第3話 代用の男(前編)

俺がまだ作家になる前。

IT企業のプロジェクトマネージャーだった頃。


***


昼休みの終わり、誰もいない打ち合わせスペースで、

冷めかけたコーヒーを口に運んでいた。


「……相沢さん、大丈夫?」


唐突にかけられたその声に、

反射的に顔を上げる。


そして── 背中から首筋にかけて、熱い指先が触れた。


「汗すご……あ、熱あるかも。だめっすよ、無理しすぎ」


ほんの、軽い気遣いだったと思う。

けれど、首筋に触れたその手に、 身体の奥が、びくりと反応する。


指先の熱。

ひんやりとした汗。

遠い夏の日の、肌と肌が擦れた感触。

高校時代に、好きだった人の手だった。


何度も思い出した。

触れられたあのときの、ひやりとした汗と、熱。


それが、いま──春木の指先とぴったりと重なった。

無意識のうちに、記憶が感触をなぞってしまう。


──やめてくれ。


そう思ったはずなのに、

その記憶は、指先の熱とともに脳裏に焼きついた。


その笑顔も、その声も、

そして今触れた首筋の感触も、

すべてが、あの夏の日と地続きで──


喉が詰まるような感覚に襲われた。

心臓が、一瞬だけ跳ねる。

反射で肩をすくめそうになって、それをなんとかこらえる。


──また、再生してる。高校生だったあの日の続きを。


春木がゲイだということは──わかっていた。

けれど、社内だったし、仕事だったし。

……そういうつもりは、なかった。


だけど似ている。

笑い方が。

手つきが。

声の滲み方が。


──どうして、お前なんだよ。


そう思ったところで、

口に出せるわけもなくて。


俺はまた、コーヒーに視線を落とした。


「お前さ……そういうの、誰にでも言ってんの?」

「そうですね、大丈夫かなって思ったら」


そこは恋愛ものなら「そうです、先輩だけです」だろ?

仮にも一度でも家に誘ったならさ。


ただの、雑な優しさ。

ただの後輩の気遣い。


──でも、まぁ、そんなもんだ。


スマホを開くと、通知がひとつ。

SNS。


【このたび、入籍いたしました!】


幸せそうな笑顔。

肩を組んで並ぶ写真の中に、あの人がいた。

先輩だった。


あの日、「あんま無理すんなよー」と笑って、

タオルを投げてきた、あの人の──


(ああ、そうか)


俺はずっと、

あの笑い方と、あの目元と、あの手のひらを、

どこかで探してたんだ。


「似てるな、お前。……こいつに」

「え? 誰すか?」


春木は、いつもの調子で笑った。


「……俺の先輩。高校の部活の」

「へー、そうなんだ」


悪びれもなく人のスマホをのぞき込む。


「あー、割とイケメン?似てるかな」

「……どうだろうな」


いや、似てるかもしれない。

その雑な優しさ。


思い出が、トリガーだった。


「なぁ、お前、前に俺のうちに来たいとかいってたよな」

「ああ、だって……」


仲間でしょう?と言外に。


「──今日来る?」


気づけば、そう言っていた。


***


この話、もしかしたら、壊れてない人にはただの面倒に映るかもしれません。

でも、どこかが欠けたまま生きている人には──何かが届くんじゃないかと思っています。


そう感じた方は、よかったら★で教えてください。

https://kakuyomu.jp/works/16818792437046267681

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る