恋愛不全症候群
悠・A・ロッサ @GN契約作家
第1話 支配の男
支配される言葉。
これに弱いと気づいたのは、二十代の頃だった。
「いい子だな」
「俺の言うこと、ちゃんと聞けて偉い」
「しつけがいがあるな、お前」
誉めるでも、愛するでもない。
一線の向こうから投げかけられる“評価”。
そういう言葉に、欲望が、
あるいはそれ以上の何かが、反応してしまう。
甘く支配されたい。
そう、確かにそうだ。
でも──それは、誰でもいいわけじゃない。
それが間違いだと、頭ではわかっている。
けれど俺のどこかには、
「選ばれること」に飢えている部分があって──
そういう夜を、何度もくり返してしまった。
***
「ほら、腰、もっと動かして。俺の顔、見ながら」
「……っ♡ や、だ……あっ……」
「だめ。言えよ、ちゃんと。どうしてほしい?」
「……もっと、強く、して……♡」
脚を抱えられ、奥まで抉られながら、
情けない声を漏らす。
シーツに擦れる背中、熱い掌が腰を押さえ込む。
痛みと快感のあいだを往復しながら、
身体のどこまでもが、彼に“所有”されていく感覚。
頭の奥が、じわじわ痺れていく。
酔ってるわけでもないのに、視界が滲む。
(……やっぱり、また間違えてる)
冷静な自分が警告する声は、
身体の熱にかき消されていく。
でも、いい。
今夜だけ、溺れさせてくれ。
忘れられるなら、それでいい。
胸を舐められ、耳元で囁かれる命令に、
律儀に応えるように声を漏らし、震える脚を絡める。
愛されてるなんて思ってない。
それでも、この瞬間だけは、
“必要とされている気がする”──
それが、どうしようもなく、嬉しかった。
イきながら、泣いた。
その涙の意味は、自分にもわからなかった。
***
翌朝。
ぬるいシャワー。
無言のコンビニトースト。
片手で缶コーヒーを飲みながら、彼が言った。
「やっぱお前、素直だよな」
「……そう?」
「マジで育ちいい感ある」
言われて、少しだけ頬が熱くなった。
そう言われるのは、嫌いじゃない。
気のせいか、彼の目がほんの一瞬、優しく細まった気がした。
彼の名前は佐山。二十代後半。
アパレル店員をしていて、清潔感のある見た目と、よく通る声をしていた。
どこか軽さがあり、誰とでもすぐ打ち解けるような明るさをまとっていたけれど、
時々ふとした拍子に、虚ろな目をしていた。
「最近さ、何してもありがとうって言われないんだよね」
「……は?」
「接客しててさ。笑顔でいても、気を利かせても、誰も気づかない。
帰っても一人だし、今日何やったっけって思って──。
何もしてない気がしてくるんだよね」
彼は笑った。
でもその笑いは、どこか芯の抜けたような、乾いた音だった。
そのとき初めて、彼の“虚ろな目”の理由がわかった気がした。
少しだけ、同情した。
少しだけ、理解しそうになった。
それが、俺を甘くさせた。
嫌いじゃないかもしれない──そう思った瞬間も、確かにあった。
だけど。
「元カノとかマジひねくれててさ」
「お前は夜とかこんなに言うこと聞いてくれるのが……いいよな」
「……は?」
「いや、ドMだよなって。
悪い意味じゃなくて、俺的には助かる。
束縛もしてこないし、ストレス解消に最高」
その瞬間、何かが音を立てて冷えた。
“元カノ”と“前の男”と“性癖”と、
どこかで聞いたような武勇伝。
そのたびに、心が冷えていく。
ああ、俺じゃなくても、良かったんだな。
「支配できる誰か」なら。
それがたまたま、今夜は俺だっただけ。
心の奥が、ざらつく。
──それに、「支配」を利用したのは俺も同じだ。
抱かれていた時の熱が、虚しくほどけていく。
たとえ服従しても、
「見て」もらえるわけじゃない。
そんな当たり前のことを、
俺は、また忘れていた。
***
帰り道。
スマホのメモを開き、タイトルだけを打ち込む。
『支配者と詩人』
支配されるたびに心を削られていく詩人が、
ただ一度だけ、自分の名前を呼んでくれた男に恋をする話。
フィクションのなかでしか、満たされない。
書いているあいだは、少しだけ楽になる。
でも、書き終えるころには、また同じ場所に戻っている気がした。
でも、それでも、恋をしてしまう。
それが俺の、不全で不格好な愛のかたちだった。
***
──ああ、そうだ。自己紹介がまだだった。
俺の名前は相沢湊(あいざわ・みなと)。
三十五歳。職業、小説家。
ごく普通に原稿を落とし、ごく普通に編集に怒られ、ごく普通に、恋に失敗する。
最初に男を好きになったのは高校生のとき。
告白はできなかった。触れることすら怖かった。
だからたぶん今でも、触れてくれる誰かに弱い。
それが優しさだと思い込んで、何度もしくじって。
二十代の終わり、女性と結婚していた。
あたたかい人だった。
たぶん、俺のことをちゃんと愛してくれていた。
けれど、夜のベッドの中で、“違う”と知ってしまった。
そうして今夜も、また一人、メモ帳に新しい名前を刻む。
LINEで昨夜の男から「次はいつ会う?」と来ていたけれど、見なかったフリ。
次は、“共感”の男だった。
***
この話、もしかしたら、壊れてない人にはただの面倒に映るかもしれません。
でも、どこかが欠けたまま生きている人には──何かが届くんじゃないかと思っています。
そう感じた方は、よかったら★で教えてください。
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