第12話
女がサンドバッグを蹴りつけると、ドオン! と、いい音がした。
女は横に回転しながら、さらに立て続けに蹴りを入れ、次に逆回転し、頭を低くしながら、蹴り続けた。
音は重く、サンドバッグは揺れ動いた。
ランニングマシンを使いつつ、ガラス窓に映った背後を見ていた斉藤灯里は、驚嘆した。
灯里は深夜のフィットネスジムに、たまに来る。気ままに行って、ランニングマシンで汗をかき、プールで泳いで、さっさと帰る。そんな使い方だから、トレーナーはいらない。
サンドバッグは、今までなかった設備だ。
蹴っていた女は180cmあろうかという長身に細身の筋肉質で、顔立ちはまだあどけなく、サラサラのショートヘアが動きにあわせてなびくのが、目を引いた。
女が片足立ちになり、足を自分の頭ぐらいの高さにキープして、サンドバッグを左右から往復ビンタのように蹴りはじめた。
時には手を床につけて、回転する動作で蹴る。ダンスのようだが、破壊力がすさまじい。
「ユミ、かっこいいじゃん」
よく見る顔の女性トレーナーが、女に声をかけた。
ユミというのか。
気づけば、フロアにいた全員が、ユミを見ていた。
ユミは動きを止め、タオルで汗をふいた。たいした人数がいたわけではないが、目立つことに気後れしないタイプのようだ。
「しばらく体を動かしてなかったからね。キモチイイ。サンドバッグ置いたって、教えてくれて、ありがたいよ」
「こないだからなんだけどさあ、あんまり誰も使わないんだよ。手首とか足とか傷められても困るし、なんでこんなん置いたやら」
「あたしは、うれしいね。キックボクシングのジムには行きたくないし、助かる」
「ダンスのカポエィラならスタジオもあるのに、あんた、きっちり蹴りたがるんだから」
「ダンスもやってるよ」
「うちでトレーナーやってみる?」
「教えるのは苦手なんだ」
カポエィラ。ブラジルの、奴隷たちがダンスに見せかけて練習したという、足技主体の格闘技だ。日本ではダンスのジャンルとして、愛好されている。
灯里はユミのキックのリズムに呼吸をあわせつつ、走り続けた。
泳いだあとはシャワーですませることが多い灯里だ。今日は走り込みをやりすぎたせいか、スパで、しっかり湯につかる気になった。
客が少ないので、手足をのばしてくつろぐ。
先ほどのユミが、浴室に入ってきた。
湯につかり、しばらくしたら水風呂に入っている。機嫌のよい猫のような表情だ。
なるほど、灯里もランニングによる体のほてりが、プールでも鎮まりきらなかった。まねて、水風呂に入る気になった。
静かに水に体を沈めて、浸りきると、体温の巡りがきもちよくなった。
ユミと、目が合う。
にこりと、笑いかけられた。
「あなた、見かけによらず、すごい体力ですね。ずっと走って、今度はプールで。何キロも休まず泳いでるの、感動して見てました」
マシンのあるスタジオからは、大きなガラス窓からプールの様子が見られるのだ。
「あなたこそ。聞こえていましたが、カポエィラですって? かっこいいわ」
「ありがとうございます、うふふ」
それ以上は特に話すこともないが、気安くなった空気が心地よかった。
再度、湯につかり、灯里は上がる。
「また、お会いできるとうれしいわ」
「はい」
ユミはまだ長湯するらしい。
灯里は車に乗り込み、うちについたらワインを飲んで、きもちよく寝てしまおうと思った。
ワインの口当たりを思い、運転しながら生唾を飲む。
いい夜だった。
若くて魅力的な女は、見ているだけでも心を浮き立たせてくれる。
◼️◼️◼️
風呂上がりのユミは、体か冷える前に、急いで自転車に乗った。
走り出す前に、LINEEでひとつ、連絡を入れる。
『今から帰宅します。トラブルはありませんでしたよ~』
文面通りの意味ではない。
ユミのフルネームは生田夢子という。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます