(うう、日高くんは気にしないでって言ってくれてるけど、教えてもらいっぱなしなのは悪いなぁ。それにわたしがリズムおんちじゃなかったら、もう曲の練習に入ってるよね)
あせっても仕方ないけど、合奏は五月下旬からだから時間もそんなにない……。
わたしは再び大きなため息をついた。
「――小夜っち!」
「ふえっ?」
突然うしろから声をかけられて、わたしはふり返った。
すると、ぶんぶんと手をふる東風谷先輩の姿があった。
「こ、東風谷先輩! お、おつかれさまですっ」
立ちどまって、わたしは頭を下げた。
「おつかれ~っ。とちゅうまでいっしょに帰らへん?」
「えっ? は、はいっ。大丈夫ですっ」
――って、本当は大丈夫じゃないんだけど……。
東風谷先輩は男子だからいっしょに帰りたくないです、だなんて言えない。(泣)
「ありがと~」
と言うと、東風谷先輩がわたしのとなりに並んだ。
二人で歩き始めたところで、「そう言えばやけど」と東風谷先輩が口を開く。
「小夜っち、ズバッと聞くけどな、打楽器の練習で日高っちに面倒見てもろてんの、悪いな~って思ってへん?」
「えっ!? ……は、はい、思ってます」
東風谷先輩ってエスパー? と思いながら、わたしは先輩の顔を見た。
「やっぱそっか。オレ、小夜っちの気持ち、めっちゃ分かるわ~」
東風谷先輩がしみじみとした口調で言う。
「オレもな、一年の時、三年の先輩にず~っとつきっきりでフルート教えてもろててん。先輩は気にせんときって言うてくれてたけど……やっぱ気になってまうやん?」
「東風谷先輩……部長なのにそういう時期があったんですね」
てっきり一年生の頃から上手いから、部長になったんだと思っていた。
「うん。上手く吹かれへんくて、他のパートに移ろかなって思ったこともあってん。せやけど先輩がな、オレが先輩になった時に、初心者の後輩の面倒見てくれたらそれでええから、今はちゃんと教わっときって言うてくれてん。めっちゃ気ぃ楽になったわ~。せやから小夜っちも、そない考えてみてや!」
そう言って、東風谷先輩がニカッと笑った。
(ひゃあっ! さわやかな笑顔! デンジャラス!)
でも……胸の奥が温かくなってきたよ。
「ありがとうございます。気持ちが楽になってきました」
「ホンマに? よかったわ~」
と東風谷先輩が笑顔になる。
ひえ~っ、その笑顔は危険すぎっ! と思って、わたしは話題を変えた。
「そう言えば、先輩はどうしてフルートパートに入ったんですか?」
東風谷先輩の性格なら、明るい音の出るトランペットとかを選びそうなのに。
「オレ? オレはな~、音楽で人をいやせたらええなって思てん! フルートの音色って優しいやん? やから入ったんや。……せやけど~、やっぱオレのキャラ的にフルートってにあわへんと思う? バリバリ関西弁やし」
少しおどけた口調でたずねる東風谷先輩を見て、わたしは首を横にふった。
「いえ、にあってますよ! それにとってもステキな理由だと思いますっ」
東風谷先輩のフルートの音色は、きっと明るくて温かいんだろうな、とわたしは思った。
「そっか! ……へへ、ありがとな、小夜っち」
照れたように東風谷先輩が頬をかく。
わたしは、照れ顔もデンジャラス! と思いつつ、ふふっと笑った。
そんなふうに話していたら、いつの間にか十字路に差しかかっていた。
「オレんち、こっちやねんけど、小夜っちは?」
東風谷先輩が右側の道を指差して言う。
「わたしはこのまま、まっすぐです」
「そっか。ほな、また明日! 部活で会おなっ」
「はい! 貴重なお話、ありがとうございました」
ぶんぶんと手をふる東風谷先輩にぺこりと頭を下げると、わたしは横断歩道をわたった。
(そっか。東風谷先輩も一年の頃はわたしと同じだったんだ。でも今は部長。何だか肩の力がぬけてきたよ。それに、わたしをはげますためにいっしょに帰ってくれるなんて、ステキな先輩だなぁ――ってストップ! 恋に落ちるのはダメなんだってばっ)
何、楽しく会話しちゃってるの、わたしっ。
東風谷先輩は、ただの部活の先輩! とわたしは心の中で自分に言い聞かせた。
この日以来、東風谷先輩はちょくちょくわたしの練習を見にくるようになった。
日高くんから「先輩、またきたんですか??」って言われるくらい。
きっと部長として、わたしの成長具合が気になるんだろう。
(そりゃそうだよね。遅くに入部してきたポンコツ部員なんだもん。心配されても仕方ない……。でも、先輩とはあたりさわりなく接していかないと!)
とわたしが気をつける一方で、日高くんは東風谷先輩がくるたびに、頃合いを見て「先輩、そろそろ練習にもどってください」と言い、音楽準備室から退散させるのだった。
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