第25話 露見①

 マルスの丘の周囲には、既にいくつもの穴が空いていた。


 土木技師が急いで作り上げたそれは、縦1パスス(約1,5メートル)、幅4パススほどある。

 穴の脇に立つと、湿った土の匂いと若草の青臭さが漂ってくる。


「意外としっかりとしたものだな」


 チタルナル監督官が、自ら穴に入り壁や底に手をあてて、土汚れも気にせず検分している。

 深さは1パススを少し超えるが、木と石材で補強しているので崩れる心配はない。


「ええ、竜がのしかかっても大丈夫なくらいには強固にしておかなければなりません。城壁や水道ほどではありませんが、時間と予算が許す範囲で堅固に仕上げます」


「いくつ作るんですの?」


 ジョセフィーヌは、さっきから穴に飛び込んだり、飛び出したりしている。

 楽しそうだ。


「200パスス四方に最低でも30は欲しいですね。竜の体躯なら、ひと跳びで20パススは移動するでしょう。吐き出す火炎は、50パススほどは届くはずです。十分な逃げ場を用意しておかなければ、あっという間に全滅してしまいます」


「全部がこの穴くらい丈夫なら安心でしょうけど、他はどうかしらね?」


 ジョセフィーヌが見渡す平原では、土木技師や彼らの奴隷達が何班かに分かれて作業をしている。


 彼らが掘った穴を、一つ一つ確認するまでも無く、質にばらつきがあることが分かる。

 ただ土を除いただけで寸法すら怪しいものもあれば、石だけでなく木材とセメントも使って四方を固めた丁寧な作りの穴もある。手がけた技師によって、かなり違いがあるようだ。

 チタルナル監督官が、悔しそうに眉を寄せる。


「人数を揃えるのが精いっぱいだったのだ。竜が現れるかもしれない場所での工事を請け負う者など、そうはいない。腕や勤勉さは二の次に搔き集めなければならなかった」


「そうでしょうね。仕方がないと思います」


 幻獣など、土木技師達にとっては馴染みの無いものだ。私にも経験がある。

 多頭蛇ヒドラを討伐する際に、住処である湖沼の水を抜くために土木技師を頼ったことがあるのだ。討伐へ参加してもらうため、報酬や役務内容の交渉に手を焼いた。


「確かに、以前よりさらに近くの農場が焼けていますもの。危険が無いわけではありませんから、恐れをなしても不思議はありませんわね」


 今日は竜の気配はない。姿も無ければ、声も聞こえない。

 だが遠くを見れば焼けた農場は見えるし、時折、風に乗って焦げた匂いが届く。火炎の犠牲となった畜舎や動物の世話をする奴隷の小屋が、無残な姿をさらしている。

 戦場や幻獣に不慣れな者ならば、こんな場所で仕事などしたくは無いだろう。


「まあ、竜と戦うための陣地を、トナリ市のすぐ近くに作るわけにはいきませんものね。でも、ここだって竜の出没場所から近いといっても、まだまだ距離がありますわね。どうやって竜をここまでおびき寄せるんですの?」


「この辺りの襲われていない農場から、牛を全てこちらに移動させます。餌に誘われてこちら来るでしょう。そこを待ち伏せします」


「それでも来ないようなら、どうするんですの?」


「弓騎兵を使います。竜へ矢を射掛けながら、この場所に逃げ込むのです」


「命がけね。というか、その役割の人、死ぬんじゃないかしら」


 問題ない。ピラリスにやらせる。

 断ろうものなら、ほら吹きの二つ名を公文書に使ってやる。


「牛を移動させると言っても、ここには畜舎どころか柵も何もないな。新たに作らせる必要がありそうだ」


 チタルナル監督官の言葉に、頷いた。


「ええ。本当は穴に作業と並行して、そちらも準備をしたかったのですが……」


 手が足りない。

 このままでは予定より遅れてしまう。


「今いる技師達にやる気を出してもらいつつ、さらに人が集まるようにしたいですね」


「それが出来れば苦労はありませんわ。どうするんですの? まさか無策とは言いませんわよね?」


「ええ。クインさん、手分けして技師たちに日当を渡したいので、手伝っていただいてもいいですか?」


「構いませんわ」


 運んでおいた荷物からセステルティウス硬貨が詰まった麻袋をいくつか取り出し、ジョセフィーヌにも渡す。


「石材の扱いが丁寧な者や、セメントを使ってきちんと補強している者など、良い仕事をしている者には、少し多く渡してください。そして“良い仕事をありがとう、監督官や執政官に腕の良い職人がいると伝えておく”と言葉を添えてください」


「……それも構いませんが……どういう意味がありますの?」


「もっとやる気を出してくれるかもしれませんし、意味がないかもしれません。ですが、やっておきます」


「ならば私も行こう」


 チタルナル監督官も麻袋を掴む。


「お願いします」


 時間がない中で、竜退治という大仕事をやり遂げようというのだ。やれることは全部やっておくべきだ。

 麻袋を抱えて、斧で石材を切っている石工へ近づく。

 大人が抱えられないくらいの大きな石材に斧を振り下ろし、巧みに切れ目を入れ、見事に切断していく。


「すごいですね。腕利きの石工でも、なかなかこれほど上手く切れないでしょうね」


「おっ? そうか? まあ、石いじりして長いからな」


 石工は、笑いながらも手を止めずに切り続ける。力いっぱい振り下ろしているはずなのに、斧の切れ目は綺麗な直線を作る。それが四つか五つ並ぶと、そこを起点に石が綺麗に切断される。石の性質を知り尽くした職人の、巧みな技が見える。

 石工が次々と斧を振るうと、あっという間に、同じ大きさの石材が出来上がっていく。


「達人と言っても差し支えない腕前ですね。あなたのような熟練の職人に参加していただけて幸運です。予定より随分と人数が少ないので遅延しそうでしたが、こんな職人がいてくれるなら案外大丈夫かもしれませんね」


「えらく褒めるじゃねえか。まあ、石工組合からの斡旋だからよ、断りづらいのさ。最近の若いのはしがらみが嫌いで、組合の仕事でも平気で断ったりするしよ、中には竜騒ぎのせいで他の町に出て行った奴らもいる。でも俺は付き合いもあるし、住み慣れた街を捨てるってのも不義理な気がするしな」


「本当にありがとうございます。これは今日の日当です。監督官や執政官に“腕の良い職人が参加してくれて、とても助かっている”と伝えておきます。石工組合にも監督官らを通じてお礼をしておきます」


「おお、ずいぶん大げさだなあ。ま、ありがとうよ」


 そう言って私から麻袋を受け取った男は、すぐに首を傾げた。


「これ、多くねえか? 日当は4セステルティウスって聞いてたぞ」


「8セステルティウス入っています。あなたの腕前への敬意と、危険を顧みない心意気への感謝です」


「普段なら石工一人に一日2セステルティウスってところだぞ? ほんとにいいのか?」


「ええ、もちろん」


「……ありがたく貰っておくよ。街に戻ったら、来ていない知り合いにも声かけておく。来るかは分からんけどな」


「ありがとうございます。一人でも増えてくれるなら、本当に有難いです」


 寄付金の集まりが良い上に、予算は提案どおりに可決される見通しだ。資金には余裕がある。

 そもそも予算の大部分は竜装備に費やされるし、工事に限ったとしても石材や木材の調達費が占める割合が大きい。若干の人件費の増加などは、十分に吸収出来る。

 ならばここで日当を出し惜しむ必要はない。


 他の職人らへも同じように声をかけ、日当を渡していく。同じように。ジョセフィーヌとチタルナル監督官も手分けをして配ったので、あっという間に終わった。


「すっごい感謝されましたけど、案外これって妙手なんじゃないですの? なんだか上手くいく気がしてきましたわ」


 ジョセフィーヌが、なぜか嬉しそうな笑顔で言う。


「案外もなにも、正攻法ですよ。質の高い仕事には相応の対価と感謝を……これだけで世の中の大半は上手く回るんじゃないでしょうか」


「しかし、予定の倍の賃金を支払っても大丈夫なのか? 予算に余裕はないのだろう?」


 全体の数字が見えていないチタルナル監督官としては、心配なのだろう。だが今のところ算盤は良い数字を示している。


「大丈夫です。最後には数字を合わせて見せますよ」


「そうか……」


 石工らを追加で手配するため、職人らにこの場は任せて、私達三人はトナリ市へと向かうことにした。

 チタルナル監督官は馬で来ていたので、ジョセフィーヌを私の後ろに乗せて、道中はずっと騎乗で話をしていたのだが、これが意外に楽しかった。

 二人が皮肉の応酬をすることもあったが、全体的にみれば穏やかながらも諧謔と発見に満ちた会話が途切れずに続いた。

 早目の常歩なみあし駆足かけあし織り交ぜながらで半日という距離は、楽しく遠乗りするにはちょうど良い距離だ。


 トナリ市を遠くに望める距離になると、城壁脇で訓練に汗を流す兵達が見えた。マルクスの叱咤を受けて、機敏に穴へ出入りしている。対竜用の盾の扱いも、昨日よりずっと上手い。

 あのマルクスが、珍しく酒瓶を持たずに楽しそうに声を張り上げている。


 昼過ぎなので、今日は弓兵も訓練している。

 自身も弩を持ちながら指導するピラリスは、相変わらずの男装だ。動きやすそうなズボンと長靴を身に着け、軽快に駆けまわっている。

 竜退治に用いる矢は、矢じりに竜牙を使用する。そのため、通常の矢より大きく重たい。


 よほどの達人でなければ、普段のような飛距離や威力を出せない。そこで、矢をつがえるのに両手と両足を使うほど強い弩を使うのだ。

 慣れてしまえば、ここぞという瞬間に弓を引き絞ることなく矢を射出することができるので、対竜戦闘においては弓より有利に動ける。しかし弩自体が重い上に、矢をつがえるのにもコツがいる。その取り回しには、訓練が必要なのだ。


 今は矢をつがえる練習をしている。すでにしっかりと習熟訓練をしているようで、ほとんど全員が戸惑うことなく矢をつがえている。不慣れな様子の者には、ピラリスが丁寧に声をかけ、手取り足取り教えている。


「随分と動きが慣れてきているように見えるな」


「確かに、昨日よりずっと機敏ですわね」


「ええ、これなら少し安心できるかもしれないですね」


 初夏の心地よい陽気と涼風が、堪らなく気持ちの良い日だった。近くの草原で肉でも焼いて食べ、帰りに公衆浴場に寄れば、非の打ち所の無い一日だろう。竜の討伐を終えたら、そんな風にのんびりと過ごす休日を設けても良いかもしれない。


 そんな私の幻想は、トナリ市に着いたところで打ち破られる。


 石工組合や大工組合へ改めて依頼に行く段取りを相談しながら馬を進めていると、城門に差し掛かったところで、衛兵の一隊に止められた。

 短剣と小盾を装備した衛兵達の中から、目付きの鋭い男が進み出る。


「シム・ローク。ベルチ執政官がお呼びだ。すぐに来てもらう」


 嫌な予感がする。

 ベルチ執政官が武装した衛兵を使者に差し向けてくるのは初めてだ。

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