第六章 存在しなかった事件の記録

神を記録するなかれ

事件から三日後、私はヴェザリア支部の記録室にこもっていた。




レオ・アルヴァの死。


教団の介入。


未完成の絵画と、記録されなかった死者たち。




それらすべてが、私の記憶に焼きついている。


だが――記録にはなっていない。




GIAのシステムは、依然としてこの都市の干渉を受けていた。


端末に入力した内容の一部は自動消去され、


音声ログは保存に失敗し、


映像データは再生できないまま壊れた。




あの絵の前で起きたすべての出来事は、


“記録されることを拒む”かのように、次々と失われていく。




それでも、私は書き続けた。




コードも、承認も、公式記録としての手続きも経ず、


私個人の記憶として、非公式の文書を紡ぎ続けた。




それがどれほど意味のない行為か、何度も思い知らされた。


だが、やめなかった。




私が止まった瞬間、


この都市に起きたすべてが、文字通り“消える”とわかっていたからだ。




午後になって、カリムが静かに記録室を訪れた。




「――書いてるか?」




私は頷いた。




「書いてる。だが、これは“記録”にはならない。ただの語りだ」




カリムは小さく笑った。




「語りすら残らなければ、何も残らん。


それに、お前が“絵にされなかった”ことが、唯一の突破口かもしれん」




私は手を止めた。




「つまり?」




「レオはお前を“描かなかった”。


教団も“処分しなかった”。


ならば、お前だけが“この事件を記憶する資格を得た”ということだ」




「選ばれたつもりはない」




「そうだろうな。だが、誰もがその資格を得られるわけじゃない」




カリムは懐から小さな紙片を取り出した。


それは、レオの絵の欠片だった。




「教団が回収しきれなかった断片だ。


おそらく、“未完成”だったから“神聖”とは見なされなかったのだろう。


だが、ここにある」




私はそれを受け取り、しばらく見つめた。




それは、ただの筆跡に見えた。


だが、そこには――レオが伝えようとした“何か”が、確かにあった。




私は記録を続ける。


公式な報告ではなく、私自身の語りとして。




だがいずれ、これらの断片が、


後の誰かの記録になるかもしれない。




あるいは、


GIAがこの都市の異常を正式に調査し、


教団の存在に本格的に踏み込んだとき、


この記録が“最初の証拠”になるかもしれない。




私は、それを信じるしかない。




だから、私はこの章に――


ひとつの警句を記すことにした。




「神を記録するなかれ」




それは、かの教団が内部文書に記していた最古の戒律。


神とは、信仰の中にあり、姿を持たぬ存在であるべきだと。




だがレオ・アルヴァは、その戒律を破った。




“神を描こうとした”瞬間に、彼は異端となった。




私は、記録官として、その末路をここに記す。




これで、私の報告は終わる。


だが、物語はまだ始まったばかりだ。




私は知っている。


レオは、“ひとつの断面”でしかない。


この世界の深層には、名もなき教団の影が、いくつも横たわっている。




だからこそ私は、記す。


忘れないために。




そして、いずれ来る“本当の神話”の時代のために。

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