第15話「壇ノ浦の舞と別れの決意」
藤房との戦いを制し、
京での危機を乗り越えた私たち。
しかし、安堵も束の間、
鎌倉からの報せが、
さらなる絶望を突きつけた。
頼朝は、「義経」の功績を疑い、
京での不穏な動きを理由に、
ついに討伐の軍を起こしたという。
それは、私たち二人の秘密が、
最終局面を迎えたことを意味していた。
八咫丸は、疲弊しきっていた。
「義経」として戦場に立ち続け、
頼朝の監視を掻い潜り、
さらに私の危機を救うために
京へと駆けつけた彼の身体は、
既に限界を超えていた。
その夜、庵に現れた彼は、
面の下で荒い息を吐いていた。
人ならざる存在であるはずの彼が、
まるで病人のように苦しんでいる。
その姿を見るたび、私の胸は張り裂けそうになった。
「もはや、これまでだ」
八咫丸の声は、掠れていた。
「『義経』として、
これ以上頼朝と戦うことはできぬ。
だが、このままでは、お前も危ない」
彼の言葉に、私は顔を上げた。
彼の瞳の奥に、
これまで見たことのない、
深い悲しみと、
そして、ある種の決意が宿っていた。
「ならば……私が、前に出ます」
私の言葉に、八咫丸は首を振った。
「ならぬ。お前は女。
戦場に立つことはできぬ」
「いいえ。私が『義経』として、
最期の役目を果たします」
私は、迷いなく告げた。
それは、八咫丸に代わって、
私が「義経」として、
非業の死を遂げることを意味していた。
そうすれば、八咫丸は自由になる。
私自身もまた、
「義経」という名から解き放たれる。
しかし、八咫丸は激しく拒絶した。
「そなたに、そのようなことをさせるわけにはいかぬ!
私の全ては、そなたを守るためだ。
そなたが死んで、何の意味がある!」
彼の声は、怒りに震えていた。
「だが、このままでは、二人とも……」
私は、彼の腕に縋りついた。
私たちの間に、激しい口論が巻き起こる。
それは、互いを守りたいという、
あまりにも強い愛ゆえの衝突だった。
「私には、まだ役割がある。
『義経』としての最後の役目が」
八咫丸の声が、私の耳元で響いた。
「私の存在が、お頼みの目を引きつける。
その間に、お前は、
この都から、遠くへ逃れるのだ」
彼の言葉に、私は息をのんだ。
彼が、自らの命を犠牲にするつもりだと、
悟った。
「駄目です! そんなこと、させません!」
私は必死に彼を止めようとした。
だが、彼の決意は、
固い岩のように揺るがなかった。
「これは、私が選んだ道だ」
八咫丸は、そう告げると、
私の頬をそっと撫でた。
その指先から伝わる温かさは、
まるで別れを告げるかのようだった。
「生きろ、牛若。
そして、お前自身の生を、全うするのだ」
彼の声は、優しく、
そして、私の心に深く染み渡った。
彼は、私に「自由」という贈り物を、
命を賭して与えようとしている。
決戦の日は、刻一刻と迫っていた。
壇ノ浦。
平家との最後の戦の地。
そこへ向かう八咫丸からの文が、
最後に庵に届いた。
簡潔な文面だったが、
そこには、私への深い愛と、
覚悟が込められているのが伝わった。
彼は、そこで「義経」としての
最期を演じるつもりなのだ。
報せが京に届いたのは、それから数日後。
「源義経、壇ノ浦にて非業の死!」
その報せは、都を震わせた。
人々は英雄の死を嘆き、
その武勇を語り合った。
しかし、その報せを聞いた私の心は、
張り裂けそうだった。
八咫丸が、私のために、
「義経」としての命を
散らしたのだ。
私の知る彼が、
どれほどの痛みを、
どれほどの孤独を抱えて
その最期を迎えたのかと思うと、
呼吸すら苦しくなる。
私は、彼の「死」を悼むため、
そして、彼への愛を込めて、
京の広場で舞を捧げることを決めた。
それは、白拍子・静御前としての、
私の最後の舞となるだろう。
舞台に立つ。
空には、八咫丸が戦ったであろう
壇ノ浦の空と同じ、
哀しいほどの青色が広がっていた。
笛の音が、静かに響き渡る。
私は、扇を手に、舞い始めた。
その舞の一つ一つに、
八咫丸との出会い、
共に過ごした密やかな時間、
交わした契り、
そして、彼への限りない愛と、
別れの悲しみを込めた。
私の舞は、会場を包み込み、
人々は息を呑んだ。
それは、かつてないほど美しく、
そして、魂を揺さぶる舞だった。
涙が、私の頬を伝い落ちる。
それでも、私は舞い続けた。
彼の命が、私の舞の中に、
永遠に息づくように。
舞が終わる頃には、
多くの人々が涙を流していた。
私の舞は、彼らの心に深く刻まれ、
「静御前の舞」として、
語り継がれていくことだろう。
八咫丸が「義経」として、
歴史にその名を刻んだように、
私もまた、「静御前」として、
伝説の一部となる。
しかし、私の心には、
拭い去れない痛みが残った。
彼は、私を自由にするために、
自らの命を差し出した。
身体の一部を失い、
もしかしたら、もう二度と
人間の姿に戻れないほどの
代償を払ったのかもしれない。
それでも、彼は私のために
戦い、そして散ったのだ。
夜空には、満月が輝いていた。
私は一人、庵に戻り、
彼との思い出を胸に、
静かに涙を流した。
「義経」という名が、
歴史の影に消えていく。
だが、その名の下に紡がれた、
私たち二人の愛の物語は、
私の心の中で、
永遠に生き続けるだろう。
私の「義経」としての役割は、
ここで終わる。
しかし、私自身の人生は、
まだ、始まったばかりなのだ。
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