第7話 負った痛み


 それでも、アークスはフィオラの温かい笑顔を好いている。ある日、彼はフィオラのために、かつて彼女が最も美しいと感じたという希少な『月の雫』という花を魔法で再現しようとした。


「フィオラ。こっちに来てご覧」


 彼が実際には見たことがない花だったので、図鑑に載っているものを参考に生成した。その名の通り、月の光を浴びているような見た目の花である。アークスが作ったものなので、実際のものとは異なる可能性はあるのだが。


 フィオラはアークスに呼ばれるがまま彼の隣にやってきて、花を覗き込んだ。彼女の瞳が輝いているので、彼女の記憶の中にあるままの姿だったのだろう。


「きれい……」


 ほぅ、と息をはいたフィオラが花の幻影に手を伸ばした。その瞬間、アークスの集中が僅かに乱れた。彼が常に制御している魔力の奔流が、一瞬暴走する。制御されていない純粋な魔法の光が、フィオラの細い腕に直撃した。


「きゃっ!」


 フィオラの短い悲鳴が響く。彼女の腕には魔法の痕跡が焼けるように残り、皮膚は赤く爛れていた。痛みによるものか、彼女の瞳からは涙が溢れている。


「フィオラ!」


 アークスは慌てて彼女の腕を掴んで傷を治そうとした。しかし、フィオラは怯えたように彼の手が触れる寸前で腕を引いた。拒絶されたのだ。


「フィオラ……すまない。痛かっただろう? 早く癒さないと」


 優しい声で話しかけるも、フィオラは目を逸らす。その身体は微かに震えていて、アークスは思わず息を呑んだ。彼女の瞳には、僅かな恐怖が宿っている。


「違う……違うんだ、フィオラ。僕は君を傷つけるつもりなんかじゃなかった。だから、怖がらないで」


 必死に話しかけるが、彼女はアークスから逃れるように強く目を瞑った。その拒絶に、彼は伸ばしかけていた手を引く。


「僕、は」


 アークスは拳を握りしめる。強大な魔法の力を怯えられるのには慣れていると思っていたが、愛する者に怖がられることが、こんなにも苦しいことだなんて。加えて、守りたいと思っていた相手を傷つけてしまった。


 彼はフィオラとの距離を詰めて、彼女の腕を掴んだ。彼女は抵抗するように体を動かすが、彼は半ば強引に傷を見る。そして手のひらをかざして、傷を癒した。その間、フィオラはずっと目を瞑り続けていた。




 あの日以来、アークスとフィオラの距離は遠くなった。フィオラはアークスの視線に怯えるようになり、彼が差し伸べる手にも気軽に触れなくなった。


 彼女の瞳には、時折かすかな恐怖が宿る。それを見るたびに、アークスの心は引き裂かれそうになる。


「……それでも、君を手放すことはしない」


 アークスの思いは、徐々に変化していった。どれだけ嫌われようとも、どれだけ拒絶されても、絶対にフィオラのことは離さない。彼女にとって一番良い選択は、この安全な場所でアークスと共に過ごすことなのだ。


「だって君は、僕の光なのだから」


 君が僕の世界を照らしてくれたように、僕も君の世界を照らしていたい。

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