君の声なんて聴きたくない。

月亭脱兎

プロローグ『声優失格の烙印』 


「君をレギュラーにすることは、絶対ない」


 その言葉を、私は一生忘れないと思う。


 放課後の放送室は、いつになく静かだった。

 

 壁一面に吸音パネルが貼られ、最新のミキサー卓とマイクが並ぶこの部屋は、テレビでしか見たことのなかった“本物”の空気に満ちていた。

 

 その中央に立っている彼の声は、機材のどれよりも鋭くて、そして、冷たかった。


「……え?」


 反射的にそう返した声は、情けないくらいに上ずっていた。


 そう言い放ったのは、冷徹で知られる放送部のエース 天宮 星あまみや せい

 

 名門・私立和葉学園放送部の部長であり、FM局からも注目される逸材。

 生徒なのに、すでに番組の企画・編集・プロデュースまで任されていて、OBには「若き鬼才」と呼ばれているらしい。


 そんな彼が、目の前で私に言い放った。


「はっきり言う、その声を、もう聴きたくない」


 淡々とした口調。感情は一切乗っていない。


 でも、確かに私は刺された。胸の奥を一突きにされたみたいに、息が止まった。


 何も、言えなかった。

 


 私は——音無 遥おとなし はるか。高校一年生。

 

 名門・和葉学園の放送部を目指して、地元の中学から電車を乗り継いで進学してきた。

 

 この場所で、私は夢を掴むつもりだった。


 その夢は、初日の放課後、あっさりと打ち砕かれた。


 



 


 自宅の部屋のベッドに大の字になり、天井を見つめていると、考えたくないことばかりが浮かんでくる。


 部長のあの言葉も、目を閉じるたびに何度でも繰り返された。

 まるで、心に貼りついたラジオの録音テープみたいに。


 私をレギュラーにはしないというその言葉の裏には

 

 ——“君の声なんて聴きたくない”


 という強い嫌悪すら感じられた。


 「……はぁ」


 思わずため息がこぼれた。

 そんな自分に、また少し自己嫌悪する。


 何がダメだったんだろう?

 

 声? 滑舌? 表現力? それとも、ただの“印象”?


 私は、夢を見すぎていたんだろうか。

 小学生の頃、偶然ラジオドラマで聴いたあの声。

 柔らかくて、でも芯のあって、言葉が胸の奥まで響くような彼女の語りに魅了された。

 

 その声の持ち主が、和葉学園放送部出身の天才声優天音美琴あまねみことだった。

 

 そう、それが、すべての始まり。


 「私も、彼女みたいになりたい」

 

 そう思って、毎晩、眠る前に彼女の朗読CDを聴いた。

 その息遣い、話し方、間。

 

 お気に入りのフレーズは何度も巻き戻して、耳に染み込ませた。


 高校に入ってからもその習慣は続いていて、今でも毎日、

 今でもベッドに入ると無意識にイヤホンを手に取ってしまう。


 まるで、彼女の声が自分の一部みたいだった。

 

 そして彼女の技術を毎日、もう何万回も模倣した。

 

 所詮は素人の真似ごとだ。

 でも私は、少しは彼女に近づけてるって思ってた。

 

 

 ……なのに。


 

 和葉学園放送部。全国屈指の強豪。

 

 部活動の指導者には元声優、つまりプロの顧問がいて、放送部として地元コミュニティFMに番組枠まで持っている。

 

 そして何より、私の神であり憧れの天音美琴あまねみことを育てた放送部。

 

 だからこそ、夢だけを抱えて、この部の扉を叩いた——

 

 でもそんな“本物の現場”を擁する名門放送部の中で、私は部長から「その声を聞きたくない」と言われた。


 ——それは、“この声が”ダメだってこと?


 でも、それって私の個性だよね?

 それを削いでまで、正確な声が出せるようになったとして……

 

 それって、私がなりたかった自分?


 わからない。

 わからないけど。


 「……諦めたくないな」


 声に出してみると、ちょっとだけ胸が軽くなった。

 私は、負けず嫌いだ。きっと、ものすごく。


 

 やっぱりこのままでは終わりたくない。


 

 心の中がザラついているのは、たぶん悔しさだけじゃない。

 

 私には、何が足りなかったんだろう。

 

 声? 言葉の選び方? 表現の引き出し? それとも……覚悟?


 ——ほんとうに、私は“伝える”ことがしたいの?


 

 食い下がろう。


 明日、天宮部長に直接聞いてみよう。


 どうせ聞くなら、全部聞く。

 私の声が、なぜ彼に“届かなかった”のかを。

 

 そして——いつか、届かせたい……。

 

 

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