第18話:テニス部の当たり前

 六月、星影学園・一年D組 青山七海。

 入部してまだ2か月、ラケットの握り方だって最初はおぼつかなかったのに――一週間後に迫ったテニス部の公式戦で、まさかのレギュラー入りが決まった。


 上級生の人数が少ないから、という理由はわかっている。けれど「試合に出る」という響きは、やっぱり特別だ。

 普段の練習は赤いジャージにTシャツ姿。今日は試合を想定した練習で、買っていた試合用のウェアに袖を通した。白のポロシャツと白いプリーツスカート。鏡の前で裾を軽くつまんでみると、膝上が思ったより短く感じる。

 下着も、ウェアに合わせてシンプルな白を選んできた。特別感のために、ちょっと可愛いレース付き。


 * * *


 部室で着替えていると、同じ一年の真希が目を輝かせた。

「わ、七海、ウェア可愛いね! いいなー、私も試合出たかったな」

「ごめん、私なんかより真希のほうが上手いのに」

「いやいや、七海頑張ってたし当然だよ。一回戦、勝とうね」

 笑顔でそう言われると、胸の奥が少し熱くなる。やっぱり今日は頑張らなきゃ。


 * * *


 コート脇に出ると、キャプテンが声を張った。

「集合! 今日は全員、試合用ウェアでの練習だからねー!」


 二、三年の先輩たちがすでにコートに散らばってストロークを始めていた。

 パン、パンと乾いた打球音が、心地よく響く。

 ふわり、と短いスカートがはためき、その下にちらちらとのぞくのは――白のフリル付きパンツ。けれど誰一人、裾を押さえたりなんてしていない。男子部員も、遠巻きに視線を送っているだけで騒ぐ様子はない。


(あれ……けっこう見えてるよね? なのに、なんであんな堂々としてるんだろ)


 その理由を、私はまだ知らなかった。


「青山、一年だけど今日はレギュラーなんだから入って!」

 キャプテンの声に背筋を伸ばし、二年の先輩とペアを組む。打ち返すたび、風でスカートが軽く浮く感覚がある。

(やっぱり……見えてるよね?)

 心臓がじわじわと早鐘を打つ。私だけがこのウェアの軽さに戸惑い、スカートの裾が風にはためくたび、息が止まりそうになる。けれど先輩も全く気にしていないように見える。

(気にしてるの、私だけ? じゃあ無心でやるしかないか……)


 * * *


「じゃあ球出し行くよー!」

 キャプテンの合図で、ストレート、クロス、前に出てボレー、最後にスマッシュ――ハードなメニューが続く。

 必死にボールを追いかけるうち、息が荒くなり、太ももに汗が滲む。スカートの裾が翻るたび、空気が素肌を撫でる。


 ネットの向こう側、ベンチ近くに牧野くんの姿があった。同じクラスの男子部員。視線が一瞬合った気がして、慌ててボールを追う。

(今……見られた? いや、気のせい……だよね?)


 最後のスマッシュを決めた瞬間、脚に力が入りすぎてスカートが大きく舞い上がった感覚があった。視界の端で、牧野くんが「すげっ」と小さく呟き、そして少し照れたように視線を逸らした。

 胸の奥に、冷たいものと熱いものが同時に流れ込んだ。


 * * *


「七海!」

 練習後、副キャプテンの須藤佳奈先輩に呼び止められる。汗を拭いながら駆け寄ると、先輩は少し言いにくそうに眉を寄せた。

「なんかさ……今日パンツ、シンプルなの見えてたけど、アンスコ履いてる?」

「え? アンスコって何ですか?」

「えっ、マジ? 二年から聞いてないの? ユニフォームの下には、みんなアンダースコートを履いてるんだよ。スカートがめくれても大丈夫なように、ってこと。」


 頭の中で何かが崩れる音がした。

(……じゃあ、先輩たちのフリル付きって、全部見せパンだったの?)


 須藤先輩の言葉が、私の頭の中を白いまま固めていく。脳裏にフラッシュバックしたのは、練習中、スカートがはためくたびに感じた空気の軽さ。そして、必死にボールを追いかけるうちに、大きく舞い上がった最後のスマッシュ。


 ドクドクドクと心臓の音が、激しく鳴り響く。


「じゃあ……私の、普通のパンツ……男子にも見えてたってことですよね?」

「うーん、見えてたけど、多分みんな見せパンだと思ってるから気づいてないんじゃないかなぁ」

「思ってるだけで、見られてたんですよね……」


 声は、もうほとんど掠れていた。全身の血の気が引いていく。私だけが何も知らないまま、無防備な姿を晒していた。

(死にたい……牧野くんにも他の男子部員にも絶対見られてた……)


「とりあえず今日はジャージに着替えてきな。週末にアンスコ買っときなよ」

 そう言われ、返事もそこそこに部室へ駆け戻る。

 歩くたび、スカートの中の下着が見られていないか気になって、余計に足早になる。


 * * *


 ジャージに着替えてコートに戻ると、練習はもうサーブ練習に移っていた。誰も私のことなんて気にしていない。

 私もジャージのままサーブを数本打ったが、大きく的を逸れてしまった。


 視線の端で牧野くんが、時折こっそり私の方を見ては微笑んでいるように見えた。そのたびに、胸が再び熱くなる。


 サーブ練習後、真希が小声で寄ってきた。

「七海……もしかして、アンスコ忘れてた?」

 胸の奥がズキンと痛む。もう隠しきれないと悟って、唇を噛みながら頷いた。

「……実は、そうなの……というか見せパンとか知らなくて」

 真希は一瞬目を丸くしてから、気の毒そうにため息をついた。

「まじか、多分男子は気づいてないと思うからさ、元気だしなよ」


 その日の帰り道、スマホの部活グループに須藤先輩が「一年はアンスコ持ってくること」と一言だけ投稿していた。

 画面を見つめながら、白いレースのショーツで練習した光景を思い出し、ふたたび顔が紅潮した。

 

 * * *


 翌朝、教室に入ると牧野くんが何気なく「昨日、スマッシュかっこよかったよ、試合頑張ってな」と声をかけてきた。

 その瞬間、頬が一気に熱くなり、私は「ありがとう」とだけ呟いて席に逃げ込んだ。

 ――あれは、あれ見せパンじゃないって気づいてたんだろうか。考えるのが怖くて、でも少しだけ知りたい気もしてしまった。



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