第8話「偽りの再会、静御前の誕生」
頼朝からの召還命令を受け、
八咫丸は「義経」として鎌倉へと旅立った。
京に残された私は、
彼が去った後の庵で、
静かに新たな覚悟を決めていた。
これからは「静御前」として、
京の都で密かに動く。
それは、男装の「牛若」とも、
武将の「義経」とも違う、
全く新しい私の姿だった。
京へ発つ前夜、弁慶が私の庵を訪れた。
「お方様、京でのご無事を、
この弁慶、心よりお祈り申し上げます」
彼は深く頭を下げ、
その巨躯が、まるで私を守る盾のように見えた。
「決して、ご無理はなさいますな」
その言葉には、主君への忠誠だけでなく、
私の身を案じる、深い情が込められていた。
「行って参ります、弁慶殿。
どうか、八咫丸様を、そして義経の名を、
よろしくお願いいたします」
私の言葉に、弁慶は力強く頷いた。
彼に託すことができた安堵が、
私の胸に広がった。
「静御前」として生きる準備は、
想像以上に骨の折れるものだった。
私はこれまで、剣と兵法にしか
身を置いてこなかった。
舞や歌といった女らしい嗜みは、
私にとって無縁の世界。
ましてや、京の都で名を馳せる
白拍子の技など、皆無に等しい。
しかし、これこそが、
八咫丸と源氏を守るための道。
私は、弁慶が手配してくれた
師について、舞の稽古に没頭した。
最初は、身体が思うように動かなかった。
男装で動き回ることに慣れた身体は、
しなやかな舞の動きを拒む。
足はもつれ、袖はひるがえり、
扇はぎこちなく開閉するばかりだった。
何度、己の不器用さに
唇を噛んだか知れない。
しかし、私は諦めなかった。
これは、戦なのだ。
舞の稽古も、刀を振るうのと同じ。
そう言い聞かせ、来る日も来る日も、
夜遅くまで舞い続けた。
鏡に映る自分の姿を見るたび、
胸の奥で複雑な感情が渦巻いた。
白拍子の着物は、
私が普段身につける男物とはまるで違う。
華やかで、しなやかで、
そして、私の女としての身体を、
ありのままに映し出す。
化粧を施せば、
さらに別の顔がそこにあった。
それは、どこか幼かった牛若でもなく、
剛毅な義経を演じる八咫丸でもない。
紛れもない、女の私。
だが、その美しさが、
偽りの役割のためにあるという
皮肉に、心が締め付けられた。
数週間が経った頃、
私の舞は、ようやく形になってきた。
師も、私の覚えの早さに驚いていた。
私の舞には、一般的な白拍子にはない、
どこか剣の冴えにも似た、
凛とした力強さが宿っていたという。
それは、私が長年培ってきた
武の心が、舞にも影響しているのかもしれない。
「この舞は、京の都を必ずや魅了しましょう」
師の言葉に、私は静かに頷いた。
そして、いよいよ京の都で、
「静御前」として立つ日が来た。
京の都は、華やかさと、
そして隠された陰謀の匂いで満ちていた。
私は、弁慶が手配してくれた
小さな隠れ家から、
都の様子を静かに伺った。
街には、まだ「源義経」の武勇が
語り継がれており、
人々はその英雄の帰りを待っていた。
しかし、その一方で、
頼朝と朝廷の思惑が複雑に絡み合い、
水面下では激しい情報戦が
繰り広げられているのを肌で感じた。
ある夜、私は初めて、
白拍子・静御前として、
公の場に姿を現した。
それは、京の有力な貴族が催す
盛大な宴だった。
私は、心を落ち着かせ、
舞台へと上がった。
扇を手に、笛の音に合わせて舞い始める。
舞の始まりを告げる一節――
それは、かつてないほど静かな私の声だった。
一歩、また一歩と踏み出すたびに、
これまで培った武の心が、
舞の中に溶け込んでいくのを感じた。
私の舞は、会場の空気を一変させた。
人々は、その美しさと、
どこか哀愁を帯びた力強さに
息を呑む。
宴の中心にいた貴族たちも、
私の舞に魅入られているようだった。
特に、後白河法皇に近しいとされる
公卿の一人、**藤原某**の眼差しが、
私に深く注がれているのを感じた。
その視線は、単なる美しさに
対するものではなく、
何かを探るような、鋭いものだった。
それが、今後私たちの前に立ちはだかる
陰陽師・藤房の最初の伏線となる。
舞を終え、会場からは大きな拍手が沸き起こった。
私は深々と頭を下げ、舞台を降りた。
すぐに、何人かの貴族が私に近づいてきた。
彼らは私の舞を褒め称え、
「義経殿の愛妾と噂に聞く、
あの静御前殿ですかな」
と、探るように尋ねてきた。
私は微笑みを浮かべ、
「恐れながら、その名でございます」
と答える。
私の「偽りの再会」は、
こうして始まったのだ。
しかし、その場に、
もう一人、鋭い視線を
私に送る者がいた。
それは、源氏方の若武者、
**平 教経**だった。
彼は、かつて八咫丸が「義経」として
戦場で刃を交えたライバル。
彼が、なぜこの宴に?
教経は、私を見る目に、
どこか複雑な感情を宿していた。
それは、舞への賞賛だけではない。
まるで、私の奥に、
何かを見透かそうとするかのような、
鋭い光だった。
私は内心で動揺を隠し、
優雅に微笑んだ。
教経は、私に近づこうとしたが、
別の貴族に呼び止められ、
一瞬、目が合っただけで終わった。
彼もまた、私の「義経」としての
秘密を探る、新たな監視者となるのだろうか。
京の都は、美しく華やかな仮面の下に、
いくつもの思惑と、
監視の目が張り巡らされている。
私は、この複雑な都で、
「静御前」という仮面を纏い、
八咫丸のために、
そして私自身のために、
戦い続けなければならない。
この夜から、私の二重生活が本格的に始まった。
「義経」の名を背負った八咫丸が表で戦い、
「静御前」となった私が裏で暗躍する。
私たちの「偽りの契り」は、
ますます深まり、複雑な運命の糸を紡ぎ始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます