君の声なんて聴きたくない。
月亭脱兎
プロローグ『声優失格の烙印』
「君をレギュラーにすることは、絶対ない」
その言葉を、私は一生忘れないと思う。
放課後の放送室は、いつになく静かだった。
壁一面に吸音パネルが貼られ、最新のミキサー卓とマイクが並ぶこの部屋は、テレビでしか見たことのなかった“本物”の空気に満ちていた。
その中央に立っている彼の声は、機材のどれよりも鋭くて、そして、冷たかった。
「……え?」
反射的にそう返した声は、情けないくらいに上ずっていた。
そう言い放ったのは、冷徹で知られる放送部のエース
名門・私立和葉学園放送部の部長であり、FM局からも注目される逸材。
生徒なのに、すでに番組の企画・編集・プロデュースまで任されていて、OBには「若き鬼才」と呼ばれているらしい。
そんな彼が、目の前で私に言い放った。
「はっきり言う、その声を、もう聴きたくない」
淡々とした口調。感情は一切乗っていない。
でも、確かに私は刺された。胸の奥を一突きにされたみたいに、息が止まった。
何も、言えなかった。
私は——
名門・和葉学園の放送部を目指して、地元の中学から電車を乗り継いで進学してきた。
この場所で、私は夢を掴むつもりだった。
その夢は、初日の放課後、あっさりと打ち砕かれた。
◆
自宅の部屋のベッドに大の字になり、天井を見つめていると、考えたくないことばかりが浮かんでくる。
部長のあの言葉も、目を閉じるたびに何度でも繰り返された。
まるで、心に貼りついたラジオの録音テープみたいに。
私をレギュラーにはしないというその言葉の裏には
——“君の声なんて聴きたくない”
という強い嫌悪すら感じられた。
「……はぁ」
思わずため息がこぼれた。
そんな自分に、また少し自己嫌悪する。
何がダメだったんだろう?
声? 滑舌? 表現力? それとも、ただの“印象”?
私は、夢を見すぎていたんだろうか。
小学生の頃、偶然ラジオドラマで聴いたあの声。
柔らかくて、でも芯のあって、言葉が胸の奥まで響くような彼女の語りに魅了された。
その声の持ち主が、和葉学園放送部出身の天才声優
そう、それが、すべての始まり。
「私も、彼女みたいになりたい」
そう思って、毎晩、眠る前に彼女の朗読CDを聴いた。
その息遣い、話し方、間。
お気に入りのフレーズは何度も巻き戻して、耳に染み込ませた。
高校に入ってからもその習慣は続いていて、今でも毎日、
今でもベッドに入ると無意識にイヤホンを手に取ってしまう。
まるで、彼女の声が自分の一部みたいだった。
そして彼女の技術を毎日、もう何万回も模倣した。
所詮は素人の真似ごとだ。
でも私は、少しは彼女に近づけてるって思ってた。
……なのに。
和葉学園放送部。全国屈指の強豪。
部活動の指導者には元声優、つまりプロの顧問がいて、放送部として地元コミュニティFMに番組枠まで持っている。
そして何より、私の神であり憧れの
だからこそ、夢だけを抱えて、この部の扉を叩いた——
でもそんな“本物の現場”を擁する名門放送部の中で、私は部長から「その声を聞きたくない」と言われた。
——それは、“この声が”ダメだってこと?
でも、それって私の個性だよね?
それを削いでまで、正確な声が出せるようになったとして……
それって、私がなりたかった自分?
わからない。
わからないけど。
「……諦めたくないな」
声に出してみると、ちょっとだけ胸が軽くなった。
私は、負けず嫌いだ。きっと、ものすごく。
やっぱりこのままでは終わりたくない。
心の中がザラついているのは、たぶん悔しさだけじゃない。
私には、何が足りなかったんだろう。
声? 言葉の選び方? 表現の引き出し? それとも……覚悟?
——ほんとうに、私は“伝える”ことがしたいの?
食い下がろう。
明日、天宮部長に直接聞いてみよう。
どうせ聞くなら、全部聞く。
私の声が、なぜ彼に“届かなかった”のかを。
そして——いつか、届かせたい……。
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