第41話 支部長からの依頼

 ダンジョン管理庁の幹部、塩釜達也の死が世間を騒がせてから数日が経った。

 連日テレビでは憶測ばかりが飛び交い、街にはどこか落ち着かない空気が漂っている。そんな喧騒をよそに湯島にある実家は昔と変わらない穏やかな時間が流れていた。


 俺はソファに深く身を沈めて、妹の菜月と他愛もないバラエティ番組を眺めていた。テレビの賑やかな音声が外の世界の不穏さを忘れさせてくれる。

 右手には、もはや相棒と呼んでも差し支えないポテトチップスの袋が握られていた。


「兄さんとこうしてのんびりするの久しぶりだね」


 菜月が俺の肩にこてんと頭を乗せながら楽しそうに言う。


「そうだな。……こういう時間も悪くないだろ? ほら、北海道で買ってきたやつ。限定のバターしょうゆ味だってさ。新しい味もこうして一緒に食うと美味いな」


 俺はポテチの袋を菜月の方に差し出す。彼女は「あーん」と悪戯っぽく口を開けた。その仕草に昔の面影が重なって思わず頬が緩む。


 そんな穏やかな時間が、テレビ画面の切り替わりと共に唐突に終わりを告げた。

 画面には、日本中を震撼させた事件の続報が映し出されている。専門家と名乗る男たちが難しい顔で憶測を並べ立てていた。


 画面には「塩釜達也氏 殺害事件から3日 捜査は難航か」という無機質なテロップが流れている。


 俺は飲んでいたコーラをテーブルに置き、自分でも気づかないうちに深く息を吐いていた。


「兄さん、気にしてるの? 塩釜さんの事件」


 菜月が心配そうに俺の顔を覗き込む。その瞳に映る純粋な気遣いが少しだけ胸に痛い。


「……ああ。あいつは嫌な奴だったが、殺されるようなヘマをするタイプじゃない。犯人の手がかりすらないなんてな」


 菜月はニュース画面に映る塩釜の顔写真を見て頷いた。


「兄さんを裏切った串崎の仲間……。やっぱり、テラ・ジェネクスが関係してるのかな」


 その可能性が最も高いだろう。だが腑に落ちない。

 塩釜が死んで数日。警察もギルドも、そしておそらくは瑠璃さんたちが所属する内閣神祇庁も、総力を挙げて動いているはずだ。それなのに犯人像すら見えてこない。もしくは秘匿していのか。


 あいつはクラス転移者の中でも攻守に優れたバランスタイプだった。異世界で何度も死線を潜り抜けてきた男が、そう簡単に殺されるようなタマじゃない。

 一体誰がどんな方法で……? 串崎か? 仲間すら切り捨てるとは思いたくないが……あんな実験をしているぐらいだからな。


 敵ではあった。だがこの胸のざわつきはなんだろう。喜びではない。

 俺たちの知らないところで常識では計れない、とんでもなく不気味な何かが動き出している。その正体不明の脅威に対する根源的な恐怖。夕張で見たモノ。あれは関係があるのだろうか。


 俺が事件について考えていると、テーブルの上にあるスマートフォンが振動した。

 画面に表示された名前に俺は眉をひそめる。


「山崎支部長」


 このタイミングで……? 偶然なわけがない。何か情報でも出てきたのか。

 俺は菜月に目線で合図して、そっとリビングを出て通話ボタンを押した。


「もしもし、青江です」

『青江君か。例の件で少し進展があってな』


 受話器の向こうから聞こえてきたのは、いつもの食えない声だった。


「塩釜の件ですか?」

『それも含めてだ。少し込み入った話がある。悪いが話がしたいので来てもらえるかね? 君にしか頼めない、厄介な仕事だ。場所は――』

「……分かりました。すぐに向かいます」


 電話を切ってリビングに戻る。菜月が不安そうな顔で俺を見ていた。


「悪い、菜月。ちょっと野暮用だ。すぐ戻る」


 妹の頭を軽く撫でて家を出た。




 人目につかない老舗料亭の静まり返った個室。山崎支部長はすでに席に着き一人で手酌酒を楽しんでいた。部屋には心なしか緊張感が漂う。


「まあ、そう硬くなるな、青江君。一杯どうだね?」


 俺が席に着くと支部長はにこやかに徳利を傾けた。その笑顔の裏にある計算高さを見抜きながらも、俺は黙って差し出された猪口を受け取る。


「……いただきます」


 なみなみと注がれた酒を一口で飲み干し、今度は俺が支部長の猪口に酒を注ぎ返す。透明な液体が、とくとくと音を立てて猪口を満たしていく。

 その返杯を受け満足げに頷くと支部長は猪口を置き、表情から笑みを消して単刀直入に切り出した。


「さて、本題に入ろうか。塩釜君の件、おそらくテラ・ジェネクスの内部抗争だろう。串崎君が邪魔になった駒を切り捨てた、というのが大方の見立てだ。だが問題はそれだけではない」


 支部長は声を潜める。


「君が日本に戻ってくる少し前だったか。最近、どうもダンジョンの出現が増加傾向にあってな。ギルドの調査が追いついていない未確認の場所がいくつかある。今回問題になっているのは、その中の一つだ」

「未確認?」

「ああ。ギルドのどのデータベースにも記録がない、全く新しい『イレギュラー』だ。エネルギー反応から推定されるランクはA、ないしはSの可能性もある。発見したBランクのクランが偵察に入ったんだが、入り口付近でとんでもない瘴気とプレッシャーを感じて逃げ帰ってきたそうだ」


 支部長はそこで一度言葉を切り、俺の目をじっと見る。


「発見場所は長野の蓼科高原。どうやら、廃墟になっている聖ソフィア礼拝堂がダンジョン化したらしい」

「礼拝堂が……ですか。また随分と厄介な場所に」

「うむ。そしてここからが本題だ。先日岐阜の山奥でテラ・ジェネクスの秘密研究所が発見された。塩釜君の死をきっかけに管理庁が動いた結果だが……どうやら内部で研究していたキメラの反乱があったらしく、施設は半壊。その混乱に乗じて極めて危険な被検体が一体、脱走したという情報がある。目撃情報などから、その個体がこの蓼科のダンジョンに逃げ込んだ可能性が捨てきれんのだ」


 またテラ・ジェネクスの研究所が関わっているのか。これは断れない。俺自身がこの件を追っていく必要がある。


「君に、このイレギュラーダンジョンの調査を依頼したい。特に被検体についての情報だ。Sランクの上月君には依頼したい事件も多い。だからこそ君の『影』の力が必要だ。これは私からの個人的な依頼だと思ってくれ」


 支部長は続ける。


「もちろんタダ働きをさせるつもりはない。危険な任務だ、成功の暁には君の口座に見合った額を振り込ませる」


 俺は支部長の目を真っ直ぐに見返した。金の問題じゃない。仕事として受ける。それも必要な要素だ。


「……分かりました。その依頼、受けます」


 俺の返事を聞くと山崎支部長は満足げに頷き、詳細な資料が収められた資料をテーブルの上で滑らせた。


「頼んだぞ影法師。くれれぐも死ぬなよ」


 俺は資料を手に取り立ち上がる。

 俺はただその渦の中心へと歩を進めるだけだ。

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