最底辺の下の物語——地図にない村に生きる人々

来音

第1話 吉保村に到着

バスが止まった瞬間、ゴミ袋が風に転がる音が耳に刺さった。看板には「吉保村」と殴り書きされていて、半分が剥がれている。空は鉛色、電線はグチャグチャに絡まり、村そのものがとにかく薄暗く見えた。


(……本当に、ここか?)


思わず疑ったが、他に降りた客はいない。仕方なくノートを開き、「吉保村、取材開始」とだけ殴り書きした。


「何だこの村、無事に帰れるのか?」と呟きながら、俺はノートを開く。関所の交番で、免許証を見せると、無愛想な警官が「目的は?」と睨む。「取材です」と答えると、「何の?」と返され、「webニュースです」と言うと、赤い腕章を投げつけられ、「長居すんなよ。記事できたら、発表前にここに提出しろ。問題起こしたらすぐ、出入り禁止だぞ」とぶっきらぼうに吐き捨てられた。



歓迎どころか、まるで厄介者扱いだった。腕章を拾い、腕に巻きながら(問題って、何だよ)とぼやいた。


交番を出るとすぐ、ボロボロの金属板が立て掛けられているのが目に入った。

ペンキが剥げかけた白地に、黒文字が辛うじて読めた。


『吉保村に入居を希望される方へ』



この村は自治体ではなく、国有地に設けられた施設です。貧困者が最低限の生活支援を受けることが可能ですが、これは正式な公的指導ではなく、自己の意思に基づく利用となります。生活保護のような包括的な支援はありません。ご理解のうえ、慎重にご判断ください。




俺は読み終えてしばらく、その場から動けなかった。

「施設」……? いや、ここは村だろう。看板にはそう書かれてた。

けれど、国有地、支援、自己責任……その文字の並びが、急に俺の足元を不安定にした。


看板の脇には破れたゴミ袋がいくつも積まれていて、中身の腐った匂いが鼻をついた。

まるで「戻るなら今のうちだ」と言われている気がした。


それでも歩き出す。

道は舗装されておらず、高く伸びた雑草の中、砂利とゴミが混じる地面が靴の裏で音を立てる。歩くたびに村の空気が、埃と錆の匂いを鼻にまとわりつかせた。


坂を登る途中、右手に苔むした鳥居が立っていた。神社のようだが、鳥居の下には上半身裸の爺さんが、ビニール傘をさしてぼんやり立っている。

(曇天とはいえ、傘を差すほどでもないのに……)


少し気味が悪かったが、他に頼れる者もいない。


「あの、この辺に、宿屋ってないですか?」


「あ、何だ?」


「宿、ない?」


「あー、そんならヨシユキんとこだ」


呂律の怪しい声で、爺さんは道順を教えてくれた。ありがとうと言いかけたが、爺さんはもうこちらを見ていなかった。傘の内側をじっと眺めている。


(何見てんだ……)


薄気味悪さを振り切るように歩き出し、ノートに「吉保村、ゴミと秘密の匂い」と走り書きした。


宿の看板は錆び、傾き、蔦が這い出している。中に入るとカウンターには脂ぎった髪の男が座っていて、ニヤニヤと俺を見た。


「泊まりたいんですが」


「よお!女はいらないか?」


唐突な言葉に思わず黙る。

(どこにでもある田舎の宿とは違うぞ、ここ……)


「寝るとこだけでいい」と答えると、男は不機嫌そうにタバコを吹かした。


「宿代は千円だ。赤い腕章なら、さっさと仕事して帰れよ」


「部屋は?」


「勝手に二階の奥の部屋使え。空いてるからよ」


およそ、接客とは言えない待遇も、ある意味期待通りだった。


窓の外を見ると、ゴミの山の向こうで焚き火が揺れ、笑い声が響いている。ギターの音がかすかに混じる。やけに楽しそうだ。

(何なんだこの村……)

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