第14話:2秒間の代償

 わたしは星影学園・三年B組の佐藤琴音。

 三日前のペア決めアンケートで、体育祭のダンスでは本山くんとペアを組むことになった。


***


 その日の放課後。


「佐藤さん、今日、ちょっとだけ練習しない? 今のうちに軽く合わせときたいし」

 帰り支度をして、教室を出ようとしていたとき、声をかけてきたのはペアになった本山くんだった。


「今から? ……今日体育なかったから、体操着ないんだけど」


「大丈夫。軽くだし、制服のままでも平気でしょ?」


 そう言って、彼は笑った。穏やかで、少し眠たそうな、いつもの笑顔だった。


(そんな言い方されたら、断れないじゃん……)


 わたしは軽くうなずいて、鞄を持った。

 ただ、制服のスカートでダンスなんて、嫌な予感しかしなかった。


 しかも、今日のパンツは――ブラウン。生活感しかない、見られたら死にたくなるようなやつ。


 なぜ今日に限ってこれを履いたのか。

 昨日の自分を責めても、もう遅い。


***


 夕方の体育館。

 窓から差し込む光で、床がきらきらと輝いていた。


「じゃあ、まず右から入って……左で回る、だよね?」


「うん。で、最後に手をつなぐとこまで」


 思ったよりも、本山くんは優しくリードしてくれた。

 でも、それが逆に意識してしまう。


 くるっと回る練習のときだった。


「……あっ」


 スカートがふわっと舞った。


 制服のプリーツが大きく広がり、太ももに空気が入り込む。

 思わず手で押さえたが――遅かった。


 チラッと見えた本山くんの視線。わずかに下を向いていた。

 反応はなかった。けど……見なかったことにしてるだけかもしれない。


(お願い、気づいてないで……)


「あ、佐藤さんたちも練習~?」


 体育館の扉が開き、同じクラスの山下理乃の声が響いた。

 隣には、ペアの早瀬くん。


 理乃は、運動もできて明るくて可愛い、“陽キャ代表”みたいな子。

 眩しすぎて、まともに見られない。


「私たちも今から練習しよっかーって」


「えっ……う、うん」


 もう一組と一緒に練習することになった。

 断れない、そんな雰囲気だった。


「ねぇねぇ、動き確認したいし、動画撮らない? 後でチェック用に!」


 理乃が言った。


 その瞬間、背筋が凍る。


「ど、動画……?」


「うん、スマホでいいから。その方が分かりやすいし」


 理乃は当然のようにスマホを取り出し、椅子の上にセットした。

 もはや反論の余地もなく、録画が始まった。


「いくよー! せーのっ!」


 ステップ、ステップ、ターン――


 スカートが、さっきよりもさらに大きく浮いた。

 太ももどころか、膝上まで。


(今のはヤバいかも……)


 ブラウン。総ゴム。生活感。

 あのパンツが映っていないことを祈るしかなかった。


 回った直後、本山くんと目が合った。

 彼の顔が少し強ばっていたのは、気のせいじゃなかった。


 “驚いた”というより――反応に困っているような表情。

 すぐに目を逸らされたけど、空気が一瞬止まったように感じた。


(やっぱり……見えたんだ)

(しかも、あんなの……)


「はい、オッケー! 撮れたー!」


 理乃がスマホを手に取り、再生を始める。


 わたしは固まったまま動けなかった。


「やばっ、私のステップずれてたー!」


「ここ、合わせるの難しいねー」


 理乃と早瀬くんが、笑いながら画面を覗き込む。

 本山くんも隣に立ち、画面を見ようとして――


「待って! ダメ、それ、見ちゃダメ!!」


 思わず声が出た。


 場が止まった。


 理乃がきょとんとして、早瀬くんが眉を上げる。


「えっ? なんか変だった?」


「……ちょっと、スカートがやばかったかも……」


 言葉が詰まった。


「え、見えてた? パンツとか?」


 理乃が軽く笑う。


(言うな、言うな、言うな……!)


 でも、理乃の指はすでに再生ボタンを押していた――


「あっ……」


 わたしの“それ”が、画面いっぱいに映し出された。


 ブラウン。やわらか素材。総ゴム。

 体育館の床の光を、かすかに反射していた。


 一瞬、全員が息を飲んだ。


 理乃は目をまん丸にして絶句し、

 早瀬くんはすぐに目を逸らした。

 でも、本山くんだけは、固まったまま画面を見つめていた。


 二人の男子の顔は……なんとも言えない空気をまとっていた。

 赤面していたけれど、照れているというより、

 リアクションに困ってるような顔だった。


(……そりゃ、そうだよね)


(こんな地味で生活感全開のパンツ見せられても、反応に困るよね……)


 わたしは思わず目をぎゅっと閉じて、声にならない声を漏らした。


(よりによって、こんなときに……

 せめて、レースとか水玉とか、ちょっとでも可愛いやつだったら……)


 誰もが、それが“見てはいけないもの”だと理解していた。


「ご、ごめん、佐藤さん……本山くんと早瀬くんにも送っちゃった……」


 理乃が気まずそうに画面を閉じた。

 早瀬くんは顔をそらし、本山くんも無言のまま、目線を逸らしていた。


「……これ、今、削除する。見てないことにする」


「お願い……見ないで……ほんと、お願い……」


 言葉が震えていた。


 本山くんがポケットからスマホを取り出し、少し顔を赤らめながら、小さくうなずいた。


「……わかった。見ないで消すから」


 その言葉が、どれだけ救いだったか。

 言葉にはできなかった。

 早瀬くんも、同じく削除してくれた。


***


 その夜。

 スマホの通知音が鳴るたびに、心臓が跳ねた。


 動画が拡散されていないか、ずっと不安だった。


 でも、何も来なかった。


 みんな、本当に消してくれたんだと思う。


 それでも――“見られたかもしれない”ブラウンのパンツは、

 わたしの頭の中で、何度も何度も再生された。


 動画は消してもらったけど、

 わたしの記憶からは、一生消えない。


 あのときの、ふわっと舞ったスカートの感触と一緒に。

 それは、きっと永遠に残る。


***


 ペアダンス本番は、なぜか平和に終わった。

 わたしたちのペアは、学校のホームページの動画に二秒だけ映っていた。


 たった二秒。

 背景民のわたしたちには、それだけでも十分すぎる二秒間。

 でも――その裏で記録された“地味パン動画”という裏特典の存在を、誰が知るだろう。


 黒歴史って、たぶんこういうときに生まれる。


 わたしは二秒間だけ、確かに輝いた。

 ――パンツ以外で。

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