第2章:契約の証明

数日後、ユリの日常を揺るがす出来事が起きた。進路指導の一環で、奨学金申請の準備書類が配布されたのだ。そこには、家庭の経済状況を証明するため、公的なサービス契約状況の一覧を提出する項目があった。


「お父さん、この書類……」

リビングで新聞を読んでいた父親に書類を見せると、彼の肩が微かに強張った。

「ああ、それか。……それは、俺がやっておく。お前は心配しなくていい」

「でも、自分で書かないと」

「いいから!」

父親は珍しく声を荒らげ、すぐに「すまない」と目を伏せた。その過剰な反応が、ユリの心に小さな棘を刺した。


父親の様子に拭えない疑念を抱いたユリは、自室に戻ると、政府が提供する個人データ統合ポータルサイトにアクセスした。自分のIDとパスワードでログインし、契約サービスの一覧を開く。電気、水道、通信費……そして、その中に見慣れない項目を見つけた。


『メモリサブスク - 基本プラン』

『契約者名義:天音ユリ(保護者同意:天音健一)』

『契約期間:三年前より継続中』

『最終実行日:先月末』


指が震えた。自分が、契約している。知らないうちに。父親の同意のもとで。

「嘘……」

詳細を開こうとすると、『実行内容の閲覧には、特別アクセス権限が必要です』と表示される。自分の記憶なのに、自分では見られない。


『……見つけたか。そうだ、ユリ。それが真実の入り口だ』

頭の中で声が、いつもよりはっきりと聞こえた。


翌朝、ユリは食卓で父親と向かい合った。

「私、メモリサブスクを使ってるんですね」

父親の手が止まり、新聞から顔を上げた。その顔には、苦悩と諦めが浮かんでいた。

「……知ってしまったか」

「どうして私に黙って?私の記憶なのに」

「君を守るためだ。三年前、君は……酷い目に遭った。毎日泣き叫び、眠れず、心を壊してしまった。あれは治療だったんだ」

「治療……?」

「そうだ。辛い記憶だけを消して、君が普通の生活を送れるようにするための。お前は何も判断できる状態じゃなかった。だから、俺が……俺が決めた」

父親の声は、自分に言い聞かせているようでもあった。

「それでも、私の人生です。勝手に決めないで」

「お前にはまだ分からん!」

父親は立ち上がり、部屋を出て行った。残されたユリは、一人、冷めていくトーストを見つめていた。守るため、という言葉が、重い鎖のように感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る